攻略サイト運営記 2023/02/14 19:00

Vampire Survivorsは何が素晴らしかったのか?

メインサイトの方に書いていたものですが、
こちらに載せたほうが良いだろうと思い、
こちらに記事を移動することにしました。

今回は[Vampire Survivors]に関してです。

https://yuruminmemo.blog.fc2.com/blog-entry-1365.html


そもそも、今回のことを書こうと思った理由に関してですが、
それはあまりにこの作品を真似する製作者が多すぎるからです。
steamを見れば、色々と真似ているのを見かけます。

じゃあ、ああいったのがヒットしているかといったら、
そうではないわけです。

では、なぜ本家はヒットしたのか、そこの部分に関しての話です。

[Vampire Survivors]は何が優れているのか?

皆さんは、攻撃ボタンを押さずに、
移動だけで戦い続けるという、
このデザインが凄いと思っている人が多くないですか?

実は見るべき箇所はそこではないです。

この作品の優れているところは、
プレイヤーを誘導する力です。


まず、この動画を見てみてください。

この動画の2:40あたりからの話。

「プレイヤーは『こういうゲームなんだ』と理解したら、
後はその人のものになって、自分で遊び始めていく」
この部分が重要です。


マリオとかで言えば、
「あ、敵を踏みつけたらやっつけられるんだ」
と理解したり、その延長上でカメを踏みつけたときに
「なんだ?こいつ、甲羅になったぞ」
という状態から、
甲羅に触れてみて、その甲羅が蹴飛ばされて
他の敵に当たった時に、
「ああ、これでもやっつけられるんだ」
と理解したり。

でも、甲羅は調子に乗っていると
自分に跳ね返ってきて
「ぎゃ~」っとなったりもする。

その人が理解していって、自分でそのキャラクターのアクションを
楽しみ始める。

その人のものになっていくということですね。

そのキャラクターを動かすことが面白くて、
そこに期待するものや裏切るものを投入する。
それをプレイヤーがどんどんクリアしていく。

プレイヤーが楽しんでいるところに、
どんどん投入していくということです。


ゲームというのは、表面的にはしっかりできているように見えて、
プレイヤーからすると面白く感じられないことがあります。

そういった場合に陥りやすいのが、
ステージの方をガチガチに作ってしまうというものです。

プレイヤーからしたら苦行だから、
プレイヤー側がもっと手札が欲しいとなっても、
「それだとこのステージが壊れる。
このステージは、このくらいの苦労を体験しないといけません」
とステージの擁護が続いて窮屈なままということがあります。

これを突破するヒントになる言葉というのが、
↓この参考記事の3ページ目にある言葉。
https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/momotetsu

「ゲーム画面の中を作るな。ゲーム画面の前を作れ」

という言葉です。


画面の中を必死に作って、
「俺はこういったステージを作ったんだ」
と緻密さを主張しても、
それは画面の中を必死に作っただけではないのですか?
という可能性がある。

コントローラーを握ったその人は楽しんでいますか?
[画面の前]の人の表情はどうなんですか?
ということです。

ステージだけを「はい、ガン」と押し付けてしまうと
「このステージをやれ」
「嫌だ、調整しろ」
「それだと、ステージが壊れる、ダメだ、これをやれ」
「嫌だ、じゃあ、こんなゲームなんかやらねえ」
と、なってしまいやすいわけです。

「ステージを消化しろ」に終始して、
プレイヤーはキャラクターを動かすアクションとして
楽しんでいない。

プレイヤーがキャラクターのアクションを理解して、
そのアクションをを楽しんでいる人に
どういうものを投入するか、どうステップアップしていってもらうか、
という作り方の方が制御しやすいということです。


それではヴァンパイアサバイバーズの話に戻しますが、
この作品[次の課題への誘導]が非常に上手いです。

最初は、金貨で強化していって、
次のステージを目指していく。

金貨での強化が揃ってきて感触がわかってきたら、
地図とアルカナが登場して、
地図を利用した過去ステージの攻略が行われる。

そしてアルカナが登場したことにより、
キャラクターごとの初期武器の個性を強めることができ、
キャラクターごとに生き延びる方法を考えていくことができる。
しかも、アルカナの解放条件自体が
色々なキャラクターで生き延びることだから、
プレイの仕方をどんどん覚えていく。

ステージをなんとかしてクリアしろではなく、
キャラクターを動かすことが先で、
キャラクターの手札をどんどん解放していって、
「じゃあ、このキャラクターでクリアするには、
どういった装備の組み合わせがいい?」
と、プレイヤーが自分で動かしていく事を促している。


特に上手いのがアンロック(実績解除)の使い方です。
アンロックで、それぞれのキャラクターで生き延びることに挑戦させて、
アルカナを解放させていっている。

金貨で鍛えていって、
「生き延びるだけなら、簡単になってきたなあ」
という時に、別のキャラを使ってみたりすることを誘導している。

これは、[UNSIGHTED]という作品のレビューの時にも書いたのですが、
海外の優れた作品の中には、実績・トロフィーを利用して、
ゲームを多角的にプレイするということを促すのが上手い作品があります。

https://yuruminmemo.blog.fc2.com/blog-category-217.html

この[Vampire Survivors]も実績(アンロック)の使い方が非常に上手いです。
(筆者の中では、
[UNSIGHTED][Vampire Survivors]がアンロックの使い方が
上手かった作品の筆頭ですね)


[UNSIGHTED]のレビューで書いたことですが、
アンロックの使い方が上手いとはどういうことかというと、
筆者は、[ベスト・キッド]という映画のミヤギさんみたいに
相手を自然と導いてあげることと捉えています。

主人公が、ワックス掛けやペンキ塗りをやらされて
「こんなもの役に立つのかよ」
と思っていたら、それが戦いでの受け(ガード)の動作に
つながっていたというもの。

やっている内に会得している状態、
アンロックを通して、同じような状態に持っていききるのが、
上手いアンロックの設定の仕方だと考えています。


例えば、[UNSIGHTED]という作品は
スーパーファミコンの頃のゼルダ系に
ソウルライクのパリィ動作が加わっている作品ですが、
一番難しい難易度の攻略に、それまでのアンロックが全て活かされる
という造りをしていました。

ボスの攻略順を逆さまにするとか、
オープニング中に倒せるだけボスを倒すとか、
1時間以内にクリアとか、
ボスラッシュモードを10分以内にクリアとか。

その最後にあるのが、主人公たちにも寿命が設定されていて、
そのカウントダウンも高速で、敵の耐久力、敵の攻撃力も高い、
ハードモードのクリア。

あのゲームのハードモードというのは、
敵が強いだけでなく、カウントダウンも速いので
[真・タイムアタック]という感じになっているのですが、
それをクリアするために、今までのアンロックが全て活かされる。

順番逆に倒したり、ノーマルモードでタイムアタックしたり、
ボスラッシュで速攻で撃破していったり、
そういったノウハウが全て活かされる。

あの作品をやり通したときに、筆者は脱帽しました。

攻略して良かったと思っている作品の一つです。


[Vampire Survivors]も、ゲームに慣れてきたら
「このキャラクターでスタートして、こういった装備を揃えれば
30分は生き残れるようになったなあ、これだけのゲームなの?」
というところに、アルカナが解放されて、
色々なキャラで生き延びてみろ、というアンロックが並ぶようになってくる。

「え、このキャラで生き延びるの?
あの武器でスタートってつらくない?」
と思うところに、アルカナとかを使い始めたら
「あ、でも、アルカナ使えばいけるかも」
となってきて、
「ああ、そうか、そうか、アルカナ使えば、
色々なプレイスタイルでプレイできるじゃん、
こうやっていけということなのね」
とプレイヤーが気付いていく。

単純にプレイするだけだったらできるようになったところに、
「いや、こういう遊び方もできるんだよ」
と提唱してくれているわけです。


[UNSIGHTED]も、ただゼルダ系としてクリアするだけだったら、
そこで終わってしまう。

それに加えて、タイムアタックとかの要素を誘導して、
順番をひっくり返してクリアしたりの楽しみ方を誘導する。

本来、そういったプレイは、マニアックなプレイヤーが
勝手にやったりするものだったけど、
それをアンロックで誘導して、作品の奥深さ、ゲームの寿命を延ばすのに
貢献することになる。

アンロックがただ単に課題なだけでなく、
やっている内に「あ、この遊び方もあるんだ」
とプレイヤーが理解して遊んでいく、その人のものになっていく、
という手助けとしての基礎にもなっているわけです。


対して、アンロックの活用がわかっていない作者は、
ただ単にゲームを隅々までやれという[指令]として活用するだけ。

ゲームとしてプレイヤーに理解していってもらうのではない。
「これだけ?」
と思ったところに
「いや、こういう遊び方もあるんだよ」
と気付かせる誘導では無く、
自分のゲームで時間を奪い続ければ勝ちと考えているだけ。

「プレイした以上は『ゲームをした』ってことだろ」
と隅々までやらせるようにトロフィーを設定し、
「はい、お前、俺のゲームを隅々までプレイしたね。
それはそこまでプレイする中身があったゲームということだよね。
だから、俺のゲームは名作ね。」
と、それがゲームとしての楽しみにつながっているのか無視して、
作業として指令を出すだけ。

要は、上から目線で見下して
「ゲームをやれ」と課題を押し付けているアンロックの出し方です。


ただ、アンロックでの誘導が絶対に必要というわけでは無く、
昔のゲームはアンロックとか無かったわけですから、
アンロックでの誘導が無いと絶対に面白くないわけではない。

でも、アンロックでの誘導がやっていることも
本質的には同じなのです。

その人がゲームを手に取ってみて、
「こうしよう」と自分で遊び始めること。
そこに要素を投入していって、その人が対処していく。
それが、画面の前の人が楽しんでいる姿になる。
画面の中を作るのではなく、画面の前を作る。

アンロックでの誘導もやっていることはそこなんです。
「あ、このキャラで生き延びるには、
このアルカナを使って・・・」
と気付いて遊んでいく。

その人がどんどんプレイしていくでしょ、ということです。
理解を促す手法の一つとしてアンロックでの誘導もあるよ、ということです。


こういった部分が、[Vampire Survivors]を
猿真似で作っているだけの作品に欠けているものです。

「攻撃ボタンを押さずにずっと動き回って、
どんどん来る敵を倒せばいいんでしょ」
と解釈して、ガワだけ真似たものを作る。

でも、それはプレイヤーがアクションを理解していって、
そこに次の課題を投入していくというステップアップの仕組みが、
ちゃんと成り立っている設計なのですか?
その部分が抜け落ちている。

画面の中だけを作ってしまっている。
ステージだけそれっぽいものを作る。
アクション(動かす側)としてどう楽しんでいって、何を投入していくかの視点がない。


よく考えてみてください。
それっぽいジャンルを作っただけで名作になるのなら、
マリオメーカーで作られたステージは、
すべてマリオ原作に匹敵するほど名作なんですか?

それっぽいものでいいなら、
マリオメーカーで作れば全て名作じゃん、となってしまいます。
それが答えです。

[Vampire Survivors]を真似た作品は、
ツールが無いから作るまでの労力がそれだけ必要になるだけで、
それがマリオメーカーで作った面白くないステージと
同じつまらなさになる可能性もあるわけです。
というか、それを本当にやってしまっているから面白くないのです。

逆に、ちゃんとわかっている人が作れば、
マリオメーカーでも面白いステージは作れるでしょ、ということです。


ですから、[Vampire Survivors]を
攻撃ボタンを押さなくて移動するだけで戦っていくという
[お手軽な見栄え]で売れるゲームを作りきったと思う人、
そう解釈して真似るだけの人は本質が何もわかってないです。


ややこしいというのなら、
まず今から言うことから考えてみてください。

マリオならマリオのアクション、
ジャンプして敵を踏んで、甲羅とかを蹴ったりするアクション部分。

ロックマンならロックマンのアクション、
ショットを撃って、移動して、ジャンプして、
武器を変更して別のショットを撃って、というアクション部分。

そこが先で、そこに課題を投入する。

そして、プレイヤーはそのアクションを理解することで、
「このアクションを利用してこうやってみよう」
と考え始める。

「よ~し、この部分から切り崩してやるぞ~」
とプレイヤー側が、自分でニヤリとして攻撃を組み立てていく、
ここが先。

プレイヤーが理解したところに何を投入するか、
マリオで亀を踏みつけたところで、
「あ、これで他の敵を倒せる」
と思って、ニヤリとして倒していくけど、調子に乗り過ぎると
自分に跳ね返ってきて「ギャ~」っとなるわけです。


「このショットおもしれ~」
「この攻撃おもしれ~」
とアクションを楽しんでいる。

画面の前のプレイヤーがそのアクションを理解して楽しんでいる。

そこに期待するものや裏切るものを投入する。


Hadesとかも、剣を振る動作に電撃や吹き飛ばしが加わって、
「おお~」となって、凄いように感じるけど、
電撃は周囲の敵にバウンドするから、単体のボスとかでいまいちで、
「ああ、これだったら、別の取ってきたら良かった~」
となったりする。

そういった部分がちゃんと成り立っているからヒットしているわけです。

https://yuruminmemo.blog.fc2.com/blog-category-207.html


対して、悪いパターンというのは、形から入って並べただけのもの。
「マリオって、足場があって、敵が配置されていればいいんでしょ」
と表面的な見栄えから入って、
プレイヤーがプレイしていく上での配置になっていない。

その中でも危険なのが、
自分はゲーム製作者という立場になったんだぜ、へへん。
と思って、プレイヤーにとってマウントを取ろうと考えるパターンです。

今、世の中に浸透しているテレビゲーム、
あのテレビゲームを作る側に立ったんだぜ。
と偉い側の象徴として考える。

特に、相手を否定することでマウントを取り、
他の人間がやっていることを見下していて、
「自分は他人とは違う生き方をしてやる。
他の奴の生き方は全てくだらない。
自分は特殊な生き方をしてやる。」
と考えている人間が作者という立場になって、
その見下しの延長上で作品を作る。

とにかく否定から入るしか思考パターンにない人間が
その他者への否定を実現する場所として、
苦行をさせないと気が済まないような設計にする。

そういう人間は、
「俺の作るゲームが簡単にクリア出来たらいけない。
抜け道なんて全部潰してやる、
このステージは、これだけの試練をお前らは味わわなければいけないんだ」
と、苦しみを与えることで、
他者に現実の厳しさを教えている側、他者を「坊や」、「ガキ」扱いしている、
「俺って大人側」と考えて、ただ単に苦しみを与えることを目的で、
設計を固めていく作り方をしたりします。

「俺はゲーム製作者になるんだ」
と形から入って並べていって、並べる技術がわかってくるほど、
苦しめるための配置ばかりやっていく。

プレイヤーが文句を言うと、
「それはお前が軟弱なだけだ」
と全て切り捨てる。

プレイヤーがなんとかして抜け道を見つけると、
「このステージがそんな方法でクリアできるとは許せん、修正だ」
と下方修正は速攻でおこなう。

それで不満が出てきたら、
「作る側じゃない奴が文句を言うな。
作る側というのはそれだけ偉いんだ、作ることもできない奴は黙って崇めていろ」
と上下関係を構築しようとしてくる。


それは、画面の中を作っているだけです。
画面の前(のプレイヤーの表情)を見ていません。

その人が楽しむ設計、
その人がゲームをしていくという設計になってないです。

ゲームを作るというのは、マウントを取るための道具じゃないんだよ、
ということです。

パソコンの授業だけイキるオタクの延長上で作っても、
それは人の前に出せるものとは言えなかったりするよ、ということです。


結局、創作物というのはその人の根っこが反映されるものです。

悪意を持っていたり、いたぶることが目的の人は、
それがそのまま出てきます。

形を真似さえすれば、その形がイメージするものが保証されて、
そういった根っこの部分を隠してくれるわけではありません。

むしろ、根っこの方が一番反映されるものであって、
どの形を真似ても、作品の質というのは根っこに左右されます。


[Vampire Survivors]に関しても、
プレイヤーがプレイしていくものと考えた上での、
課題の投入の仕方、ゲームを理解させる誘導が上手いです。
設計をちゃんとできているからヒットしたのです。

この作品の事を、
インディーによる簡素なものを出したら偶然にそれがヒットした
と考えるのは危険です。

この人たちは、何かしら理論を学んだ上で作っているような作り方、
そういう作り方をしているように感じます。

そのくらい、ちゃんと作っています。


これからの製作者の方たちへお願いしたいのは、
ガワを真似たら、俺だって売れる作者の仲間入りができる、
と安直に飛びつくような作り方はしないで下さい。

(参考にしたらいけないわけではなく、中身をわかった上でアレンジしたりする。
例えば、[UNSIGHTED]とかはゼルダやソウル系から来ているわけですから、
参考にしたものをアレンジして独自のものにしているわけです)

そして、物事を見つめる時も、
いきなり肯定か否定かではなく、
それを[知の領域]で見つめてみてください。

なぜなら、物事の改善や考え方のレベルアップは
態度が解決してくれるものでは無く、
知性が解決するものだからです。

自分が
「ああ、ここでプレイヤーはこう考えて
こうプレイしてしまうようなものを与えてしまったことになるのか、
じゃあ、構造的にこうしないと」
と、目の前の物事を、知で見つめてみる。

手に取った人たちはどうプレイしてしまっているんだ?と考える。

相手から不満をぶつけられて、
「黙れ、俺は作者様なんだぞ、作れもしないのに口答えするな」
とシャットアウトして、態度を追いかけるだけだと、
物事の本質は何も見えないままになる。

態度に対して、すぐに態度を作るのではなく、
その態度を生み出す前に、
知の方で見つめる作業をする。

「これは何が起きているんだ?」
と知の方で構造を考えてみる。

手に取っている人はどうプレイしてしまっているのかを
先に考えてみる。
「ああ、こういう解釈やこういう間違った誘導が生じてしまっているんだな」
と、手に取っている側に何が起きているのかを考えてみる。

そういうのが湧くには、形だけ真似て
「はい、私、作者です」
で片付けてしまう考え方から抜け出さないといけない。

「はい、私、作者です」だけだと、
そこから先がない。

手に取ったプレイヤーにとって、どういう設計ものを提供できるかという
デザインの領域には踏み込めていない。

表面的に作者になって満足して、
そこにしがみついているだけです。


自分で考えて出力して、
その結果を見つめて、また出力して知性を深めていく。

知力をつけましょうということです。
記憶しているだけだったり、形をなぞっているだけなのは、
知力じゃないです。

むしろ、知力で見るようになれば、
他人のやっていることも形ではなく知力で見るようになる。

他人の形というのは、他人の知の出力にしか過ぎない。
自分も知を持ち始めたら、
「自分が持っている知を、この人もなんか持っているんだな」
と、形を見ながら、その奥に潜んでいる知がどうなっているのかを見るようになってくる。
出力の意図の世界を見るようになる。
その人の知は何なのかに目が行くようになる。

裏を返せば、凄い人たちのやっていることも知があったりするから、
そこを考えずに形を見ていても(なぞるだけでは)、
[形に下駄を履かせてもらっているだけ]で、
自分の思考力が深まっているわけじゃないんだよ、ということです。


もう、世の中を見渡してみても、
ゲーム先進国とか後進国とか言い合っている状態ではありません。

インディー界隈を見ても、海外は企業とかが普通に参入して、
インディーという言葉ではあるけど、
組織だよねという製作集団も多いです。

人が多いということは分担作業もやりやすいわけで、
参考にしたものを真似てどんどん作るだけなら、
人が多ければ、その地点までは追い付いてくるのです。

でも、そこから先、独自のものを編み出していくには、
文化としての理解力・応用力が重要になってきます。

日本がグローバルの波に負けずに渡り合っていくには、
ちゃんと知っている製作者が増えてこないと
潰されてしまうと思います。

海外が猿真似している、この状況の間に、
自分たちはしっかりしておかないと危ないのではないのか?

そういう意味でも、デザインを組み立てきる思考力を大切にしてください。
ゲーム製作の[強豪国]であって欲しいのです。

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