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ファストノベルの記事 (11)

自遊時閑 2023/12/23 18:15

[夏目漱石] 変な音 ファストノベル

    上

 うとうとしたと思ううちに目が覚めた。すると、隣の部屋で妙な音がする。始めはなんの音とも、またどこからくるともはっきりしなかったが、きっとおろし金で大根かなにかを擦っているに違いない。それにしてもこの時間になんの必要があって、隣の部屋で大根おろしを作っているのか想像がつかない。
 言い忘れたがここは病院である。今の時間に、なんのために大根おろしを作るのだろう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのに決まっていると、すぐ心の中で悟ったようなものの、さて、それなら果たしてどこからどうして聞こえてくるのだろう、と考えるとやっぱり分からない。
 自分はもう少し意味のあることに頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが鼓膜に訴える限り、妙に神経に障って、どうしても忘れる訳にいかなかった。辺りはしんとして静かである。廊下を歩く看護婦の上履の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦り減らすような異様な響きだけが気になった。
 自分の部屋は元は特等室として二間《ふたま》つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだ。東側に戸棚があって、その脇が襖ですぐ隣へ行き来ができるようになっている。この一枚の仕切りをがらりと開けさえすれば、隣で何をしているかは容易く分かるけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてするほど大事な音でない。季節は暑さに向かう時期であったから縁側《えんがわ》は常に明けたままであった。縁側は病棟いっぱい細長く続いている。けれども患者が端へ出て互いを見通す不都合を避けるため、わざと二部屋ごとに開き戸を設けてお互いの仕切りとした。自分は敷居の上に立った。あの音はこの両開き戸の後ろからでているようである。戸の下は六センチほど開いていたがそこにはなにも見えなかった。
 この音はその後もよく繰り返された。ある時は五六分続いて自分の耳を刺激する事もあったし、またある時はその半ばにも至らないでぱたりとやんでしまう事もあった。けれどもそれがなんであるかは、ついに知る機会なく過ぎた。病人は静かな男であったが、時々夜中に看護婦を小さい声で起こしていた。看護婦がまた感心な女で小さい声で一度か二度呼ばれると快い優しい「はい」と言う受け答えをして、すぐ起きた。そうして患者のためになにかしている様子であった。
 ある日、回診の番が隣へ回ってきたとき、いつもよりだいぶ時間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それは二三人で遠慮しあってなかなか捗らないような湿り気を帯びていた。それから二三日して、かの患者の部屋にこそこそ出入りする人の気配がしたが、その気配も病人自身も影のごとくいつの間にかどこかへ行ってしまった。そうしてその後にはすぐ翌日から新しい患者が入った。例の妙な音はとうとう見極わめることができないうちに病人は退院してしまったのである。そのうち自分も退院した。そうして、あの音に対する好奇心はそれっきり消えてしまった。


    下

 三カ月ほど経って自分はまた同じ病院に入った。部屋は前の部屋の西隣であった。壁一枚隔てた昔の住まいは空いていた。もう一つ先がすなわち例の異様の音の出た所であるが、ここには今誰がいるのか分らなかった。自分はその後、受けた体の変化があまりにも激しく、異音の事などは全く思い出す暇もなかった。それよりはむしろ自分に近い運命を持った入院患者の経過のほうが気にかかった。看護婦に一等室の病人は何人いるのかと聞くと、三人だけだと答えた。重いのかと聞くと重そうですと言う。一人は食道ガンであった。一人は胃ガンであった、残る一人は胃潰瘍《いかいよう》であった。みんな長くは持たない人ばかりだそうですと看護婦は彼らの運命をひとまとめに予言した。
 やがて食道ガンの男が退院した。胃ガンの人は死ぬのは諦めさえすればなんでもないと言って美しく死んだ。胃潰瘍の人はだんだん悪くなった。夜中に目を覚ますと、時々東のはずれで、付き添いのものが氷を砕く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。
 ――「三人のうち二人死んで自分だけ残ったから、死んだ人に対して残っているのが気の毒のような気がする」
 その後、自分の病気は日を重ねるにしたがって次第に快調へ向かった。仕舞いには上履きを履いて広い廊下をあちこち散歩し始めた。その時ふとしたことから、偶然ある付き添いの看護婦と口を利くようになった。いつも通り挨拶をしながら、看護婦はその目を自分の顔に移して「この前のご入院の時よりもうずっと顔色が好くなりましたね」と、三カ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。
「あの時君もやはり付き添いでここに来ていたのかい」
「ええ、○○さんの所におりましたがご存じはなかったかもしれません」
 ○○さんと言うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時の女かと思うと、少し驚かずにはいられなかった。けれども、その頃自分の神経をあれだけ刺激した音の原因については別に聞く気も起らなかった。すると女が突然少し改まった調子でこんなことを言った。
「あの頃あなたのお部屋で時々変な音が致しましたが……」
 自分は不意に逆襲を受けた人のように、看護婦を見た。
「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。「あれはね、自働革砥《オートストロップ》の音だ。毎朝髭を剃るんでね、安全カミソリを研磨用の革へかけて磨ぐのだよ。今でもやってる。嘘だと思うなら来てご覧」
 看護婦はただへええと言った。だんだん聞いてみると、○○さんと言う患者は、ひどくその音を気にして、あれはなんの音だと看護婦に質問したのだそうである。看護婦がどうも分からないと答えると、隣の人はだいぶ調子が良いので朝起きると、運動をする、その器械の音なんじゃないか羨ましいなと何回も繰り返したと言う話である。
「お前のほうの音はなんだい? よく大根をおろすような妙な音がしたじゃないか」
「ええあれですか。あれは胡瓜《きゅうり》を擦ったんです。患者さんが足が火照って仕方がない、胡瓜の汁で冷してくれとおっしゃるもんですから」
「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」
「ええ」
「そうかそれでようやく分かった。――いったい○○さんの病気はなんだい」
「直腸ガンです」
「じゃとても難しいんだね」
「ええもう本当に。ここを退院なさると直ぐでした、お亡くなりになったのは」
 自分は黙り込んでわが部屋に帰った。そうして胡瓜の音で人を焦らして死んだ男と、研磨の音を羨ましがらせて快くなった人との相違を心の中で思い比べた。

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自遊時閑 2023/12/16 15:28

[太宰治] 黄金風景 ファストノベル

  海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて
                          ―プーシキン―


 私は子供のとき、性格のいい方ではなかった。どんくさいことは嫌いで、どんくさい家政婦を特にいじめた。お慶は、どんくさい家政婦である。台所で何もせず、ただつっ立っている姿をよく見かけたが、妙に癇に障って、「おい、お慶、日は短いんだぞ」などと非道な言葉を投げつけた。それでは飽き足りずお慶を呼びつけ、絵本の何百人といる兵隊、そのひとりひとりの兵隊をハサミで切り抜かせた。不器用なお慶は、朝から日暮頃までかかって、やっと三十人くらい、それも大将の髭を切り落したりして、いちいち私に怒鳴られた。私はついに癇癪をおこし、お慶を蹴った。確かに肩を蹴ったはずなのに、お慶は右の頬をおさえ、泣き泣き言った。「親にさえ顔を踏まれたことはありません。一生覚えております」うめくような口調で言ったので、私は、流石に嫌な気がした。今でも、多少はそうであるが、私には無知で愚鈍の者は、とても我慢できないのだ。

 一昨年、私は家を追われ、あちこちに泣きつき、その日その日の命を繋ぎ、多少執筆で自活できる当てがつき始めたと思った途端、病を得た。人々の情けで一夏、海の近くに小さい家を借りた。毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗と戦い、毎朝の冷たい一杯の牛乳だけが、奇妙に生きている喜びとして感じられた。
 その頃の事、戸籍調査のお巡りが玄関で、帳簿の名前と、私の顔を見比べ、
「おや、あなたは……の坊ちゃんじゃございませんか?」
「あなたは?」
 お巡りは痩せた顔に苦しいほどにいっぱいの笑みをたたえて、
「やぁ。やはりそうでしたか。かれこれ二十年近く前、私はKで馬車屋をしていました」
 Kとは、私の生れた村の名前である。
「ご覧の通り、私も、今は落ちぶれました」
「とんでもない。小説をお書きなさるんだったら、それはなかなかの出世です」
 私は苦笑した。
「ところで、お慶がいつもあなたのお噂をしています」
「おけい?」
「お慶ですよ。お宅の家政婦をしていた――」
 思い出した。あぁ、と思わずうめいて、昔の私の悪行がはっきり思い出され、いたたまれなくなった。
「幸福ですか?」
 そんな突拍子ない質問を発する私の顔は、確かに罪人や被告のようで、卑屈な笑いさえ浮べていた。
「ええ、もう、それは。――今度妻を連れて、一度ゆっくりお礼にあがりましょう」
 私はぎょっとした。いいえ、もう、それには、と激しく拒否し、私は屈辱感に身悶えしていた。
 けれども、お巡りは、朗らかだった。
「子供がねぇ、あなた、ここの駅に勤めるようになりましてな、それが長男です。それから男、女、女、その末のが八つで今年小学校にあがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、お宅のような名家にあがって行儀作法を習った者は、やはりどこか、違いましてな」
 少し顔を赤くして笑い、
「お慶も、あなたのお噂、始終しております。今度の公休には、きっと一緒にお礼にあがります。それじゃ、今日は失礼いたします。お大事に」

 それから、三日たって、私は海へ出ようと、玄関の戸をがらがら開けたら、外に三人、浴衣を着た父と母と、赤い洋服着た女の子と、絵のように美しく並んで立っていた。お慶の家族である。
 私は自分でも意外な程の、恐ろしく大きな怒声を発した。
「来たのですか。私これから用事があって出かけなければなりません。またの日においでください」
 お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、お慶によく似た顔をしていて、ぼんやり私を見上げていた。私は悲しく、お慶がまだ一言も言い出さないうちに、逃げるように、海岸へ飛び出した。一度もあとを振りかえらず、地団駄踏むような歩き方で、とにかく町の方へ歩いた。私は町で何をしていただろう。ちぇっ、ちぇっ、と舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて、これはならぬとまた歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私は再び私の家へ引き返した。
 海岸に出て、私は立ち止った。見ろ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い楽しんでいる。
「なかなか、頭の良さそうな方じゃないか。あの人は、今に偉くなるぞ」
「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。
「あの方は、小さい時から一人変わっていられた。目下の者にもそれは親切に、目をかけてくださった」
 私は立ったまま泣いていた。険しい興奮が、涙で、まるで気持ちよく溶け去ってしまうのだ。
 負けた。これは、良いことだ。そうなければ、いけないのだ。彼らの勝利は、また私の明日の出発にも、光を与える。

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自遊時閑 2023/12/13 18:35

[梶井基次郎] 檸檬 ファストノベル

 得体の知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた。焦燥、嫌悪と言おうか――酒を毎日飲んでいると二日酔いに相当する時期がやってくる。これはちょっといけなかった。生じた肺結核やノイローゼがいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
 以前私を喜ばせた美しい音楽も、美しい詩の一節も我慢ならなくなった。何かが私をいたたまれなくさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられた。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても表通りよりもどこか親しみのある、がらくたが転がしてあったりする裏通りが好きであった。
 時どき私はそんな道を歩きながら、ふと、そこが京都ではなく仙台とか長崎とか――そのような町へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、誰一人知らないような町へ行ってしまいたかった。願わくばここがいつの間にかその町になっているのだったら。
 ――錯覚が成功しはじめると私は次から次へ想像の絵具を塗りつけてゆく。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたビードロという、色ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになった。またそれを舐めてみるのが私にとってなんともいえない快楽だったのだ。あのビードロの味ほど微かな涼しい味があるものか。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言え、私自身を慰めるためには、贅沢というものが必要であった。
 以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。洒落た切子細工や優雅な琥珀色や翡翠色の香水びん。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一番いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。
 しかしその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。

 ある朝――その頃私は友人たちの下宿を転々として暮らしていたのだが――友人が学校へ出てしまったあとぽつんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち止まったり、とうとう私は果物屋で足を止めた。
 その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感じられた。なにか華やかな美しい音楽の快速調《アレグロ》の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なもので、あんな色彩やあんなボリュームに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。
 実際あそこの人参の葉の美しさなどは素晴しかった。
 またそこの家の美しいのは夜だった。どうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。
 もう一つはその家から突き出した庇《ひさし》なのだが、その庇が目深《まぶか》に冠った帽子のつばのように真っ暗なのだ。そう周囲が真っ暗なため、店頭に点けられたいくつもの電灯がにわか雨のように浴びせかける絢爛《けんらん》は、周囲の何者にも奪われることなく、欲しいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。通りに立って眺めたこの果物店の眺めほど、その時の私を楽しませたものは寺町の中でも稀だった。

 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬《れもん》が出ていたのだ。私はあの檸檬が好きだ。絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形《ぼうすいけい》の格好も。
 ――結局私はそれを一つだけ買うことにした。始終私の心を圧さえつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んできたようで、私は街の上で非常に幸福であった。
 その檸檬の冷たさは例えようもなくよかった。その頃私は肺尖《はいせん》を悪くしていていつも身体に熱が出た。その熱いせいだったのだろう、握っている掌から体内に浸み透ってゆくようなその冷たさは心地よいものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。そして深々と胸いっぱいに匂い立つ空気を吸い込めば、なんだか体内に元気が目覚めてきたのだった。……
 実際あんな単純な触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこれだけを探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える。
 私はもう通りを軽やかな興奮に弾んで、一種誇らしい気持ちさえ感じながら歩いていた。汚れた手拭の上へ載せて色の反映を量《はか》ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常づね探し求めていたもので、疑いもなく、この重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算してきた重さであるとか、思いあがった遊び心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――何はさておき私は幸福だったのだ。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。憂鬱が立ちこめてくる。
 私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ「いつにも増して力が要るな!」と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、念入りにめくってゆく気持ちは湧いてこない。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには大好きだったアングルの重い本まで堪え難さのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。
「あ、そうだそうだ」その時私は袂《たもと》の中の檸檬を思い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら……「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな興奮が帰ってきた。私は手当たり次第に積みあげ、慌しく築きあげた。新しく引き抜いて付け加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれは出来上がった。そして、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見渡すと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に次のアイディアがひらめいた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持ちがした。「出て行こうかなぁ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。

 変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も木っ端微塵だろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇妙な趣きで街を彩っている京極を下って行った。

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自遊時閑 2023/12/07 18:58

[江戸川乱歩] 赤い部屋 ファストノベル

 異常な興奮を求めて集った、七人の堅苦しい男が(私もその中の一人だった)わざわざそのために用意した「赤い部屋」の、緋色のビロードを張った深い肘掛け椅子にもたれ込んで、今晩の話手が何か怪異な物語を話しだすのを、今か今かと待ち構えていた。
 やがて、今晩の話手と定められた新入り会員のT氏は、じっと蝋燭の火を見つめながら、次のように話し始めた。

 私は、自分では正気のつもりでいますが、本当は狂人かもしれません。私という人間は、生きているという事が、もう退屈で退屈でしょうがないのです。
 初めのうちは、それでも人並みに色々な娯楽に没頭した時もありましたが、何一つ私の退屈を慰めてはくれないので、一時私は文字通りなにもしない、死ぬよりも辛い日々を過ごしていました。
 こんな風に申上げますと、皆さん「世の中に退屈している点では我々だって同じだ。だからこんなクラブを作って異常な興奮を求めているのではないか」とおっしゃるに違いありません。本当にそうです。あなた方が退屈がどんなものかをよく知っていると思えばこそ、私は今夜この席に並んで、私の奇妙な身の上をお話しようと決心したです。

 私はこの階下のレストランのご主人から、この「赤い部屋」へ何度となく入会することを勧められていました。しかし、お話があった頃には、私はもうそういう刺激には飽き飽きしていただけでなく、ある素晴らしい遊戯を一つ発見して、その楽しみに夢中になっていました。
 その遊戯というのは……人殺しなんです。しかも、私は今日までに百人近い命を、ただ退屈をまぎらす目的のためだけに、奪ってきたのです。しかし、なんということでしょう。私は近頃になって殺しにすら、もう飽きてしまったんです。そして、今度は自分自身を殺すように、阿片《アヘン》に溺れ始めたのです。私はやがて毒で命を取られてしまうでしょう。そう思いますと、せめて道筋の通った話のできる間に、一番話すにふさわしい「赤い部屋」の方々に私のやってきたことを打ち明けておきたいのです。
 そういう訳で、私はただ自分の身の上を聞いてもらいたいがために、今回会員の一人に加えて頂いたのです。

 それは三年ばかり前のある夜、私は一つの妙な出来事に遭遇しました。私が百人もの命を取るようになったのは、実はその晩の出来事がきっかけになったんです。
 少し酔っぱらっていたと思います。横町を何気なく曲がりますと、出会いがしらになにか狼狽している男と出会いました。男はいきなり「この辺に医者はないか」と尋ねてきました。聞くと、その男は今そこで老人を轢き倒し大怪我をさせたというのです。
 私は自宅の近所のことですから、早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二百メートルほど行くとM医院がある」
 すると運転手はすぐさま、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は家に帰って、すぐに眠りに入ってしまいました。
 翌日目を覚ました時、私は前夜の事をまだ覚えていました。そしてふと変なことに気がつきました。
「いや、大変な間違いをしてしまったぞ」
 私はびっくりしました。いくら酔っていたとはいえ、何を思って私はM医院などへ担ぎ込ませたんでしょう。
 Mというのは評判のヤブ医者で、しかもMとは反対の方角に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていたはずなんです。知っていたのになぜ間違ったことを教えたか。その時の心理状態は、今になってもまだよく分かりません。
 その後、それとなく近所の噂などを探ると、どうやら怪我人はM医院で死んだそうです。私はそれを聞いて、変な気持ちになってしまいました。
 この場合、可哀そうな老人を殺したは果たして誰でしょうか? 自動車の運転手とM医師に、それぞれ責任のあることは言うまでもありません。ですが、最も重大な責任者はこの私だったのではないでしょうか。もしあの時、私がK病院を教えたとすれば、問題なく怪我人は助かったかもしれないのです。その時の指示次第で、老人を生かすことも殺すこともできた訳です。もちろん怪我をさせたのは運転手でしょう。けれど〝殺した〟のはこの私だったのではないでしょうか?
 皆さんはかつてこういう殺人法について考えられたことがあるでしょうか。私はこの事件で始めてそれに気がついたんですが、この世の中はなんと過酷な場所なんでしょう。私のような男が、なんの理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、いつ不当に命を失ってしまうか分かったものではないのです。

 これはその後私が実際やってみて成功したことなんですが、お婆さんが電車の線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけたときに、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、たちまち慌てて、そのまま通り切るか、一度後へ引き返そうかと、暫く迷うに違いありません。そのたった一言が、最悪の場合命までも取ってしまわないとは限りません。さっきも申上げましたとおり、私はこの方法で一人殺してしまったことがあります。
 この場合「危いッ」と声をかけた私は明らかに殺人者です。しかし誰が私の殺意を疑いましょう。なんとまぁ安全極まる殺人法じゃありませんか。
 そこで私はこの手口の人殺しによって、あの死にそうな退屈をまぎらすことを思いつきました。なんという申分のない眠気覚ましでしょう。以来私はこの三年の間というもの、人を殺す楽しみにふけって、いつの間にか退屈をすっかり忘れていました。皆さん、私は戦国時代の豪傑のように、百人の命を取るまでは決して途中でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
 今から三月ばかり前です、私はちょうど九十九人まで〝済ませ〟ました。その九十九人をどんな風にして殺したか。もちろん、ただ人知れぬ方法とその結果に興味をもってやった事ですから、私は一度も同じやり方を繰り返すようなことはしませんでした。
 しかし、この席で、私のやった殺人法を一つ一つお話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈から逃れようとした、そしてまた、今度はこの私自身を滅ぼそうとしている、世の常ならざぬ私の気持ちをお話して皆さんの判断をあおぎたいためですから、その殺人方法については、ほんの二三の実例を申上げるに止めておきたいと存じます。

 ある夏のことでした。私は犠牲《いけにえ》にしてやろうと目を付けていたある友人、といっても決してその男に恨みがあった訳ではなく、長年の間無二の親友としてつき合っていたほどの友達なのですが、私には逆に、そういう仲のいい友達などを、なににも言わないで、ニコニコしながら、アッという間に死体にしてみたいという異常な望みがありました。その友達と一緒に、房州の僻地にある漁師町へ避暑に出かけたことがあります。
 ある日、私はその友達を、海岸の集落から、だいぶ離れた所にある、ちょっと断崖みたいになった場所へ連れ出しました。そして「飛び込みをやるのには持ってこいの場所だ」などと言いながら、私は先に立って着物を脱いだんです。友達もいくらか水泳の心得えがあったものですから「なるほどこれはいい」と私にならって着物を脱ぎました。
 そこで、私はその断崖の端に立って、ピョンと飛び上がると、見事な弧を描いて、逆さまに前の海面へと飛び込みました。
 パチャンと身体が水についた時に、胸と腹の呼吸でスイと水を切って、僅か一メートル潜るだけで、飛魚のように向こうの水面へ体を表すのが「飛び込み」のコツなんです。そして、
「オーイ、飛込んでみろ」
 と友達に呼びかけました。すると、友達は無論なにも気づかないで、
「よし」と言いながら、私と同じ姿勢をとり、勢いよく私のあとを追ってそこへ飛び込みました。
 ところが、しぶきを立てて海へ潜ったまま、彼は暫くたっても再び姿を見せないじゃありませんか……。私はそれを予期していました。その海の底には、水面からニメートルぐらいの所に大きな岩があったんです。私は前もってそれを探っておき、友達の腕前では「飛び込み」をやれば必ずニメートル以上潜るに決まっている、従ってこの岩に頭をぶつけるに違いないと見込みをつけてやった事です。
 案の定、暫く待っていますと、彼はポッカリとマグロの死体のように海面に浮き上がりました。
 私は彼を抱いて岸に泳ぎつき、そのまま部落へ駆け戻って、宿の者に緊急をつげました。そこで休んでいた漁師などがやって来て友達を介抱してくれましたが、ひどく脳を打ったためでしょう。もう回復の見込みはありませんでした。
 私が警察の取り調べを受けたのはたった二度きりですが、その一つがこの時でした。なにぶん人の見ていない所で起こった事件ですから、取り調べを受けるのは当然です。しかし、私も彼もその海底に岩のあることを知らず、幸い私は水泳が上手だったために危ないところを逃れたけれども、彼はそれが下手だったばっかりにこの事態を引き起こしたのだということが明白になったものですから、難なく疑いは晴れ、私はかえって警察の人達から「友達を亡くされてお気の毒です」と悔みの言葉までかけてもらう有様でした。
 いや、こんな風に一つ一つ実例を並べていてはきりがありません。もう皆さんも私の絶対に法律に触れない殺人法を、大体お分かりくださったことと思います。全てこの調子なんです。最後に少し風変わりなのを一つだけ申上げることにいたしましょう。

 今までお話しましたところでは、私はいつも一度に一人の人間を殺しているように思えますが、そうでない場合も度々ありました。でなければ、三年足らずの年月の間に、しかも少しも法律に触れないような方法で、九十九人もの人を殺すことはできません。その中でも最も大人数を一度に殺したのは、昨年の春のことでした。皆さんもご存知のことと思いますが、中央線の列車が転覆して多くの負傷者や死者を出したことがありますね、あれなんです。
 それを実行する土地を探すのにはかなり手間がかかりました。結局M駅の近くの崖を使うことに決心するまでに、まる一週間はかかりました。M駅にはちょっとした温泉場がありますので、私はそこのある宿へ泊まり込んで、いかにも長期滞在の湯治客らしく見せかけようとしました。そして、もう大丈夫だという時を見計らって、私はある日いつものようにその辺の山道を散歩しました。
 そして、宿からニキロほどの、ある小高い崖の頂上へたどりつき、私はそこでじっと夕闇の迫ってくるのを待っていました。
 暫くすると、予め定めておいた時間になりました。私は、これも予め探しだしておいた一つの大きな石ころを蹴り飛しました。それはちょっと蹴りさえすれば崖からちょうど線路の上あたりへ転がり落ちるような位置にあったんです。その石ころはうまい具合に一本のレールの上に乗っかりました。
 半時間後には下り列車がそのレールを通るのです。その時にはもう真っ暗になっているでしょうし、その石のある場所はカーブの向こう側ですから、運転手が気付くはずはありません。それを見定めると、私は大急ぎで、M駅へと引き返しそこの駅長室へ入って行って「大変です!石ころを線路の上へ蹴り落してしまいました。もしあそこを列車が通ればきっと脱線します!」とさも慌てた調子で叫びました。
 すると駅長は驚いて、
「それは大変だ、今下り列車が通過したところです。普通ならあの辺はもう通り過ぎてしまった頃ですが……」
 と言うのです。そうした問答を繰り返している内に、列車転覆により死傷数知れずという報告がもたらされました。さぁ大騒ぎです。
 私は成り行き上一晩Mの警察署へ引っ張られ、大変叱られはしましたが、別に処罰を受けるほどのこともありませんでした。そういう訳で、私は一つの石ころによって、少しも罰せられることなく、十七人の命を奪うことに成功したんです。
 皆さん。私はこんな風にして九十九人の人命を奪った男なんです。これらは普通の人には想像もつかない極悪非道の行いに違いありません。ですが、そういう大罪悪を犯してまで逃れたいほどの、ひどい退屈を感じなければならなかったこの私の気持ちも、少しはお察し願いたいのです、私という男は、そんな悪事でも企む他には、何一つこの人生に生きがいを発見することができなかったのです。皆さん、どうかご判断なさって下さい。私は狂人なのでしょうか。殺人狂とでもいうものなのでしょうか。

 このようにして今夜の話手の、とてつもなく奇怪極まる身の上話は終わった。しかし誰一人これに答えて批判の口を開くものもなかった。
 ふと、ドアのあたりに垂らされた布の表に、チカリと光ったものがあった。それは銀色の丸いもので、赤い布の間から、徐々に円形を作りながら現われているのであった。私は最初の瞬間から、それが給仕女の両手に捧げられた、我々の飲物を運ぶ大きな銀盆であることを知っていた。そう、いつもの美しい給仕が現れたのだ。彼女は飲物を配り始めると、その、世間とはまるでかけ離れた幻の部屋に、世間の風が吹き込んできたようで、なんとなく不調和な気がしだした。

「――ほら、撃つよ」
 突然Tが、今までの話し声と少しも違わない落着いた調子で言った。そして、右手を懐へ入れると、一つのキラキラ光る物体を取り出して、ヌーッと給仕女の方へ向けた。
 アッという私たちの声と、バン……というピストルの音と、キャッと驚愕する女の叫びと、それがほとんど同時だった。
 無論私達は一斉に席から立ち上った。しかし撃たれた女は何事もなく、ただ無惨にも撃ち砕かれた飲物の器を前にして、ボンヤリと立っているではないか。
「ワハハハハ……」T氏が狂人のように笑い出した。
「おもちゃだよ、おもちゃ。アハハハ……」
「まぁ、びっくりした……。それ、おもちゃなの?」
 Tとは以前から顔馴染みらしい給仕女は、そう言いながらT氏の方へ近づいた。
「ねぇ、貸して。まぁ、本物そっくりだわ」
 彼女は、照れ隠しのように、その玩具だというリボルバーを手にとって見ていたが、やがて、
「くやしいから、あたしも撃ってあげるわ」
 と言うかと思うと、彼女は生意気な格好でT氏の胸に狙いを定めた。
「君に撃てるなら、撃ってごらん。撃てやしないって」
 ――バン。前より鋭い銃声が部屋中に鳴り響いた。
「ウウウウ……」なんとも言えない気味の悪い唸り声がしたかと思うと、T氏がヌッと椅子から立ち上がって、バッタリと床の上へ倒れた。そして、手足をバタバタやりながら、苦悶し始めた。
 私達は思わず彼の近くへ走りよった。見ると、T氏は蒼白な顔を痙攣させて、夢中になってもがいていた。そしてだらしなく開かれたその胸の傷口からは彼が動く度に、だらりと真っ赤な血が流れていた。
 玩具と見せかけたリボルバーの二発目には実弾が装填してあったのだ。
 私たちは、長い間、ボンヤリそこに立ったまま、誰一人身動きするものもいなかった。奇怪な物語の後のこの出来事は、私達にあまりにも激しい衝動を与えたのだ。そして、苦悶している負傷者を前にして、私の頭には次のような推理の働いた。
「意外な出来事に違いない。しかし、よく考えてみると、これは最初からTの今夜のプログラムに書いてあった事なのではないか。彼は九十九人までは他人を殺したが、最後の百人目だけは自分自身のために残しておいたのではないだろうか。そして、そういうことには最もふさわしいこの『赤い部屋』を、最後の死に場所に選んだのではないか、これは、この男の奇怪極まる性質を考え合わせると、まんざら見当はずれの想像でもない」
 恐ろしい沈黙が場を支配していた。そこには、床に横たわった給仕女の、悲しげにすすり泣く声が、密やかに聞えているばかりだった。「赤い部屋」の蝋燭の光に照らしだされた、この僅かな間に起きた悲劇の場面は、この世の出来事としてはあまりにも夢幻的に見えた。

「ククククク……」
 突如、異様な声が聞えてきた。それは、最早やもがくことを止めて、ぐったりと死人のように横わっていた、T氏の口から漏れるよう感じられた。氷のような戦慄が私の背中を這い上った。
「クックックックッ……」
 その声は見る見る大きくなっていった。そして、ハッと思う間に、瀕死のT氏の体がヒョロヒョロと立ち上がった。だが……もしや……やはりそうだったのか、彼は先ほどから耐らないおかしさをじっと噛み殺していたのだった。「皆さん」彼はもう大声に笑い出しながら叫んだ。
「皆さん。分かりましたか、これが」
 すると、あぁ、これはまたどうしたことだろう。今の今まであのように泣き入っていた給仕女が、いきなり快活に立ち上がったかと思うと、もう耐らないというように、身体をくの字にして、これもまた笑いこけるのだった。
「これはね、偽物の弾丸《たま》なんですよ。中にインクが入れてあって、命中すれば、それが流れ出す仕掛けです。それからね。この弾丸と同じように、さっきの私の身の上話というのは始めから終わりまで、みんな作り話なんですよ。さて、退屈屋の皆さん。こんなことでは、皆さんが始終お求めなさっている、あの刺激とやらにはなりませんでしょうか……」
 彼がこう種明かしをしている間に、今まで彼の助手を勤めた給仕女の気転で階下のスイッチがひねられたのであろう、突如真昼のような電灯の光が、私たちの目を惑わせた。そして、その白く明るい光線は、たちまち部屋の中に漂っていた、あの夢幻的な空気を一掃してしまった。そこには、暴露された手品の種が、醜い骸を晒していた。緋色の絨毯や肘掛け椅子、果ては、あの意味ありげな銀の燭台までが、なんとみすぼらしく見えたことか。
 「赤い部屋」の中には、どこの隅を探してみても、最早や、夢も幻も、影さえとどめていないのだった。

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自遊時閑 2023/12/02 22:42

[芥川龍之介] トロッコ ファストノベル

 小田原―熱海《あたみ》間に、軽便鉄道建設の工事が始まったのは、良平が八つの時だった。良平は毎日のように村外れへ、その工事を見物しに行った。
 トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走ってくる。舞い上がるように車台が動いたり、土工の半纏《はんてん》の裾がひらついたり――良平はそんな景色を眺めながら、土工になりたいと思うことがある。せめて、トロッコへ乗りたいと思うこともある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然とそこに止まってしまう。と同時に土工たちは、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押すことさえできたらと思うのである。

 ある夕方、――それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。トロッコは薄明るい中に並んでいる。が、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。トロッコは三人の力がそろうと、突然ごろりと車輪をまわした。ごろり、ごろり、――トロッコはそういう音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登っていった。
 それから十八メートルほど来ると、線路の勾配が急になり出した。トロッコもいくら押しても動かなくなった。良平はもう良しと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
 彼らは一度に手を離すと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初緩やかに、それから勢いよく、一気に線路を下り出した。顔に当たる薄暮夕暮れの風、足の下に躍るトロッコの動揺、――良平はほとんど有頂天になった。
 しかしトロッコは二三分ののち、もう元の終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押すじゃあ」
 良平は年下の二人と一緒に、またトロッコを押し上げにかかった。が、突然彼らの後ろには、誰かの足音が聞えだした。のみならずそれは聞えだしたかと思うと、急にこう言う怒鳴り声に変わった。
「この野郎! 誰に断ってトロに触った!」
 そこには季節外れの麦わら帽子をかぶった、背の高い土工が佇んでいる。――そういう姿が目に入った時、良平は二人と一緒に、もう十メートルほど逃げ出していた。

 その後、十日あまり経ってから、良平はまた一人、トロッコが来るのを眺めていた。すると、線路へ敷く枕木《まくらぎ》を積んだトロッコが一両、太い線路を登ってきた。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は、トロッコのそばへ駆けて行った。
「おじさん。押してやろうか?」
 その中の一人は、うつむきトロッコを押したまま、思った通り心良く返事をした。
「おお、押してくれい
 良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
われはなかなか力があるな」
 他の一人、――耳に煙草を挟んだ男も、こう良平を褒めてくれた。
 その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。
 六百メートルあまり押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。そこには両側のみかん畑に、黄色い実がいくつも日差しを受けている。
 みかん畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と言った。良平はすぐに飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、ひた滑りに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっと良い」――良平は羽織に風を受けながら、当り前のことを考えた。
 竹やぶのある所へ来ると、トロッコは静かに走るのをやめた。三人はまた重いトロッコを押し始めた。竹やぶはいつか雑木林になった。その道をやっと登りきったら、今度は高い崖の向こうに、広々と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、あまり遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。

 三人はまたトロッコへ乗った。車は雑木の下を走っていった。しかし良平はさっきのように、面白い気持ちにはなれなかった。
 その次に車の止まったのは、わら屋根の茶店の前だった。二人の土工はその店へ入ると、おかみさんを相手に、悠々と茶などを飲み始めた。良平は独りイライラしながら、トロッコの周りを回ってみた。
 しばらく後茶店を出てくると、煙草を耳に挟んだ男は、良平に駄菓子をくれた。良平は冷淡に「ありがとう」と言った。が、すぐに冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた。
 三人はトロッコを押しながらゆるい傾斜を登っていった。良平は車に手をかけていても、心は他のことを考えていた。
 その坂を向こうへ下りきると、また同じような茶店があった。土工たちがその中へ入った後、良平はトロッコに腰をかけながら、帰ることばかり気にしていた。
 ところが土工たちは出てくると、無造作に彼にこう言った。
われはもう帰んな。俺たちは今日は向こう泊まりだから」
「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら
 良平は一瞬呆気に取られた。もうすぐ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の距離はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そういう事が一気に分かったのである。良平はほとんど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。彼は若い二人の土工に、取って付けたようなお辞儀をすると、どんどん線路沿いに走り出した。

 良平はしばらく無我夢中で線路のそばを走り続けた。彼は左に海を感じながら、急な坂道を駆け登った。時々涙がこみ上げてくると、自然に顔が歪んでくる。
 竹やぶのそばを駆け抜けると、夕焼けのした日金山《ひがねやま》の空も、もう火照りが消えかかっていた。良平は、いよいよ気が気でなかった。
 みかん畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、滑ってもつまずいても走って行った。
 やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。

 彼の村へ入ってみると、もう両側の家々には、電灯の光が差しあっていた。彼は無言のまま、明るい家の前を走り過ぎた。
 彼の家へ駆けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周りへ、一気に父や母を集まらせた。父母は彼の泣く訳を尋ねた。しかし彼はなんと言われても泣き立てるより他に仕方がなかった。あの遠い道を駆け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気持ちに迫られながら…………

 良平は二十六の年、妻子と一緒に東京へ出てきた。今ではある雑誌社の二階に、校正の筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然なんの理由もないのに、その時の彼を思い出すことがある。――世俗の煩わしさに疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い竹やぶや坂のある道が、ほそぼそと一筋断続している…………

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