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考察の記事 (11)

MetaFormingPro 2020/02/26 20:01

「ゲーム」が内包できる要素に関する

unity1weekが始まりました。今回のお題は「逆」です。
構想はすでに固まり、現在はMethodOzmAを制作中です。





おまえはなにをいっているんだ

まあなんとかなるんじゃないでしょうか
unity1weekを見据えながら関係ないものを作る、最高の贅沢だぜ
また遅刻すんぞ

前回の記事でちらっと触れた、
「ゲーム」という媒体が内包できる要素、をさらっと触れてみる記事です。
だいたい既知の内容な気もするので、「そんな感じだよな」くらいの印象で
読み流すのが良いと思われます。


前置き

以下、自分が考え付く要素を順に書いていくが、
これらの要素は、決して、必ずしも相反・競合するものではない。
なので、前回の記事でも書いたが、全ての要素を作りこむことは、
「理論上は」可能である。実際は作業量的な問題でそれは夢物語。


「ゲーム的」面白さ・競技性

ゲーム媒体でゲーム的面白さってなんやねん、て感じもするが。
本来の「ゲーム」そのものの面白さって言う事である。
メディア・媒体としての意味の「ゲーム」と、
本来の意味のゲームは別物と捉えるべきとも。

ゲームにはルール・システムがあり、それらに応じて課題が存在する。
前者を理解し、後者を解き明かした時、つまり攻略した時に快感がある。
パズルなんかはその典型であろう。
RPGでも、ACTでもSTGでも、「敵のパターンを分析し、弱点を見極め突破する」
という「攻略」には達成感がある。
これが、最もストレートな「ゲーム」の楽しさだと思われる。

この要素を突き詰める為には、洗練されたゲームシステムと、
それに応じたレベルデザインが要求される。
前に3回に渡って書いた記事は、全てこの部分に注がれるものである。
逆に言えば、これ以外の要素にフォーカスを当てるスタイルならば、
ゲームバランスとかレベルデザインなんてそこまで意識する必要はない。

競技性は、まあそのまま、対戦ゲームである。
ゲーム性との違いは、人対人である、ていう、それだけの話。
「ゲームバランス」が重要なのは言うまでもない。

「快楽性」の追究

快楽性/脳内麻薬/トリップ

快楽性も重要な要素である。
なんといえばいいか、
ピューン! ドカーン チュドーン! ジャラララ である。なんつう表現だ
炸裂する光、音が脳内麻薬を分泌するアレである。

ゲーム性やフレーバー性は、他の媒体でも(たとえば小説とかでも)
表現可能なものである。一方で、この「快楽性」に関しては、
機械によって作られる媒体の専売特許だと思う。
(機械、と表現した。ビデオゲームだけではなく、パチンコなんかも、
 この部分の中毒性を推しだしたものだと思う。パチンコやったことないけど)

この部分にフォーカスを当てるならば、とにかくエフェクトやサウンドなどを
作りこむことになる。ゲーム全体のスピード感、テンポ感も重要だろう。
バトル中心のACTやSTG、あとは音ゲーなんかには特に重要な要素となる。
もちろん、他のジャンルでもその領分が存在しないわけではない。
RPGでも攻撃した時のエフェクトに爽快感が欲しいし、
極端な話、将棋でも駒を指した時には小気味良いSE位は欲しい筈なのだ。

インフレーション

演出面での快楽性の他に、もうひとつ「快楽性」の要素として、
インフレーションがあると思う。
数字が増える。強くなる。そういった要素である。
クリッカ―系なんかは露骨にこの部分を強調したものだろう。
ソシャゲも結局はこの部分が軸になっていると思う。
個人的に「パラメータが成長するゲーム」を作った事が余りないので、
(というかまとまった規模のゲームでそういう要素があるゲーム、
 今作ってるのが初めてかも)
あまりこの領分に関しては経験で語れることが無い。まあ世には、
この部分を解説した書籍やら論文はいっぱいあるんじゃないかね。


フレーバー的魅力

フレーバー

まあわかりやすい話。 ストーリーとか世界観とかキャラクターとかである。
アートコンセプトとか、音楽とかもここに入るだろう。
これらは「ゲーム」そのものとは関係ないが、
媒体としての「ゲーム」を作るなら最早必須のものである。
大概のゲームの公式サイトには「Character」というページがある事も
それを証明している。
これらに関しても、今更ここで解説するようなものでもないと思う。

開拓性

フレーバーに近いものとして、「先に進む・未知を開拓していく」魅力である。
物語をすすめる……ここからどういう展開になるのだろう、は勿論として、
物語は導入だけのSTGでも、それこそストーリー性皆無なパズルゲームでも、
音楽や背景は複数用意されたりする。
ひとつのレベルを突破して、新しいレベルの、新しい背景、音楽に進むときは
ワクワクするものなのだ。なのですよ。

「体験」

「非日常」を体験する装置としての役割を持てるのもあるだろう。
これもフレーバー性とは近い位置に当たるが、
特に(1人称視点)としてのそれである。
主観視点のホラーゲーはここが一番近い位置になると思う。

この要素は、VRやARによって大きく発展している領分である。
……というか、それらが発展させる部分の9割はここに集約される。
VRやARはあくまでこの部分の発展「でしか」ないとも言える。
VRやARは「ゲーム性」を発展させるわけではない……口にすれば当然だが。
いわゆる「神の視点で物語を楽しむゲーム」にはVRはいらない訳で、
これから先のあらゆるゲームはVRになる! とはならないとも思う。
逆に言えば、「体験性」を作りたい! というクリエイターは
確実にこの分野に足を突っ込むことになる、とも言えるけど。

えっち

これ以上説明の必要ある?



まだあるかもしらんが、ざっと思いつくのはこれ位か。
もちろん、今書いたのは大雑把な分類であり、もっと細分化して
書き連ねる事も出来ると思う。 あと見落としもあると思う
特に、最後の1行で片づけたやつとか、微塵切りの細分化がされている、
寧ろ、その1行で片づけたやつが今書いている此処でどんだけ主流だというのか。
たぶん総需要・供給の9割越えてる

長くなってきたので切り上げ。
次はまた前回の記事で書いた話をつづける感じになるだろうか。

MetaFormingPro 2020/02/22 21:08

自分のゲームを遊んでもらいたいという執念に関する


いみのないニュートラルのへ太郎

BMSやる会も567なvirusで中止してしまったで或る
創作に専念しろと言うお達しであるな
いやunity1weekはあるけどな


とそれはおいといて、私は今現在MethodOzmAというゲームを作っている。
もちろん作った物はいっぱいの人に遊んでもらいたい。普通の事だ。
しかし、実際どういう風になるのが「良い流れ」なのかが曖昧だ。

というわけで、「ゲームを作り、遊んでもらう」事に関しての
個人的な論を書いてみる。半分は自分の為であるぞよ

コンセプトがあるという事

創作するうえで、「コンセプト」が存在する事は自明だろう。
この「コンセプト」周りで、3つのポイントがあると思っている。

・「コンセプト」を起点にゲームを(媒体を)作る
・「コンセプト」を、的確なターゲットユーザにプロモーションする
・「コンセプト」の対象でない層には過分に付き合わない

コンセプトとして作る事

当たり前と言えば当たり前の話(だとおもいたいの)だが、
作るゲームは、まず作者本人にとって楽しいゲームであるべきだと思う。
必要なのは、「自分がどういった要素を好んでいるか」を
漠然とした形ではなく、具体的な形で捉える(分析する)ことではなかろうか。

「ゲーム」という媒体にどういった形のコンテンツが内包されているかは
また別の記事で考えるとして、ひとまず自分が「ゲーム」に求めているのは

・世界観・物語性「物語」を紡ぐこと
・ゲーム性(戦略性)
・快楽性

の3つかなと。逆にあまり自分が重視しないのは

・探索性
・体験性
・やりこみ性

あたり……だろうか。個人論だと言う事を重ねて強調したうえでの語るが、
「ゲームを完成させる」という第一のハードルを突破するためには、
自分の好きな要素だけ作るが肝要だと思う。そして実践しているつもり……
……つまり、MethodOzmAは道中マップはかなり適当、
道中の移動パートは敵と戦う為だけの存在で、探索要素は無いし、
育成の自由度は無く、キャラの成長はほぼ一本道、固定なんですな。
今はオープンワールドがトレンド? 知らんがな、俺は興味が無い。

逆に、世界観は相当重視していて、これも個人的な偏執なんですが、
物語をお仕着せの倫理/道徳の枠にはめこむつもりがない。
ややトゲトゲしい言い方になるが、俺自身、今の蔓延るフィクションの、
「フィクションらしいわざとらしさ」にほとほと食傷・辟易・倦怠していて、
だからこそ自分自身にとって有為な物語性を作品に盛り込みたい。

コンセプトを伝える事

さて、制作者が、「自分の嗜好にあった」ゲームを作ったとして、
ではどうすれば遊んでもらえるか……これも文章にすれば当たり前の話だが、
ターゲットユーザは「制作者と同じ好み、嗜好を持つユーザ」だと思う。
つまりMethodOzmAは、「今のフィクションの形態に食傷している人」
最もマッチするターゲットのユーザと言う事になる。



それでは具体的に、「自分と同じ嗜好」のユーザにどうやれば伝わるか。









そのやり方は俺が知りたいです。 まじでどうすればいいんだ
俺に今できることはこうやった記事を書くしかないんだ





だめやないか


ていうか早く原稿かけや



なんか長くなってきたので続きは次回

MetaFormingPro 2020/02/07 20:01

続々・ゲームデザイン・バランス考

ここからの続き、なぞの3回目。今回は「調整」まわり。
……実の所、前回で「肝」はおおよそ書ききっちゃってるんですよね。
なので今回は割と瑣末・エトセトラな内容です。もっといえば自己満足とも。

「弱い技」と「強い技」

例えばテストプレイして、「弱すぎて使わない技」を見つけたとする。
どうすればいいか。まあシンプルな話である。対処法は2つ。
・強くする
・オミットする
折角作った制作者の身としては、どうにかして採用したい想いがあると思う。
ただ対処としては、オミットの方がはるかに楽なのが事実。
何故死に技が発生するかと言うと、大体は「上位互換技」が存在している為で、
なので、単純に性能を上げても、その上位互換技が代わりに死に技になるか、
もしくは使い分ける必要が無い「無駄な選択肢」になるかである。

……というか、「用途が同じで性能差だけある」ような技が出来てる時点で
レベルデザインを既にミスっているとしかいえねえ。いえねえ。

蛇足な話だが、「プレイヤー」に対して過度の期待は抱いてはいけない。
「制作者が使わない選択肢」は、99%ユーザも使わないと考えた方が良い。
全くないとまでは言わないが、少なくとも、制作者サイドが
「使ってくれるユーザもいるかも……」などと期待するものではないと思う。


敵に「ナメられる」

「死に選択肢」はプレイヤー側だけでなく、敵(CPU)側にも存在する。
仮に、とある敵が「A」と「B」2つの技を持っているとする。
この時、「AとBを使う」より、「ひたすらAを連発する」方が強い場合、
やっぱり「バランスが悪い」と個人的には感じてしまう。
本来、2つの技の使い分けがランダムであろうが、AIで判断しようが、
「Aの行動とBの行動を持っている」事による行動の多様性や予測不可性は
その敵の「強さ」に貢献している、と考えるのが自然である。
にも関わらず、それらの要素を覆すほどに2つの技の性能に差があるなら、
やっぱりそれは「バランスが悪い」という事なんじゃないかなあと。

個人的な美学としては、それがCPU・AIの操作によるものだとしても、
そのCPU・AIなりの「本気」で行動した方が美しいと思う。
少なくとも「舐めプ」はされたくないなーって。


例外「フレーバー的な価値」

性能上は弱すぎる技でも例外的に価値があるケース。
演出が可愛いとか面白いとか、そーいうやつである。公式ネタ技とも。
言い換えれば「フレーバー的に価値があるので死に技じゃない」とも。

敵の行動に関しても同じで、わざわざ弱い行動を取る事にちゃんと
フレーバー的な意味が存在するなら、問題ないと思います。

リリース後に発覚しちゃった「強すぎる技」との向き合い方

先述したように、ゲームを制作するうえで、「弱すぎる技」が
出来てしまう事もあれば、当然、逆に「強すぎる技」が
出来てしまう事もあるのはなんら可笑しな話ではない。
しかし、「強すぎる技」が存在するデメリットは前者の比ではない。
「弱すぎる技」はその技が使われないだけで終わる話だが、
「強すぎる技」はそれ以外の技全てを無価値にする恐れがあるからだ。
言い換えれば、「強すぎる技」はそれ以外全てを「弱すぎる技」に
変えると言える。

なので、制作者側としては、強すぎる事が(リリース後に)発覚した技は
バランス面で目の上のたんこぶであり、どうにかしたいものとなる。
しかし、その調整の仕方には一考の余地がある。

いちばんやりがちで、そしてその実宜しくないのが、
「その技の強かった部分を殺す調整」である。
例えば「威力が高すぎる技」が存在した時に、その技の威力を
下方修正するやり方である。そういう調整に覚えがある人は多いと思う。
しかしハッキリ言って、その技に頼っていたユーザからは楽しくない。
楽しいわけがない。快感だった部分を丸ごと奪われるのだから。
個人的にもワーストな調整方法である。

個人的にはオススメは「強みは残したまま弱点をつける」という方法。
ピーキーな性能にする事で総合的な弱体化を図る方法である。
前述した「威力が高すぎる技」なら、威力はそのままに何かしら弱点をつける。
例を挙げるならば「与えたダメージに応じて自傷が発生する」などだろうか。
(どういう方法が良いかはそのゲーム全体のデザインにも依存する。
 リカバリが容易かつリソースが半永久だと、この方法はあまり意味がない)

いっその事、「強すぎる技」以外を全て強化するのも一つの手ではある。
相対的にバランスは取れることになる。……とはいえ、
その使用者そのものが全面的に強くなるという事なので、
他のバランスも加味して行う必要はあるが……。

……余談だが、個人開発だったり、商業であってもコンシューマならば
弱体調整は不満は出れど、制作者側の自由である。
しかしこれがソシャゲとなると全く話は別で、
一度売り物としてリリースしたコンテンツの後出し弱体調整は
ぶっちゃけ「景品表示法違反」になる。(厳密にはDLCもか)
「そのコンテンツの性能を見てお金を出したのに、後から品質を下げられた」
というのはクレームとして真っ当に成立するので。
とはいえ弱すぎるとお金出してもらえないので、だからソシャゲは難しい……
というか、長期化すると歪なインフレが起こりやすいのである……。


とまあこんな感じで個人的レベルデザイン論を数回にわたって書きましたが……
これってあくまでゲームという媒体の中での一つの観点に過ぎないんですよね。
「ゲーム」という媒体に何の魅力が存在するのかっていうのは
いくつもの種類があって、だから、「ゲーム」を作るにあたって、
必ずしもゲームバランスを取らなければならないというものでもない。
……というのを数回にわたった記事を書いている上で考え始めたので、
次はその部分に関して書いてみようかなと思っています。

MetaFormingPro 2020/02/04 20:01

続・ゲームデザイン・バランス考


ぜんかいのつづきー

前回、「死に」ゲームが出来てしまうカラクリを書いた。
では、それを防ぐ、もしくは対処するにはどうしたらいいか書いてみる。

常に自分自身に「質問者」を設ける

まず「死にシステム」に対して。
企画段階でも、企画後でも通用する極めて簡単な方法で、
自分自身の中に、「なぜこのシステムが用意されているのですか」と
問いかける「質問者」を設ければいい。
……というか、実際にメモ帳にでもexcelにでも書き起こす。
ゲームコンセプト上でちゃんと意味がある場合は、迷わず説明が書ける。
逆にここで適切な回答が思い浮かばない場合、それが
「適当に入れた、死にシステム予備軍」に該当するという訳である。

偏見を含むが、やはり「システムの定番」が多いJRPGで起こりやすいと思う。
「バフ・デバフ」「状態異常」「属性」なんかはもちろん、
「命中・回避」「防御」「物理・魔法」例を挙げればキリがない……
(というのが数日前のTLで勃発していた気がする、ツクール界隈付近で)

というか、仕事レベルなら、プランナーはシミュレーションではなく、
実際にこの能力は要求される。
仕様書を書いた時、仕様書を読む側から「なぜこの仕様があるのか」と
質問された時、回答に窮してはならないんで。
そして熟達したプログラマーであるほど ここはねちっこく聞いてくる。
だって見てわかるレベルで無駄そうだったり矛盾する仕様組みたくねえもん。
はいそこプログラマーいやなやつとか思わないで

そして逆にここを一切聞かず、「いや仕様書にあるんで」みたいに
責任持たないプログラマーもやっぱりゴミだと思う

「攻略本」ごっこをする

「死に技」「死にアイテム」寄り。ただし「死にシステム」にも通用する。
表題の通りで、みんな大好き「攻略本」を自分で執筆してみる。
「攻略本」とは、あらゆるコンテンツに対する活用法が書かれたもの。
なので、もしここで 「使い道のない」 なんて書かれそうならば
それが「死に要素」となるのである。

……まあ前回の記事でも書いた通り、「弱すぎる技」「強すぎる技」なんかは
まともにテストすれば、自ずと見つかるものだと思うが……。

そもそも最初から仕様を盛らない

「死にシステム」に関して。
「やりたいゲームコンセプト」を実現できる最小の状態から始める。
開発的にも仕様が少ないのでスムーズに進めるだろう。
で、開発が進むにつれ、ボリュームが上がるにつれ、
その時の仕様で物足りない、バリエーションが乏しいと感じた時に、
初めて新しい要素を拡張、運用していくスタイルを取る。

これはユーザがプレイする事を踏まえてもメリットがある。
プレイする観点からしても、「最初からいきなりいろんな要素がある」
ではなく、「ゲームの進行とともに徐々に要素が増えていく」になるので
無理なく覚えていける設計になる。倦怠感も払拭されるかもしれない。

一応デメリットもあって、プログラマの実力が至らない場合、
追加される仕様のせいで、内部プログラムが煉獄を形成する場合がある。
これはもう、プログラマの実力次第としか言えない、かも……。


こんな感じか。
次回は調整周り。割とエトセトラ的な感じになっていくかも

MetaFormingPro 2020/02/02 19:21

ゲームデザイン・バランス考


おなじみ適当サムネ

絶賛v0.3開発中ですが、それはさておいて。
最近ついったのTL周りでゲーム設計、ゲームバランスに関する個人論を
ちょこちょこつぶやいていまして。
で、折角なのでそれを適当に纏めて記事にしてみる。
まあゲームバランス、レベルデザインの論文、書籍なんて
山ほど存在するだろうし、わざわざ書くほどの事かとも思うけど。
あまり推敲できてないけど勘弁してクレメンス

そもそも ゲームバランスが悪い とは何か

実際、良く言われる文句である。「ゲームバランスが悪い」。
しかし実際の所、「ゲームバランスが悪い」とはどういうことなのか。

言われる「ゲームバランスが悪い」の説得力

ユーザから指摘される「ゲームバランスの悪さ」の内容。
その時の不満は、だいたいが「敵が強すぎる」といった、
「難し過ぎてゲームバランスが悪い」というものである。つまり不満である。
いっちゃ悪いが、一人のユーザから出る「ゲームバランスが悪い」には
あまり説得力は無い。単純にそのユーザが、作者の想定したターゲットの
要求スキルに至らない「おバカユーザ」である可能性も十分にあるからである。
(一応その逆のパターンもある、レアケースだが)
そして、制作者は間違っても、こういったタイプの意見を真に受けて
「バランス調整」をしてはいけない。そうした後に出来上がるのは、
「何も尖った所のない見所が無い退屈なゲーム」だからである。
そしてそのユーザは「退屈なゲーム」になった責任は取らないだろう。

本当の「ゲームバランスが悪い」

本当の、と御大層に言いつつ、まあ多分に個人論なんですが。
直入に言うと、「死んでる要素が多いゲーム」こそが
「バランスが悪いゲーム」じゃないかと考えている。
具体的には、いわゆるJRPGなら「装備する機会が無いアイテム」
「使い所がない技」「意識する必要が無いシステム」などだろうか。

前者2つはまあ自明として、最後の一つに関して補足説明すると、
「ゲームシステムとして要素(属性とか)が用意されているが、
 そんなもの意識する必要まるでなしに、問題なく先に進めてしまう」
というヤツである。レベルを上げて物理で殴れば(ry

何故そのような事が起こってしまうのか

上にあげた3つの例の内、上2つの要因は極めて単純である。
制作者がロクに通しテストをしていないからである。
逆説的に、これらが存在しまくっているゲームは「私テストしてません」と
暗黙的に宣言しちゃっている、と言う事である……。

では、3つめにあげた「死にシステム」はなぜ生じるのか。
ぶっちゃけると「料理の素人が無理に創作料理に手を出す」
現象が起こったからではないかと。ゲームの場合は尚更、
「ぼくのかんがえたさいきょうのぜんぶのせシステム」が起こりやすい。
世の真っ当なゲームは、全ての要素に対して、ちゃんとその要素が
ゲームデザイン上意味を成しているか吟味された上で導入されている。
そこに気付かず、適当な「好きなゲームのいろんな要素を全部載せ」が
行われてしまい、それらの要素の兼ね合いが取れない結果、
「死に要素満載ゲーム」が発生してしまうのである。
レベルを上げて物理で殴れば(ry

※そんな現象が起きるので、下手な素人のオリジナルシステムより、
 市販のゲームのシステムクローンの方が面白かったりする。
 「品質が保証されているレシピ通りに作ったもの」なので自明である。
 ……それを「自分の作品」と胸を張れるかはまた別だが。
 

次回予告

より具体的な例と対処/改善方法……かも。文章調整、ちう。

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