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ミスクの記事 (4)

皆月蒼葉 2021/09/01 00:20

小説と音楽の話

 夏コミで東京に行ってる間に、船戸一人氏とサシで飲む機会がありました。話題の半分くらいはIT業界ちょっと怖い話で、残りの半分くらいが音楽の話でした。マジでSFの話ほとんどしなかった。そんな中で「小説を書く時に音楽とどう付き合っているか」という話題が出たので、ちょっとまとめておきます。

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皆月蒼葉 2021/08/14 02:53

光景と解釈の話

 まだ月の中盤くらいだと思ってたのでカレンダー見てひっくり返った。

 お久しぶりです。もうすぐ冬コミの当落が出る時期ですね。冬コミは受かっていれば艦これ本を出しつつ、リリカルなのはのサークルさんが計画してる合同誌に寄稿する予定です。で、これは多分の話なんですが、艦これ本を出すのはこれがひとまず最後になるかな、という気がします。

 別に艦これに飽きたというわけじゃないんですよ。今もpixivで艦これのマンガとか読んではぐねぐねしてるし、細々したアイデアは思いつくたび書き留めたりしています。ただ、今まで何冊か書いてきた中で、やりたいことはあらかたやってしまったなあという気持ちがここ一年すごく大きくなっていて。

 歴史改変と、艦娘とは何なのか、深海棲艦とは何なのかという話については、『終わりの花』でやってしまった。幻の戦艦土佐と、別の意味で幻の駆逐艦イワナミとについては、『ランドスケエプ』でやってしまった。あの世界はすべて集団幻覚の上に成り立つだけのものなのでは、という仮説は『艦娘ゲーム』で、深海棲艦も死んだら艦娘になるのではという発想は『楽章a』でやってしまった。深海棲艦は長江流域に栄え、三星堆文明の担い手となったという頭のおかしい妄想は『日本史の中の深海棲艦』でやってしまった。もうね、残ってないんです。

 もちろん、先ほども書いたように細々としたアイデアならいくつもあります。ゆうさみが文通を重ねるんだけど、やがて二人とも沈んでしまって、由良と涼風がそれぞれ夕張・五月雨として文通を続ける話だとか、夕張が起きると五月雨が眠り、五月雨が起きると夕張が寝てしまう相互影響性のある疾病に苦しむゆうさみの話とか、艦娘制度の広報のために小学校にやってきた夕張さんに憧れてしまう小学生の話とか。でも、それってすべて「光景」なんですよね。

 僕は二次創作を書く時に、基本的には「光景」か「解釈」かのどちらかをみんなに見せようとしてるんです。「解釈」は、原作の部分や全体について「ここはこういうことなんじゃないのか」と考えて出した僕なりの仮説。解釈それ自体では小説にならないので、その解釈をベースにお話を作ってやる必要がある。必然、わりとしっかりした分量のものができあがります。一方の「光景」は、「こういうの、絵になるよね……」という情緒的な思いつき、いわゆるシチュエーションです。光景はそれ単体でもまあまあSSとしては成り立ってしまうし、逆に肉付けをすると僕が見せたい光景がぼやけてしまう。

 どちらが上かというのは、こと二次創作という枠内で言えば答えを出すべきものでもないと思いますし、ここで検討するつもりもありません。ただ、少なくとも僕にとって書いていて楽しいのは解釈の方なんですよね。その解釈が、艦これにおいては枯れてしまった。寂しく、悲しいことです。

 解釈は特にせず、僕が見る光景をひたすらみんなに見せ続けるというのも、楽しいことだとは思います。そうしているサークルも割と多いと思う。でも、僕がやりたいのはそっちじゃない。できる限りがんばって、最後に一つだけ残している解釈を形にしてから、別のジャンルに行きたいなと考えています。

 もちろんこれはコミケの話なので、今後一切艦これの二次創作をやらないというわけではありません。先述の光景はどれもめっちゃ書きたいやつなので、オンリーイベントだとか、pixivなんかでもいいですね。どこかで出せていければなと思っています。

 そんな感じです。冬コミの本、ちゃんと出せるといいな。

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皆月蒼葉 2021/08/14 02:20

創作と感想のことについて

 創作と感想についての話題でシーンが盛り上がるのは花火くらい定期的なものなんですが、そういえば今年はびわ湖花火大会も中止になったんでしたね。コミケ2日分の人が一気に大津に押し寄せる地獄のイベントで、会場最寄りのコンビニでバイトしていたときは本当に死ぬかと思った。あれ以来、混雑時のコンビニはできる限り使わないようにしてあげようと心に決めています。国際展示場駅前のローソンでモンエナを買うのはやめよう。

 何の話がしたいのかというと、ローソンの話でもコミケの話でも花火の話でもなく、創作と感想についての話なんですが、とにかく導入が下手。今回の発端はFANBOXらしく、僕も件の記事を読んでみたのですが、何ともやりきれないなあという気持ちになりました。と同時に、同じ支援サービスを使っている身として、一応の僕のスタンスとか、思いとかをお知らせしておいた方がいいのかなあと思うので、つらつらと書いていきます。嘘。つらつらとなんか書いていけないです。ガッ……ガガッ……と調整できてない鉋みたいな感じで詰まり詰まり書いています。

発端の記事について

 記事はこちらです。

https://m-molockchi.fanbox.cc/posts/1311201

 いわゆる「死体蹴り」みたいなことはしたくないので、リンクを張ろうかどうか悩んだんですが、未読の人にとって話がいまいち見えないまま記事が進んでいくのもどうかなと思い、一応張っておきます。念のため最初に言っておきますが、この記事や、記事を書いた方を非難する気も、または擁護する気も僕にはありません。

 記事を要約すると、FANBOXで連載中の小説に感想が一件も来ず、それどころか目に見える反応すら観測できず、一方で数巻を出していた商業出版も担当編集者からのコンタクトが途絶した状態で、小説を書く気が完全に失せてしまったため無期限活動休止する、という内容です。

 やるせないなあ。

 感想や反応がないのって、確かにそれなりに堪えるんですよね。小説を書くのって、ツイッターに思考を垂れ流すのとは違ってかなり神経を使う作業だし、一作を書くのに何十時間も費やす必要がある。そうしてやっとの思いでこしらえたものに対して、なんのリアクションもないとなると、壁打ちの徒労感だけが重くのしかかってくるんです。だからこの人の気持ちも分からなくはない。つらかったんだと思う。

 ただ、この記事を読むにつけ、月500円という決して安くないお金を毎月払っていた60人以上の支援者の方々に対しても、かわいそうに……という気持ちが出てきてしまうんですよね。その人達は、「お金を毎月払っている」、言い方を変えれば「解約するという手段をいつでも取れるにもかかわらず、取らずにいる」という形でリアクションをしていたわけで、それにもかかわらず「感想も反応もないのでやめる」という言葉を突きつけられるのは、まさに「お前達が反応しないからやめるんだ」と言われているに等しく、この上なくしんどいことだと思う。

 僕はライトノベルをほとんど読まないということもあり、この記事を書いた諸口正巳さんという方を存じ上げません。ただ、この方は少なくとも商業作家としてゲームのノベライズを担当し、これまでに4巻を上梓している。それ以前にも様々なレーベルでライトノベルを書いておられるわけで、物書きとしての格は僕なんかに比べれば氏の方が圧倒的に上です。僕はといえば何年も前に出版社の方から「これは賞ではないからね」という注釈付きで大森望賞というバッジをもらっただけで、その後何の活躍もできずにいるわけで、これがもしラップバトルであれば「誰だお前、知らねえ CDの1枚も出してねえ」とdisられて、バトル後の歓声もまったく上がらないような立ち位置の人間です。

 もし氏がこの記事を読んだら、「よく知りもしない人間がごちゃごちゃと言いやがって」と思うでしょうし、僕自身そう思っています。盛り上がっている話題にいっちょ噛みしているようにしか感じられず、あまり記事の内容についてとやかく言いたくはないですし、言うつもりもありません。ただ、氏自身にも、その支援者の方々にも、つらくやるせないだろうなあという気持ちを受けてしまった。そのことだけ書いておきます。

反応駆動で創作をする危うさ

 ここからは一般論です。諸口正巳氏について綴るわけではなく、あまねく創作を行うすべての方について述べる文章です。

 冒頭で花火のように定期的なものと書いたとおり、創作と感想についての話は本当に恒例行事のように話題になります。いろんな方が、それぞれの立場から、感想を書いてほしい、感想を書くよう押しつけるな、感想も内容によっては毒だ、感想なんか書けない、などとさまざまな主張を繰り広げています。僕のスタンスはここ数年一貫していて、少なくとも僕自身の創作物への感想については「感想なんか書かなくてもいいよ。貰えるならありがたく受け取るけどね」というものであって、一般論としては「好きにすればいい」というものです。

 何度かTwitterにも書いていますが、僕は「僕が読んで楽しい、格好いいと思えるものを書きたい」というスタンスで小説を書いています。だから正直なところ、読者を置いてけぼりにすることもありますし(三光インテック事件はひどかったですね)、僕にしか分からないだろうなあという小ネタの埋め込みも息を吐くように行っています。要は「自分が楽しむために書いている」というスタンスに近いので、他人から感想が貰えなくても「まあでも僕の中ではめちゃくちゃよかった」とある程度折り合いを付けてしまえます。もちろん感想が貰えるならそれはとても嬉しいことですし、特に僕の意図をしっかりと掬ってくれるようなものだとむせび泣いてしまうことだってあります。だからたまに思い出したかのように「僕の小説読んでくれ~」と宣伝したりします(この記事を書いている今日もしました)が、基本的には宣伝しません。そこまで自分の作品に固執していない。

 これに対して、感想がほしいと叫ぶ人たちの中には、感想を目当てにして創作をしてしまっている人が多いように思います。僕はそういうスタンスを「反応駆動」と呼んでいるんですが、要は作品を書き上げることではなく、書き上げた作品に対して反応をもらうことがゴールになってしまっている。だから作品を作り上げてもそこで満足できず、反応が来るまでピリオドを打てない。感想が来ないと、それは不出来によって黙殺されているのではないかと感じるようになってしまう。そうでなくとも、徒労感が押し寄せて負担となる。

 感想を求めている人全員がそうだと言うつもりはありませんが、そうなってしまっている人が多いのではないかなあと思います。感想が貰えないという状況は、実際にはそこには何の悪意もなく、単に目に見える反応をする人がいなかったか、あるいは作者の観測範囲の外にいただけというのがほとんどなのですが、最終的には存在しない悪意を仮定してしまう人も出てきます。そうでなくても、壁打ちはつらい。

 それに、もし感想が貰えたとしても危うさがつきまといます。貰えた感想が毒を持っていた場合、蛸壺化、あるいは(僕の嫌いな言葉ですが)駄サイクル化する危険性があるからです。「○○を書いても無反応だったけど、××を書いたら感想が貰えた」「××の中でも特に△△を書くと確実に感想が貰える」というような成功体験によって、局所解――ごく一部の読者だけを意識した創作しかできなくなる人はそれなりにいます。

 もちろん、反応駆動が一概に悪いとまで言い切る用意は今のところありませんし、僕のスタンスだって危うさを孕んでいるのは事実です。自分の好きなことだけ書き殴るというのは、突き詰めれば他人のアドバイスを一切聞かずにがむしゃらに書き殴ることに繋がるわけで、より深い蛸壺にハマっていきかねませんからね。そういう意味では、毎回何か書くたびにしっかりと辛辣な評価をくださる先輩方の存在は(皮肉ではなく)本当にありがたいと思っています。

感想を延命装置として用いるべきなのか

 今回の件に限らず、Twitter等で比較的よく見られる言説の一つに、「感想がないと作者は創作を行う気力をなくしてしまう。だから読み手は感想を書くべきだ」というものがあります。特に読み手側からこの言葉が出ることが多いように思います。「大好きな作者が創作をやめてしまってからでは遅い」というような論調で。ですがこの考え方については、僕個人としてはまったく賛同できません。

 こうした考え方の前提にあるのは、「創作をする人はそもそも承認を求めている」という仮説です。創作者は第一義的には承認を得ようと創作をしていて、だからこそ感想や反応という形で承認が得られないと創作をやめてしまう、という論法ですね。そういう仮説がないと、この考え方は成り立たないように思えます。例えば先ほどわざわざ「第一義的には」と断りましたが、二義的、つまりメインの目的ではないにしろ一応承認をも求めている、という状態で創作者が創作を行っているのであれば、承認が得られなかったところで、メインの目的が別にあるのならその創作者は創作を続けるはずです。

 この考え方については、非常にひねくれた見方をすれば、創作者をバカにしているのかな、とすら思わされる危うさを持っているのではないかな、と僕は考えています。創作者は誰かに褒めてもらいたいがために、小説を書いたり漫画を描いたり音楽を作ったりしている。だから誰からも褒められないと、その人は拗ねて作るのをやめちゃうよ、と。これ、創作を行っている人は怒っていい考え方だと僕は思うんですよ。もちろん、先述の考え方を主張する人は何も「アイツらは褒めないと拗ねるから」というような悪意めいた発想を明確に抱いているわけではありません。十中八九、いやまず十割、善意でそうした主張をしているはずです。しかし、その考えをよくよく考えると、どうもそうなってしまうのではないか、と。

 まあ、中には本当に「承認されたくて創作をしている」という人もいるかもしれません。いや、いるのは確実にいるはずです。では、そういう人に対して「創作を続けてほしいから」感想を送るというのは、それは正しい行為なのか。そこについても僕は、疑問を呈せざるをえないな、と思ってしまいます。

 上の方でも書きましたが、創作をするのって、ものすごくしんどい作業なんです。まずもって孤独。自分の中にしかない考えを自分の力だけで形にしていかなければならない。それに、創作において正解や王道などというものも存在せず、ひたすら手探りで暗闇の中を進んでいくような作業をじっと続けなければならない。それが創作です。そこまででもないって? まあそういう人もいるかもしれません。創作のイメージは人それぞれだとは思いますが、要するに僕が言いたいのは、「承認を得る手段としての創作は、異常なほどにコスパが悪い」ということです。知名度の非常に高い原作の力を借りた二次創作でもない限りは、本当にコスパが悪い。何十時間も掛けて一つの作品を作り上げて、感想が1件でも貰えればいい方で、まったくの無反応というのもザラなんです(1件でも感想をくださるというのは、とてつもなくありがたいことですよ、念のため)。

 翻って世の中を見渡してみれば、もっと手軽に承認を得られる舞台なんていくらでもあります。仕事でもいいし、スポーツでもいいし、友達や恋人を作るでもいい、ペットを飼うでも構いません。何かしら、自分に向いた(=コストの低い)被承認手段があるはずなんです。もし創作がコストの低い手段だという人がいれば、その人はおそらく創作で稼いでいるプロの方です。そういうことなんです。たいていの人には、創作なんて地獄のような(言いすぎかも知れませんが)手段よりも、もっとよい手段がある。

 それを、読み手の勝手な「続きを読みたいから」という思いだけで、無理矢理に相手を創作につなぎ止めてしまっていいものなのか? そういう風に、僕は捉えてしまうんです。言い方を変えて、もっと明け透けな表現をすれば、「感想が来ないから創作をやめるような人は、元々創作に向いていないんだから、無理に引き留めようとするな」ということです。そこまで悪意のこもった見方をあえてする必要もないとは思いますが、少なくとも僕が言いたいのは、「感想は創作者を引き留めるために使うカードなんかでは、決して、絶対に、間違いなく、ない」ということ。そして、そういう用途で感想を書いて欲しくないということです。

健康な感想を、健康な創作を
 というわけで、世の創作を楽しむ方々については、ぜひ健康な感想を書いてほしいなと思います。何かを読んだり、見たり、聞いたりして、心を揺さぶられるものがあったから、その思いを文章にまとめる。面白かった、感動した、唸らされた……内容は何でも構いません。文章に自信がなくても、あなたの感じたことは真実なのですから、それをどうにかして手持ちの言葉で模写すればいいんです。下手でも構いません。感想の文章が下手だからといって、機嫌を損ねるような創作者は、ちょっと想像できないので。

 ただ、その感想の目的が、自分の興奮を作者に伝えるためではなく、作者をつなぎ止めるためなのであれば、その感想は、出すべきではないのではないか、と僕は思います。少数のファンによる「買い支え」で保っている会社や業界が、不健康で先行きもよくないのと同じで、感想を送って無理矢理作者を走らせることに、果たして意義はあるのかな、と僕としては思うわけです。

 そして、創作者としても、感想を第一義的な目的にするのは危険です。「この話を書きたい」「自分を表現したい」「世界に問いかけたい」……創作の動機は何でも構いませんが、少なくとも、「誰かに褒められたい」という思いで筆を執るのは、貴方自身の首をゆっくりと締め付けていくことに繋がりますから。

 これまで、感想が貰えず筆を折った多くの元・創作者へ、「お疲れ様でした」の言葉をかけて、この文章を終えることにします。

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皆月蒼葉 2021/08/14 02:15

同人誌の表紙について

 以前話題になっていたので、僕の同人誌ではどういう感じで作ってるかをざっくりまとめておきます。次回以降、僕がこの記事を見ればスムーズに依頼できる気がするし。ここに書くのはあくまで僕のやり方なので「こうすべき」という類のものでは一切ないし、むしろより良い方法があれば教えてくれるととてもありがたいです。

 まず、表紙イラストは最近はずっと同じ人(朋苡七竈さん)にお願いしています。もともと知り合いなので頼む時に過度の緊張を伴わずに済むというのもありますが、それ以上に同じ人にずっと頼むことで「あの表紙はこのサークル」と印象づけられるという点が大きいと考えています。あと、単純に朋苡七竈さんの絵がめっちゃ好き。

 画像は『楽章a』の表紙です。この絵すごく好き。

 表紙イラストをお願いする時は、まずジャンルと大まかな本のイメージ、締切を伝えて、可能かどうかを確認します。新規の人に頼む時は謝礼についても伝えた方がいいし、確認事項(納品物にレタッチ等をする場合の確認の要否等)もここで確認しておいた方がいいと思う。

 OKとなったら、表紙のレイアウトを描きます。僕は絵が描けないので毎回ゴミみたいなレイアウトになってしまうんですが、しっかり翻訳して素敵イラストにしてくれるの本当にありがたいことだよ……。

 画像はゴミです。こういう感じのレイアウトを描いて、それだけじゃ普通に意味が分からないので文字で補足をして、絵を描いてくれる人に送ります。タイトルやサークル名などの文字入れは毎回僕がやってるので(文字入れ作業大好きなので自分でやりたい)、レイアウトに書かれた文字はあくまで「このあたりに文字が来ます」という合図です。

 後ほどの加工のことも考えて、別レイヤにして欲しい部分は必ずレイアウトの時点で明示しておきます。補足を書くスペースが足りない場合は、別途テキストファイルで送ることもあります。でもあんまり細かすぎる指定はしない方がいいと思った。また、先方から質問が来る場合もあるので、明確に回答します。

 レイアウトをおくったらひとまずは原稿に専念します。表紙イラストを描いてもらって原稿を落とすことほど失礼なことはない。

 原稿がだいぶ凝り固まってきて「死ぬのでは?」ってなってきたあたりで、いい感じに翻訳されたラフイラストが送られてきます。ラフの時点でめっちゃいい感じなので、いよいよ落とせないというプレッシャーがいい感じにのしかかり、原稿が加速します。

 こんなの来たらもう何があっても落とせないでしょ。やるしかない。(私信:ラフ画像の使用許可ありがとうございます)

 ラフの確認をした時点で仕様凍結なので、修正してほしいところがあれば、遅くともこの時点で指摘しておきます。ただし当初のレイアウトからかけ離れた修正依頼は御法度です。要件定義を守れ。確認を終えたら再び原稿に戻ります。

 「アアアアアーーー」とうめき声を上げながらどうにか脱稿したあたりで、完成稿が届きます。こんなに嬉しいことはないよ。

 最高のやつ。休む間もなく表紙作業に移ります。

 まずは必要に応じて色調補正とか軽微なレタッチとかを行います。この表紙の場合、手前のゆうさみと奥のゆうさみを別レイヤで納品してもらっていたので、位置の調整をしたりだとか、背景になんかせんを付け足したりとかしました。

 イラストの微調整が終わったら、最後に文字を入れます。この時のために同人をやってるまである。どのフォントを使おうかなーとかどのくらい遊ぼうかなーとか考えながら作業するのはとても楽しい。

 そんな感じで、こう、こうです!

 あとはISDNのバーコードを作ったりだとか表4のあらすじを考えたりとかの雑務をこなして、デジタル時計とにらめっこしながら震える手で締切に滑り込みます。濁点付きの「アーーーーー」を唱えながらYouTubeで好きな曲を聴きましょう。

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