「ゲーム」が内包できる要素に関する
unity1weekが始まりました。今回のお題は「逆」です。
構想はすでに固まり、現在はMethodOzmAを制作中です。
おまえはなにをいっているんだ
まあなんとかなるんじゃないでしょうか
unity1weekを見据えながら関係ないものを作る、最高の贅沢だぜまた遅刻すんぞ
前回の記事でちらっと触れた、
「ゲーム」という媒体が内包できる要素、をさらっと触れてみる記事です。
だいたい既知の内容な気もするので、「そんな感じだよな」くらいの印象で
読み流すのが良いと思われます。
前置き
以下、自分が考え付く要素を順に書いていくが、
これらの要素は、決して、必ずしも相反・競合するものではない。
なので、前回の記事でも書いたが、全ての要素を作りこむことは、
「理論上は」可能である。実際は作業量的な問題でそれは夢物語。
「ゲーム的」面白さ・競技性
ゲーム媒体でゲーム的面白さってなんやねん、て感じもするが。
本来の「ゲーム」そのものの面白さって言う事である。
メディア・媒体としての意味の「ゲーム」と、
本来の意味のゲームは別物と捉えるべきとも。
ゲームにはルール・システムがあり、それらに応じて課題が存在する。
前者を理解し、後者を解き明かした時、つまり攻略した時に快感がある。
パズルなんかはその典型であろう。
RPGでも、ACTでもSTGでも、「敵のパターンを分析し、弱点を見極め突破する」
という「攻略」には達成感がある。
これが、最もストレートな「ゲーム」の楽しさだと思われる。
この要素を突き詰める為には、洗練されたゲームシステムと、
それに応じたレベルデザインが要求される。
前に3回に渡って書いた記事は、全てこの部分に注がれるものである。
逆に言えば、これ以外の要素にフォーカスを当てるスタイルならば、
ゲームバランスとかレベルデザインなんてそこまで意識する必要はない。
競技性は、まあそのまま、対戦ゲームである。
ゲーム性との違いは、人対人である、ていう、それだけの話。
「ゲームバランス」が重要なのは言うまでもない。
「快楽性」の追究
快楽性/脳内麻薬/トリップ
快楽性も重要な要素である。
なんといえばいいか、
ピューン! ドカーン チュドーン! ジャラララ である。なんつう表現だ
炸裂する光、音が脳内麻薬を分泌するアレである。
ゲーム性やフレーバー性は、他の媒体でも(たとえば小説とかでも)
表現可能なものである。一方で、この「快楽性」に関しては、
機械によって作られる媒体の専売特許だと思う。
(機械、と表現した。ビデオゲームだけではなく、パチンコなんかも、
この部分の中毒性を推しだしたものだと思う。パチンコやったことないけど)
この部分にフォーカスを当てるならば、とにかくエフェクトやサウンドなどを
作りこむことになる。ゲーム全体のスピード感、テンポ感も重要だろう。
バトル中心のACTやSTG、あとは音ゲーなんかには特に重要な要素となる。
もちろん、他のジャンルでもその領分が存在しないわけではない。
RPGでも攻撃した時のエフェクトに爽快感が欲しいし、
極端な話、将棋でも駒を指した時には小気味良いSE位は欲しい筈なのだ。
インフレーション
演出面での快楽性の他に、もうひとつ「快楽性」の要素として、
インフレーションがあると思う。
数字が増える。強くなる。そういった要素である。
クリッカ―系なんかは露骨にこの部分を強調したものだろう。
ソシャゲも結局はこの部分が軸になっていると思う。
個人的に「パラメータが成長するゲーム」を作った事が余りないので、
(というかまとまった規模のゲームでそういう要素があるゲーム、
今作ってるのが初めてかも)
あまりこの領分に関しては経験で語れることが無い。まあ世には、
この部分を解説した書籍やら論文はいっぱいあるんじゃないかね。
フレーバー的魅力
フレーバー
まあわかりやすい話。 ストーリーとか世界観とかキャラクターとかである。
アートコンセプトとか、音楽とかもここに入るだろう。
これらは「ゲーム」そのものとは関係ないが、
媒体としての「ゲーム」を作るなら最早必須のものである。
大概のゲームの公式サイトには「Character」というページがある事も
それを証明している。
これらに関しても、今更ここで解説するようなものでもないと思う。
開拓性
フレーバーに近いものとして、「先に進む・未知を開拓していく」魅力である。
物語をすすめる……ここからどういう展開になるのだろう、は勿論として、
物語は導入だけのSTGでも、それこそストーリー性皆無なパズルゲームでも、
音楽や背景は複数用意されたりする。
ひとつのレベルを突破して、新しいレベルの、新しい背景、音楽に進むときは
ワクワクするものなのだ。なのですよ。
「体験」
「非日常」を体験する装置としての役割を持てるのもあるだろう。
これもフレーバー性とは近い位置に当たるが、
特に(1人称視点)としてのそれである。
主観視点のホラーゲーはここが一番近い位置になると思う。
この要素は、VRやARによって大きく発展している領分である。
……というか、それらが発展させる部分の9割はここに集約される。
VRやARはあくまでこの部分の発展「でしか」ないとも言える。
VRやARは「ゲーム性」を発展させるわけではない……口にすれば当然だが。
いわゆる「神の視点で物語を楽しむゲーム」にはVRはいらない訳で、
これから先のあらゆるゲームはVRになる! とはならないとも思う。
逆に言えば、「体験性」を作りたい! というクリエイターは
確実にこの分野に足を突っ込むことになる、とも言えるけど。
えっち
これ以上説明の必要ある?
まだあるかもしらんが、ざっと思いつくのはこれ位か。
もちろん、今書いたのは大雑把な分類であり、もっと細分化して
書き連ねる事も出来ると思う。 あと見落としもあると思う
特に、最後の1行で片づけたやつとか、微塵切りの細分化がされている、
寧ろ、その1行で片づけたやつが今書いている此処でどんだけ主流だというのか。たぶん総需要・供給の9割越えてる
長くなってきたので切り上げ。
次はまた前回の記事で書いた話をつづける感じになるだろうか。