2億の家 2024/02/16 02:25

「2億の家」 〜ヨーグルト〜

〜ヨーグルト〜

 朝、佳子は5時すぎに起きる。佳子は朝1時間半ほどキッチンに立って、まず娘の朝食、そしてパートナーの朝食を続けて作る。テーブルの上に佳子のお箸置きはない。

 娘の食事の支度は、前より何でも食べれるようになった為、偏食気味ではあるものの、作るのもずいぶん楽になった。
キッチンに立って1時間ほど経った頃、豆を挽き、コーヒーを落とし始める。
娘の食事をテーブルに運びながら、次にパートナーの食事に取り掛かる。
コーヒーを落としつつ、冷蔵庫からヨーグルト〈脂質0〉を取り出し、丸いガラスボールにたっぷりと入れる。

カウンター越しに、娘と会話をしながら、淡々と作業する。

 包丁を取り出し、シンクの前で娘と目を合わせ、にっこりとした顔で話しながらシンクのフチを包丁でなぞる。蓋を開けておいたブルーベリーソース果肉入りを表面にスッとかぶせる。
今度はバナナを取り出し、約5センチほどカットし、それを薄めにスライスして綺麗に乗せればバナナヨーグルト、ブルーベリーソース掛けが完成する。

 3、4人分のコーヒーが、いつの間にかピーっピーっと音を鳴らし、保温ランプが今日もオレンジ色にともる。今日もいつになったらキッチンから出れるのだろうか。

 包丁をしっかり洗い、もう5センチ程バナナをカットし、娘のデザート皿に入れて出す。かわいいピックが刺さったバナナを見て、娘も喜んでいる。こういう瞬間、ふと佳子の笑顔もゆるむ。

 のんびり起きてきたパートナーがリビングに来た。

「おはよう」
と娘に挨拶をする。


 娘溺愛のパートナー。いいとこ取りの典型パパ。娘に怒ることが出来ない。

彼は挨拶の返しがいい加減だと、朝から不機嫌になり、朝、娘の挨拶がいい加減だった、と夜仕事から帰ってきてからでも、ウダウダとしつこく責めてくることも多い。

そういうところが佳子は大嫌いだ。

 娘に続いて「おはよう」と佳子もパートナーに朝の挨拶をする。
返事が返ってくる時もあれば、佳子の「おはよう」が、リビングの空間に薄く溶けて蒸発する日もある。

こんなこと大したことじゃない。

 ただ、佳子がちょっとでも返事しないと、あるいはただ聞こえなかっただけだろうけれど、それもで返事をするまで

「ね」「ねえ」「ねぇ?人の話し聞いてる?返事もしないで」

というパートナーのことも佳子は大嫌いだ。



 パートナーがカウンターの前に寝ぼけた顔でやってきて、

「水」

と言う。


 佳子はグラスに大量の水を注いでカウンターに出した。

「水」とぶっきらぼうに言われる前に水を出して、

「水」

と言われないようにしたいのに、パートナーの和朝食の品数と、席につくタイミングで魚を焼き上げること、お味噌汁は煮詰めず、R-1は最後に出す・・・とそんな細かい日課に目が回って、毎回

「水!」

を入れるタイミングを逃す。




 カウンターを挟んで目の前にいるパートナーが、グルタミンをスプーンに山盛りすくって、飲もうとしている。
グルタミンの粉を大量に乗せたスプーンが口につかないように、天井を向いてこれでもかと大口を開け、グルタミンの粉を流しこむのだけれど、口に入り損ねたグルタミンの白い粉がパートナーの寝起きのヨレたパジャマにかかり、そしてそのままフローリングに落ちていく。佳子は目を背ける。
カウンターと床に落ちた白い粉。いつも見ている光景だから見なくても想像がつく。


 彼が落としたグルタミンの粉を拭くわけも、気にするわけもなく、特大のコップの水を一気飲みし、飲み切った後に「んハ〜っ」と一声上げて、コップを無造作に置き、ドカンとソファーに身を投げる。
そして片足をテーブルに乗せ、髭を剃り出す。


 半分まだ寝ているような締まりのない顔と、グルタミンの粉で白く汚れたパジャマ、ズボンも半分脱げかけているような寝起きの男が、髭を剃る姿。

 どの家庭でも、男は誰もがこんな感じなのかと聴きたくなる程、髭を剃るパートナーの姿がひどくて見ていられない。

 佳子はそれが視界に入らないように、サラダボールに3種のリーフ、パプリカ、きゅうり、トマト、ハム、パクチー、アーモンドスライス、少量のドレッシングをかけ、パートナーの席に運ぶ。


 髭を剃り、しばらくニュースを見てからパートナーが洗面所に移動する。
洗顔や髪を整え出す。そこから約20分ほどすると、ネクタイをしめた姿で席につき、和定食を食べ出すパートナー。

 大量のサラダに、焼きたての魚半身、副菜を食べ、納豆、白米に手をつけたところで、お味噌汁を温め、テーブルに運ぶ。

 娘のお着替えを手伝いながら、時々パートナーの食事の様子に目をやる。

 幼稚園のお弁当をカバンにいれ、水筒にお茶を入れにいく。キッチンに行くとちょうどヨーグルトに〈グラノーラ大豆入り〉をたっぷりかけ出した。
ボリボリとグラノーラを食べる音も聞きながら、コーヒーを入れ、片手には娘の水筒を持ちキッチンを出る。

 コーヒーはブラックなのでカップの持ち手は左に向けず、右に向けて出して。と昔から言われているのでその通りに持ち手を右に回して出す。

 バタバタと朝の支度を続ける佳子。

 グラノーラを砕く音がまだ聞こえる。

 チラっとその姿を確認する。バナナ入り、グラノーラ入り、ブルーべルーソース味のヨーグルトを食べ、コーヒーを飲んでいる。



あのヨーグルト、

 美味しいのだろうか?



佳子は自分の食事も取れないまま、娘を幼稚園に送るため、家を出た。

明日も明後日も、この朝食作りが続くのか。

この生活をやめてしまえたらどんなに楽か。

迷いが佳子を包み、俯いてしまう。

あえて、まだ今は続けてみることにした。




あのヨーグルトも作りたいし。


佳子は、自転車のペダルを漕ぎ出した。

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