MetaFormingPro 2020/05/18 20:31

Human Functionalization


Warning!! おきもちけいやぞ 

技術の発達によって、コミュニケーションの在り方は変化しているが……
人そのものが変わる訳はない。
一人の人間の、交流のキャパシティは変わらない。
人と人との交流のキャパシティは、多く見積もっても100人が限界だと思う。
100人ですら、「限りなく上限を見積もった値」であって、
平均したら、せいぜい20~30人程度ではないかと思われる。
(自分もtwitterにおいて、それなりにリプライし合う関係の
 フォロワーはせいぜい20人くらいだと思うし、
 そしてそれを少ないとも思っていない)


しかしSNSでは、「数字として」それ以上のつながりが可視化されている。
それは何かと言うと、ファンクション、機能性としてのつながりだと思う。
ファンクションとしての価値と、人間的なコミュニケーションの2つが、
今のSNSには混在している。


前提として、他者に対してファクションを求めること自体は悪い事ではない。
自分は近所のうどん屋にちょくちょく食べに行く。
それはうどんを食べる為である。うどん屋に、
「うどんが食べられる」というファンクションを求めていると言える。
ここで、うどん屋の店主が
「俺の料理人としての在り方はうどんだけじゃない!!」
と言っていきなりうどんではなくカレーを売り始めても困るだけだ。
カレーを食べたい時はカレー屋に行くのだから。ましてや、
店主が「俺の日記を見てくれ!」といっても「知らんがな」である。


こうかくと、あまりに当たり前の話に見えるが……
ネット上の活動となると、この部分で迷走する人がちょくちょく出るようだ。
先にも書いたが、「人間的な関係」が、100人がキャパシティであるならば、
それ以上の数字を得るためには、自身にファンクションとしての価値を
求める事になる。そしてそれは逆に、
数字を求める事を優先した(しすぎた)結果に、
自身のファンクション化を徹底させてしまうというリスクを示す。
わかりやすい、良く聞く話で、、
絵を描いている人が「メディア欄の純度」を維持するために
プライベート垢を分離するという光景を見るが、
これも、「本垢のファンクションの価値」を追求した結果だ。


繰り返すが、ファンクションとしての繋がりそのものは決して悪ではない。
しかし、「人間同士の交流」とそれが、別の物であると、
理解しきれないと、混同してしまうと、精神に悪影響を及ぼすようだ。
交流の為にSNSを初めて、創作活動を始めて、
数を欲するようになり、ファンクション性に価値を追求し始め、
ファンクションの為にアカウントから人間性を排除し始めて、
その末に精神が病んで、SNSそのものに嫌気が……というのが
「よくある」流れではないか。
あえて悪い言い方すると、かなり自爆である。


そしてどうにも厄介な事に、SNSのシステム・構造は
「ファンクション」側に傾倒させやすい、促進しやすい側面があるようだ。
この「魔性」とは、うまくつきあう必要があるだろう。
逆に言えば、ちゃんと割り切れれば全く問題ないし、
勿論割り切って何事もなく活動している人だっていっぱいいる。
結局はそれぞれが「どの程度の配分でやってくか」決めていく、
という話に帰着するのだと思う。




で、ここまで長々と客観的な観察と考察を連ねて、
結局お前自身は何が言いたいんだ、という話だが……
これまで1年くらい活動している中で、
俺自身は、決して「人間の交流」を等閑にしない程度に動いていた。
いたが、ただ、ちょっとだけ、天秤が傾いているので……
ちょっとだけファンクションに傾倒してやろうかと目論んでいる。
「技術力」を標榜したい気持ちもあるな……。

というちっぽけな予防線一本だけの話である!! そんだけだー



さいですか

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