「2億の家」 〜浮気とは〜
その日、どれだけ時間が経ってくれても、佳子のドキドキは止まらなかった。
心臓がおかしなくらい速くて、手が震える。呼吸が早い。
「終わった・・・」
両親の大反対を押し切って一緒になったのは、二人の愛が絶対的なものだから、と思っていたけれど、そんな想いも知らないところで裏切られていたんだ、そう思うと人生が、毎日が、終わったという思いに包まれた。
「浮気って、される側ってこんなに辛いものなんだ」
「浮気って、されるとこんなにショックなんだ」
「浮気って、されるとこんなにどん底に突き落とされるんだ」
「浮気って、こんな裏切りが、許されるの?」
「浮気って、なんで?」
「浮気って・・・」「浮気って・・・」
その後に続く言葉はどれも似通ったものだけれど、ひっきりなしに浮気のことが頭と心と体と時間と、全てにぐるぐると巡り、他のことは手につかなくなる。悲しいのか、怒りなのか、そしてこの感情がパートナーに対してなのか、浮気相手の女に向けてのものなのか、整理も出来ないくらい、佳子はどん底にいた。
佳子はこれまで、二股を掛けたことが一度もなかった。人生で割と多くの男性と付き合ってきたけれど、一度もない。
付き合った相手との別れのパターンはいつも、佳子から別れを切り出していたし、他に好きな人が出来たから別れたい、気持ちがなくなったから別れたい、のどちらかで、新しい恋をしたいと思った時点でそれまでの彼と同じ空気を吸うのさえ勘弁してほしいというくらい、嘘もつけなければハッキリ白黒つけたい性格だった。
だからこそ、パートナーの浮気も自分と同じように、パートナーがその真純という女とやっていきたいんだと思った。
佳子は真っ二つに切り裂かれる思いを抱えたまま、幼稚園のお迎えに向かうため、起き上がり、メイクを少しして、髪を整え、紺色のワンピースと黒のバレエシューズを履いてなんとか外に出た。
自転車を漕ぐ度、一漕ぎ、ひと漕ぎ、涙が出た。いつもの道を俯いて漕いだ。坂を上ると、幼稚園が見えてきた。細い道の先に、全身紺色のママたちがぼんやり目に入った。
泣き顔ではいけない。佳子は自分で微笑もうとした。
だめだ、一瞬も持たない。
泣き止んで、私。笑って。笑って。
佳子は深呼吸して、空を見た。
娘も帰ってくるのだから、笑顔で迎えなきゃ。
佳子は自転車置き場に自転車を停めた。なるべく他の自転車から離れたところに、他のママたちに今泣き顔を見られては。そんな思いで自転車を停めた。
門のところのママたちがきちんと並んでいた。
佳子は俯き加減で、お辞儀を数回しながら挨拶をし、一番後ろの陰になった。
誰も話し掛けないで、お願い。口を開こうとしたら、きっと泣いてしまう。
身を隠すように陰で待っていると、子供達が並んで出てきた。娘の綾は笑顔で手を振ってくる。
佳子は、微笑み返し、小さく手を振った。
ごめんね、ごめんね、どうしよう、ごめんね、綾。ママ、大丈夫かな、今日。
我が家、大丈夫かな、今日。
佳子に飛び込んできた娘がいつも通りで、それさえも佳子には痛かった。