たくひあい 2023/08/13 16:05

なとなと 初盤 前編

解説

一番始めの頃の原作を載せてみました。
※この頃のまつりは『祭』表記だったんで名残があり、今より元気な性格です。
2007年とかかな。ポケクリに載せて居ましたが、現在ポケクリは音信普通。
 輪るアレも、この頃から、なとなとを重大に見えるように改竄しようとしたのかも?
など、様々な作品の元になっても居る作品です。卵とツナを入れよう、という標語が流行りました。作者は特にツナを入れる想定はしていませんでしたねw



prologue

あの日――――

『今まで、ありがとう』
と。親友のひとりからそんな電話がかかってきた。
――驚いた。
面倒くさがりやの彼女が、わざわざ私に電話をかけてくることにも。別れの挨拶ような、彼女の言葉にも。
「どうしたの、なにかしたの?」
「いや、そうじゃないんだけど……なんか、最近、うちのまわりがおかしくてさ。近いうちに、私は――」
聞きたくなかった。
最後まで言わせたくなかった。
遮るように、わかった、と言った。

「わかった、わかったよ。今度の休みに家に行くからね。頼もしい男の人も連れて」

そう言うと、少し、間が空いた。
そのとき彼女が何を考えていたのかなんて、知るすべもないけれど。
ふふふ、と小さく、震えた声がしたのを覚えている。
 それから、彼女は、ありがとう、と繰り返しのべた。

「……心強いな、優しいね、ありがとう」
「うんうん、だから、ちゃんと……待っててよ?」
「わかった。あんたのそういうとこ、大好きだ。楽しみにしてるね」
「うん、ばいばい」
「またな!」
なんてことない、ただの会話だった。
でも思えば、あれが、彼女との、最後の――――




0.ナナト

ぼくは、行七 夏々都 (ゆきしちななと)。


自分の名前が強調しているほど夏はそんなに好きじゃない。
あだなは七行くんだった。
――という我ながら素敵だと自負している自己紹介を思い付いた小さいときから、今に至るまでこの自己紹介を使えたことがない。

「名前なんてどうでも良いだろう」としらけるのは明らかだったし、誰も意味がつかめず、ウケも取れずに失敗すればただの寒いやつである。いや、痛い。ほぼ確実に痛い。

  実は想像するだけで、意識の奥に潜在するマゾヒストな精神が一瞬戦慄して、そこからすぐに歓喜しそうなところだったりするが、やはりそうと言えどもチキンなぼくにはどうしても使う勇気がなかった。



一瞬の快楽ですべての信頼を失いそうな感じがする。
それこそ、好きな人に好きだという方が易いくらいだと思う。
ああ、痛い。心が痛い。やってはいけないと思うほどやりたくなるのはなぜだろう。
 ぼくの欲求は、たぶん、満たされない。
欲求ってのはそんなものであり、いざ全てを満たしてしまえばいろいろ人生が終わってしまうのだと思う。



 ぼんやりとくだらないことを考えながら、予定の時刻をもう30分すぎている柱時計を見上げる。
呟いてみた。

「まだ来ないのか」

そのとき。
待ち合わせていた人物、佳ノ宮 まつり(かのみや まつり)が両手を伸ばして勢いよくやって来たのが見えた。
 なので、ぼくしかいないような寂れたこの公園の噴水から離れると咄嗟に後退り、走り出すことにした。つまり距離をとる。


 まつりは、一応幼なじみだ。
嫌いではないが、最近はいつもこうやって抱き付こうとしてくるので、ぼくとしてはつい距離を取りたくなる。誰かに触れられるのはどうも苦手だ。



しかし、どうもやつは、嫌がるぼくの表情を楽しんでいるような悪趣味なやつである。我慢出来なくもないけど、とくに、こんな外で、こんな暑い日には全くやめて欲しい。

「なんで逃げる」
「追われると逃げたくなるんだよ」
裸足で走ってくるまつりの元気さはどういうことなんだろう。
いや、裸足? 靴を履け。公園の、なにが落ちてるかもわからないような道で足を怪我したらどうするんだよ。
「まて」
「嫌だ」
 ぐるぐる駆け回る。
しばらくはぼくの優勢だったはずが、あいつはわりと足が早いので運動不足のぼくは、情けなくもすぐに追い詰められた。
ついにすぐ近くにまつりが見え、あーあと思っていたのだが、相手は来ない。
「ん?」
不思議に思い振り向くと、相手は地面に寝そべっている。大地の音でも聞いているのだろうか。それなら壮大な趣味である。

「……大丈夫か?」
「いたいです」

まあそんなわけもなく、普通に転んでいた。
擦りむいたのか、足の裏から血が出ていた。(なぜか膝にはほとんど傷がない)
一部の趣味の方なら舐めたりするのかもしれないが、ぼくは残念なほどにそんな期待に応えたりしない。

「あーあ、裸足で走るから」
「なとなとが待ってくれないからじゃん。靴は歩いてるうちにどこかに消えちゃったしな」
「はいはい、すごいレベルで足に合わない靴を履かないようにー」
まつりが言うには、あいつは男でも女でもないらしい。しかし、小柄だし、顔立ちは、目がきらきらしていて、正直なところ可愛らしかった。

「おぶってよ」
「……ったく、靴どこやったんだよ」
 
 しゃがむと背中に凭れてきたまつりを背負う。
重くはないというか軽いくらいだ。それにしても、軽いのは関係ないが、人を抱えるっていうより、そういう砲を装着したような気分だった。




──こいつとの関係は、いつも変わらず、変わり続ける。

こんなことをするのも、おそらく今回だけだ。
 《ある事情》で《現在》記憶を一部喪失中、のこいつ、まつりは、 今、ぼくを見ても、きょとんと、愛玩動物みたいな反応をしていた。

 確実に覚えているものに、すがろうとしているのだ。
愛着があるから、呼び掛けて、執着するから、引っ付いてくる、たったそれだけだとは自覚しているが、頼られるのは、悪い気はしない。
 今から靴を探す気力もなかったので、歩き出す。どうせ帰り道のどこかに落ちているのだろう。公園を奥の出入り口から出て、来た道と反対をさらに奥まで歩く。


この先に目的地があった。






1.目的地

目的地。

それは招待された人の家。遠くからもよく見えた、大きな屋敷だ。
ぼくには一生縁がないと思っていたそこに、こんな形で入ることになろうとは。
同じ家に住んでいるまつりが、『友人のところに行くのだけど、友人がぼくを気になっているようだから一緒に来てくれ』と言ってきて、ぼくが断ったのはつい三日前。

 了承するまでの間ずっと機嫌が悪かったので(いつも担当していた料理をしてくれなかった)ぼくが折れたわけだが、こんなところにこられるなら頑なに拒まなくても良かった気がしてくる。
  ああ、それにしても遅刻してしまったのだが、理由としてまつりを背負っているというところから適当に推測してくれないだろうか、という淡い期待を持ってみたりしながらインターホンのボタンを押した。

「あ、夏々都くん、待ってたよ」

声の主は緋田 江國(あかたえくに)さん。ぼくと祭を呼んだ本人だ。まつりの友人のひとり、らしい。

まつりがぼくのことを話して、それでぼくに興味を持ってくれた、らしいが、本当は二人がなにを話していたのだかわからない。
 
一度それとなく尋ねてみたが「かっこいい彼氏がいるって言っといたら会いたいって頼まれたんだよー!」といかにも白々しく満面の笑みで言われたので、それではないことはわかる。


あいつは常に、自分が興味がない話題についての返事が適当なのだ。というか、彼氏でさえない。
「おーはよ、あかちゃん」
にこにことまつりがインターホンに話しかける。実はまだ、門さえ開けてもらえていないのだった。
「ベイビーみたいなノリなのか、それとも緋田だからあかちゃんなのか知らないが、その名前はやめろ」

緋田さんがつっこむ。
素早いつっこみだ。師匠と呼びたくなってしまうがたぶん師弟関係は嫌だ。

「おはよーあかたん」

「却下だ」
以下略。
「おはよ……エック」
少し疲れたように呟くまつり。うふふふ、とインターホンごしに笑い声がした。
「まあ、このくらいでいいか、待ってて、今、開けるから」
そう言われると同時に、門が開く。
「なんなんだよ」
小声で呟くと、まつりが笑いながら愉快そうに答えた。
「パスワードみたいなものだよ。成立しないと入れて貰えないの」

なんだ、そりゃ。


中にはいってすぐ。

こんにちは、緋田エックです!」

真っ直ぐ挨拶されたのでぼくはどうすべきか戸惑った。長身美人系のお姉さんっぽい、20~30歳くらいの人が、まさに赤いカットソーを身に付けて、うはははと笑っている。

「エックの誕生日だからお寿司食べようってことなのさー!」

背中の上が大きく揺れた。おいやめろ、落ちるぞお前。
「はあ、そう、なんだ」

ノリに、付いていきづらい。
この空気からするとぼくはエックと呼ぶべきなのだろうか

「エックさんってよんでな!」


とそのとき心を見透かされたような声がかかってぼくはびっくりした。


そしてやっと部屋に通された。背中にいるまつりの案内で来たときにも「おっきいよ!」と聞いていたが、本当に大きい家だ。そういえば、そろそろこいつを解放しないといけないだろう。

「……あの、こいつ、怪我したみたいで」
「えっ、マジで!」
「そうなの?」
まつりも驚いていた。なぜお前も驚くんだ。
「転んだらしくって。それで、痛いらしいので背負っていたんですが」
「気がつかなくてごめんなさい。待ってて、救急セット持ってくる」
 ぱたぱたと部屋の奥に消えていくエックさんを待つ間、広いロビーのソファーに座ることになった。

 なんの仕事をすればこんな屋敷が買えるのかな、とか考えてみる。
ソファーはふかふかでさわり心地が良かった。半分以上を寝そべってほぼ独占するまつりが結構うらやましい。
 ふと周りを見渡すと、そばのテーブルにバラの花がかかれた瓶が飾ってある。高そうだが、これはいくらするんだろう。


 コンコン、とノックが聞こえたあとに扉が開く。緋田さん(やっぱり呼びにくいのでこっちにする)かと思ったのだが違った。

「わざわざお越しくださり、本当にありがとうございます。飲み物は、なにが宜しいでしょうか」
「えっと……」
「このお屋敷に仕えている桑指健(くわし たける)さんだよ。珍しい名字だよねー」

桑指 健さんの着ている服は、そういえばテレビで見たことがある気がする……これを燕尾服というのだろうか、ぼくはそれをはじめて見た。


「珈琲ー」
「ぼくも珈琲がいいです」
まつりの好みは知らないが、ぼくは紅茶が苦手だった。
「かしこまりました」

 綺麗なお辞儀をして奥に消えていく桑指 健さんと入れ違いに緋田さんが入ってきた。やっぱりエックと呼ぶのになぜか抵抗がある。ぼうっとしていたが、ふとまつりを見ると起き上がっていた。
緋田さんが救急セットから出した液で足を消毒している。

「いたっ、いたたい、いた……あっ、い、たっ、ひっ」
まつりは叫びながらおとなしく座っていた。丁度ドアが開き、桑指 健さんが珈琲がふたつのせられたトレーを運んできた。目の前のローテーブルに置かれる。
「あっ、エックのは何でないの」
「申し訳ございません。お見えにならなかったので」
ふうん、と言って緋田さんは救急セットからテープを取り出した。
「おい、バカ卵」

ぺたっと足の裏にガーゼとテープを貼られた祭が滑ってこけそうーと悲しそうに言っているときだった。
 ばん、と乱暴にドアが開けられる。ぼくは驚いて、なぜかソファーからひっくり返ってしまった。


岩杵 灯(いわきね ともる)。この屋敷の一室を借りて住んでいるらしい。
 機嫌が悪いらしくかなり鋭くガンを飛ばされた。赤い髪をしていて、重たそうなクロスペンダントを首にかけている。背が高かった。

「あ?なんでこいつ、ひっくり返ってんだ」
くっ…… とまつりが笑いを堪える音がした。
急にぼくから顔を背けて肩を震わせている。ぼくは起き上がる。

「バカ卵だと?そい……つは誰かな」
緋田さんが岩杵に聞く。
心なしか声が今にも吹き出しそうに震えているが気にしないでおこう。
「お前以外に誰がいるんだよ、卵」
「私は緋田江國、エッグじゃねえ、エックだ!」
「あー。なとなと大丈夫ー」
「うん」

こいつは空気を敢えて読まないらしい。それに救われることもあればそれで怒られることもあるが、今回は少しありがたかった。







その間、彼、は彼女に絡んでいる。
「また金貸してくんねえ?」

軽い台詞だなあ。
と思ってしまうのは、あまり、受け入れたくない世界がある事実や、心境が、現実から目を逸らさせているからだろうか。

「私を侮辱しておいてなんでそんなこと頼むわけ」

あっさり、怒りを買ったようだった。
侮辱しなければ、考えてくれそうな発言にも思えたが、こんな場所に住むようなお嬢様には気負いが少ないのだろうか?

「そんなの、挨拶だろ?カッカすんなよ」
「ふざけないで。この前のも返してもらってないんだけど」
石杵さんからは煙草とアルコールの匂いがした。
「んー、高そうな、マイルドな匂い」
まつりが呟いた。
ぼくにはよくわからなかったので適当な相づちを打った。
「お前はいいよな。一生働かなくていいような財閥に生まれて。おれに渡すくらい、些細なことだろーに」
「そういう問題じゃないでしょう」
「あん?」
 緋田さんの方に岩杵さんの拳が向かう。このままじゃ殴られる。
そう思ったが、緋田さんは殴られなかった。まつりがぱしっ、と拳を両手で止めたのだ。
「ちょっとくらい……助けてくれたっていいのによ」

ちっ、と舌打ちをして岩杵さんは奥の部屋に戻っていった。

それを見届けてから、まつりは緋田さんに問う。
「最近電話で相談してたの、あの人なんだな?」
「そう。そうなの」

緋田さんは苦笑いだ。
相談って何か気になるが、ぼくが聞くことでもなさそうなので口を挟んだりしなかった。
「ふうん、大変だね」
「あはは」
コンコンとまたノックが聞こえ、すぐに桑指さんが入ってきた。

「お食事の準備が整いましたよ」

そういえば、こんなに大きな家だけど、仕えている人は桑指さんしかいないのだろうか。それとも、別の理由があるのだろうか?

疑問に思ったが、まあ踏み込む必要も無いか、と思い直した。

下に降りるよ、と緋田さんが言った。祭は嬉しそうに足を踏み出して、すぐに涙目でしゃがんで、またよたよたと、足の角度を傷が当たらないように調節しながら歩き出した。
今閃いたらしい。ああ、そういえばぼくもお腹がすいた。



2.お寿司とお醤油

 階段を降りて右に曲がった部屋に通された。
開けるとまさに想像通りに大きく白いテーブルがあり、どこかでテイクアウトしてきたらしい寿司が沢山あった。
「おいしそうー」
と、ごきげんで近くの席に座りだす祭にぼくはどうすべきか戸惑ったがとりあえず隣に座った。
「好きなの食べていいよー。なかったら頼むから」
「はい」
「いただきまーす」
 このなかにないものがあるのかを問いたいような豊富な寿司が並んでいて圧倒されるぼくの横で祭がまぐろの寿司を掴んで口に放り込んだ。わさびはつける派らしいが、醤油はつけない主義らしい。

うーん。ぼくは醤油もわさびも沢山つけたいタイプだから、理解できない。
まあ、美味しいならそれでいいか。
「あっ夏々都くんは醤油つけるタイプかな?」

赤いカットソーの腕を捲りながら緋田さんが聞いた。
食事の前は腕を捲るらしい。
気合いを入れるのだろうか。
「はい」
「ひょうゆいらなーい」
「だろうね。フェスは野菜もサラダ以外ドレッシングかけないやつだもんな」
 あーん、と祭が二つ目のまぐろを食べている。あだ名に突っ込んだりはしない。美味そうに食べるやつだ。素材の味を堪能したいらしいが、本当に堪能しているのがわかる。

「じゃあ、醤油入れるから夏々都くんの後ろにある棚から、小さい皿出してくれない?」

 振り向いて、後ろにあった木製の立派な棚のなかから目についた小さい皿を二つ出す。一枚を緋田さんに手渡し、一枚を自分の目の前においた。

「おっありがとー!タケちゃーん。醤油ー!」

 そういえばこの部屋には醤油がなかった。寿司の入った黒く丸い入れ物はこれだけあるのに。

「申し訳ありません。今、手が離せなくて」
奥のキッチンの方からタケちゃんこと桑指さんの声がした。フライパンを使っているらしい。

「なにか作っているのかな?気合い入ってるね、嬉しいなあ」

緋田さんがふふ、と笑う。「あ、ぼくが…」
「とってきてあげるよ」
ぼくが行こうとしたのだが、玉子と海老の寿司を二つ口に押し込んだ祭が立ち上がって、また一瞬悲痛な顔をしてはすぐに表情を戻し、足の角度を少しあげながら歩いて行った。

 少しして桑指さんと祭の声がした。
キッチンのどこに醤油があるか聞いているらしい。
ぼくがいくらを口に放り込んだときに祭が戻ってきた。
そのとき、いくらはあまり好きではないのだが、なんとなく食べていたぼくは変な顔をしてしまった。
「さんきゅー」

緋田さんが受け取ったのは中身の見えない、醤油と書かれた2000ミリリットルくらいのボトルだった。



3.誕生日


ぼくは家で醤油をかけるとき、醤油入れと呼んでいる小さな瓶に 入れているのだが、ボトルからそのまま醤油を付ける人もいるみたいだ。


「あれ、これもうないじゃんー!」

緋田さんが醤油をボトルから皿に入れながら残念そうに声をあげた。ぎりぎり一皿ぶんくらいだ。緋田さんのぶんは足りるが、ぼくのぶんはなさそうだった。

「タケちゃーん、醤油の新しいのってあるー?」
「つけずに食べちゃえばいいのにー」
「うーん……」

確かにそうなんだけど、それはそれで、緋田さんがせっかく頼んでくれているのを無下にするような気分になるし、複雑だった。


「すみません、切れていたみたいです。ちょっとそこまで買って来るので」

台所から、戸棚を探しながら桑指さんが言う。

わざわざそんな手間をかけさせるなんて、とぼくは申し訳ない気持ちになってしまった。

「いいです、ぼくも醤油は無くて」

「あーれ、そういえば、普通付属に醤油がついてるもんじゃあ、ないのかなあ?」

祭が不思議そうにキョロキョロと周りを見たが、醤油はなかった。

「さあね? そうかなのかな。家にあるからって断ったんじゃない?桑指さんってエコ好きだから」

緋田さんが気に止める気もなく醤油をイカにつけていた。

美味そう。少しわけてもらいたいくらいだが、女子と同じ皿の醤油を食べるというのには慣れないというか出来そうにない。
はっきり言おう、勇気がない。

「そうなんだ」

だから、ついてたら良かったのになと少し思った。






 イカを食べるかと思いきや醤油をつけて、皿に置き、次は海老を取ると醤油をつけて、皿に置く緋田さん。
彼女の嗜好が指すものがまったくわからない。
並べるのが楽しいのか。

ぼくはとりあえず近くのサーモンを食べた。サーモンは一番好きだった。とても美味しい。
「美味しいよー!やー、エック、生まれてくれてありがとー!」
生まれて……そうだった、確か今日は。
ぼくはすっかり忘れて食べていた。
「あのっ、お祝い、何も用意してませんが……」
「んあ、どういうこと?」
緋田さんは、どこにあったのか、真っ赤な液体、もといシソジュースをぐびぐび飲みながらこちらをみた。強くシソの匂いがする。


「あの……一緒に食事させてもらうだけで……ぼくはその、祭についてきただけですし……誕生日を祝ってるというより……」
「えっ誕生日?」
緋田さんが驚いた顔をした。
「え?」

なぜそんな顔をするんだろう。
今日は、緋田さんの誕生日なんじゃ。

「フェス、お前、まーた適当なこと言ったな」
「美味しいー美味しいよ、このお寿司!」
「今日は誕生日でもなんでもないよ。この前フェスとナンプレとダイヤゲームで勝負してね、フェスが勝って、私が寿司を奢るっていうことになっていたんだ」
「えぇ……」
なんだそりゃ。
「そして、注文しすぎちゃってさ。てへへ」
「それで、任せろって、言ったんだよー」

 《今の》まつりは一人称を使いたくないらしく、仕方ない状況以外めったに使わない。一瞬なんのことかと思ったが、任せろと言ったのはぼくを呼ぶことだったらしい。











「なんでもいいけどさ」

呟きながらふと気になって隣を見るとまつりがまたもやどこかにあったらしい麦茶の入った重たいボトルを差し出してきた。

グラスを手に持っているようだ。キャップを回してみる。なかなか開かない。


「う、おおう」
負けるわけにはいきまいと力を込めてキャップを回す。すると、だんだん回るようになってきて、なんとか開いた。手が赤くなる。

「すごい」
まつりは感心している。
その手に握られたグラスに麦茶を注いでやると、ありがと、と言って口をつけはじめた。ぼくも近くにあったグラスに麦茶を注ぎ飲み干した。


「醤油が染みてきた!よーし、食べるぞ」

正面を見ると緋田さんが寿司を両手にもっていた。
ようやく食べるらしい。よくわからないが、なんともこだわりのある人だ。

「その儀式まだやってんの。早く食べないと、全部消えちゃうんだよ」

まつりがだるそうに言った。
ぼくは次に何を食べようかなと視線を巡らせる。
よし、タコだ。

「ううっ」

えっ、と顔を 上げる。
緋田さんから、嫌な声がした。

「エック、エック?」

ぱたり、と倒れる緋田さん。目を見開くまつり。ぼくも一瞬硬直してしまった。
「どしたの、ねぇ、エック…ねぇ」

動揺のあまり揺さぶろうと近づくまつりを制止する。
「緋田さん、緋田さん! 聞こえますか」

緋田さんからは返事がない。
近寄って息を確かめる。もう明らかに、息をしていなかった。

彼女の口からは独特というか、表現しがたいのだが、なにか、あまり嗅がない臭いがした。ゆっくりと、彼女が飲み下せなかった泡が伝っている。


「……とにかく、で、電話、電話しなきゃ」

まつりが電話を探して立ち上がる。目は潤んでいた。
ぼくも電話を探してみるが部屋に電話が見当たらない。こんなに広いのに、こんなに物があるのに、どうして電話がないんだ。

「ない…電話自体がない!なんで…桑指さん!」

どうしました?と事態を把握していないらしい桑指さんが、奥の方から戻ってきた。
フライパンの音はそういえばやんでいる。
三段重ねのホットケーキが入った皿を両手に抱えて歩いてきて、立ち止まった。
「お…お嬢様?お嬢様、いかがなさいましたか?お嬢様」

目を愕然と見開いてふらふらと緋田さんに近づく桑指さん。

「寿司を食べたら…急に…呻いて……あ…あああ…あああ…ああああああああ」
まつりがぽろぽろと泣き出す。体はやはり震えていた。

■続く■

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