MetaFormingPro 2020/02/22 21:08

自分のゲームを遊んでもらいたいという執念に関する


いみのないニュートラルのへ太郎

BMSやる会も567なvirusで中止してしまったで或る
創作に専念しろと言うお達しであるな
いやunity1weekはあるけどな


とそれはおいといて、私は今現在MethodOzmAというゲームを作っている。
もちろん作った物はいっぱいの人に遊んでもらいたい。普通の事だ。
しかし、実際どういう風になるのが「良い流れ」なのかが曖昧だ。

というわけで、「ゲームを作り、遊んでもらう」事に関しての
個人的な論を書いてみる。半分は自分の為であるぞよ

コンセプトがあるという事

創作するうえで、「コンセプト」が存在する事は自明だろう。
この「コンセプト」周りで、3つのポイントがあると思っている。

・「コンセプト」を起点にゲームを(媒体を)作る
・「コンセプト」を、的確なターゲットユーザにプロモーションする
・「コンセプト」の対象でない層には過分に付き合わない

コンセプトとして作る事

当たり前と言えば当たり前の話(だとおもいたいの)だが、
作るゲームは、まず作者本人にとって楽しいゲームであるべきだと思う。
必要なのは、「自分がどういった要素を好んでいるか」を
漠然とした形ではなく、具体的な形で捉える(分析する)ことではなかろうか。

「ゲーム」という媒体にどういった形のコンテンツが内包されているかは
また別の記事で考えるとして、ひとまず自分が「ゲーム」に求めているのは

・世界観・物語性「物語」を紡ぐこと
・ゲーム性(戦略性)
・快楽性

の3つかなと。逆にあまり自分が重視しないのは

・探索性
・体験性
・やりこみ性

あたり……だろうか。個人論だと言う事を重ねて強調したうえでの語るが、
「ゲームを完成させる」という第一のハードルを突破するためには、
自分の好きな要素だけ作るが肝要だと思う。そして実践しているつもり……
……つまり、MethodOzmAは道中マップはかなり適当、
道中の移動パートは敵と戦う為だけの存在で、探索要素は無いし、
育成の自由度は無く、キャラの成長はほぼ一本道、固定なんですな。
今はオープンワールドがトレンド? 知らんがな、俺は興味が無い。

逆に、世界観は相当重視していて、これも個人的な偏執なんですが、
物語をお仕着せの倫理/道徳の枠にはめこむつもりがない。
ややトゲトゲしい言い方になるが、俺自身、今の蔓延るフィクションの、
「フィクションらしいわざとらしさ」にほとほと食傷・辟易・倦怠していて、
だからこそ自分自身にとって有為な物語性を作品に盛り込みたい。

コンセプトを伝える事

さて、制作者が、「自分の嗜好にあった」ゲームを作ったとして、
ではどうすれば遊んでもらえるか……これも文章にすれば当たり前の話だが、
ターゲットユーザは「制作者と同じ好み、嗜好を持つユーザ」だと思う。
つまりMethodOzmAは、「今のフィクションの形態に食傷している人」
最もマッチするターゲットのユーザと言う事になる。



それでは具体的に、「自分と同じ嗜好」のユーザにどうやれば伝わるか。









そのやり方は俺が知りたいです。 まじでどうすればいいんだ
俺に今できることはこうやった記事を書くしかないんだ





だめやないか


ていうか早く原稿かけや



なんか長くなってきたので続きは次回

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