「好き」と「癖(へき)」
自分が好きな作品って、きっと必ずなにかあると思います。
そのコンテンツが「好き」なのか「推し」なのか、それとも「癖」なのか。
どれも同じような感じ方に見えますが、自分にとっては異なります。
「癖」というのは「好き」の上位互換みたいなもので、「三度の飯より~」という言葉が存在するのと同じように、最早人間の三大欲求と同格レベルで求めてしまうものという意味合いで「癖」という言葉を使っています。
それくらい「癖」とは好きの最上位の表現であり、コンテンツ内に「癖」にぶっ刺さる要素があればそれだけでそのコンテンツに夢中になれる、それくらい強い表現だと考えています。
一方「推し」というのは「好き」の大なり小なりの関係とはまた違ったベクトルのもので、そのコンテンツに対して良いとかすごいと感じたところがあって、それを他の人にも共有したいという気持ちであって「好き」=「推し」という使い方は自分ではしていません。
ちなみに自分にとっての「癖」はこの5つ。
この要素がある作品はほぼ無条件で「好き」といえるものになりがちです。
- 子どもたちの挑戦、挫折、成長
- 幼馴染ふたりの思い出、再会
- 主人公、ヒロインの選択によって世界の命運を分かつセカイ系
- ポスト・アポカリプスよりも後の終末世界
- 人と人ならざる者の交流、共感
自分が前々から好きなアニメ映画「planetarian ~星の人~」が、なぜ好きなのか。
その理由は、上で挙げた要素全てが含まれている作品であるという理由が強いです。
結構この「癖」というものが自分で何か理解していると、後に出てくる作品を観たり知ったりするモチベーションにも繋がりますし、理解することで自分が本当に好きなものが何かというものも理解できるんじゃないかなと思っています。
可能であれば「癖」の内容が「◯◯の作者」だったり「作品名」ではなく「具体的な要素」で理解できている方がベターです。お試しあれ。