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ソフトノベルの記事 (11)

自遊時閑 2023/12/27 17:17

[夏目漱石] 変な音 ソフトノベル

    上

 うとうとしたと思ううちに目が覚めた。すると、隣の部屋で妙な音がする。始めはなんの音とも、またどこからくるともはっきりした見当がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へまとまった考えができてきた。きっとおろし金で大根かなにかをごそごそ擦っているに違いない。自分は確かにそうだと思った。それにしてもこの時間になんの必要があって、隣の部屋で大根おろしを作っているのだか想像がつかない。
 言い忘れたがここは病院である。炊事の係は遥か五十メートルも離れた二階下の台所に行かなければ一人もいない。病室では炊事は無論、菓子さえ禁じられている。まして今の時間に、なんのために大根おろしを作るのだろう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのに決まっていると、すぐ心の中で悟ったようなものの、さて、それなら果たしてどこからどうして聞こえてくるのだろう、と考えるとやっぱり分からない。
 自分は分からないままにして、もう少し意味のあることに自分の頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが続いて自分の鼓膜に訴える限り、妙に神経に障って、どうしても忘れる訳にいかなかった。辺りはしんとして静かである。この病棟に不自由な身を任せた患者たちは申し合せたように黙っている。寝ているのか、考えているのか話しをするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上履の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦り減らすような異様な響きだけが気になった。
 自分の部屋は元は特等室として二間《ふたま》つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだから、火鉢などの置いてある副部屋の方は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある六畳の方になると、東側に二メートルの戸棚があって、その脇が芭蕉布《ばしょうふ》の襖で、すぐ隣へ行き来ができるようになっている。この一枚の仕切りをがらりと開けさえすれば、隣部屋で何をしているかは容易く分かるけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてするほど大事な音でないことは言うまでもない。季節は暑さに向かう時期であったから縁側《えんがわ》は常に明け放したままであった。縁側は元より病棟いっぱい細長く続いている。けれども患者が端へ出て互いを見通す不都合を避けるため、わざと二部屋ごとに開き戸を設けてお互いの仕切りとした。それは板の上へ細い木組みを十文字に渡した洒落たもので、用務員が毎朝拭き掃除をするときには、下から鍵を持って来て、一々この戸を開けて行くのが通例になっていた。自分は敷居の上に立った。あの音はこの両開き戸の後ろからでているようである。戸の下は六センチほど開いていたがそこにはなにも見えなかった。
 この音はその後もよく繰り返された。ある時は五六分続いて自分の耳を刺激する事もあったし、またある時はその半ばにも至らないでぱたりとやんでしまう事もあった。けれどもそれがなんであるかは、ついに知る機会なく過ぎた。病人は静かな男であったが、時々夜中に看護婦を小さい声で起こしていた。看護婦がまた感心な女で小さい声で一度か二度呼ばれると快い優しい「はい」と言う受け答えをして、すぐ起きた。そうして患者のためになにかしている様子であった。
 ある日、回診の番が隣へ回ってきたとき、いつもよりはだいぶ時間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それは二三人で遠慮しあってなかなか捗らないような湿り気を帯びていた。やがて医者の声で、どうせ、そう急にはお治りにはなりませんからと言った言葉だけがはっきり聞えた。それから二三日して、かの患者の部屋にこそこそ出入りする人の気配がしたが、いずれも己の活動する音を病人に遠慮するように、ひそやかにふるまっていたと思ったら、病人自身も影のごとくいつの間にかどこかへ行ってしまった。そうしてその後にはすぐ翌日から新しい患者が入って、入口の柱に白く名前を書いた黒塗りの札がかけ変えられた。例のごしごし言う妙な音はとうとう見極わめることができないうちに病人は退院してしまったのである。そのうち自分も退院した。そうして、あの音に対する好奇心はそれっきり消えてしまった。


    下

 三カ月ほど経って自分はまた同じ病院に入った。部屋は前のと番号が一つ違うだけで、つまりその西隣であった。壁一枚隔てた昔の住まいには誰がいるのだろうと思って注意してみると、終日かたりという音もしない。空いていたのである。もう一つ先がすなわち例の異様の音の出た所であるが、ここには今誰がいるのか分らなかった。自分はその後、受けた体の変化があまりにも激しいのと、その激しさが頭に映り、過去の影から生じた動揺が絶えず波紋を広げるため、大根おろしの事などは全く思い出す暇もなかった。それよりはむしろ自分に近い運命を持った入院患者の経過のほうが気にかかった。看護婦に一等室の病人は何人いるのかと聞くと、三人だけだと答えた。重いのかと聞くと重そうですと言う。それから一日二日して自分はその三人の病症を看護婦から確かめた。一人は食道ガンであった。一人は胃ガンであった、残る一人は胃潰瘍《いかいよう》であった。みんな長くは持たない人ばかりだそうですと看護婦は彼らの運命をひとまとめに予言した。
 自分は縁側に置いたベゴニアの小さな花を見て暮らした。実は菊を買うはずのところを、植木屋が十六貫だと言うので、五貫に負けろと値切っても話しにならなかったので、帰りに、じゃ六貫やるから負けろと言ってもやっぱり負けなかった。今年は水が原因で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持って来た人の話を思い出して、賑やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描きなどしてみた。
 やがて食道ガンの男が退院した。胃ガンの人は死ぬのは諦めさえすればなんでもないと言って美しく死んだ。胃潰瘍の人はだんだん悪くなった。夜中に目を覚ますと、時々東のはずれで、付き添いのものが氷を砕く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。
 ――「三人のうち二人死んで自分だけ残ったから、死んだ人に対して残っているのが気の毒のような気がする。あの病人は吐き気があって、向こうの端からこっちの果てまで響くような声を出して始終げえげえ吐いていたが、この二三日それがぴたりと聞えなくなったので、だいぶ落ちついてまぁ結構だと思ったら、実は疲労の極みで声を出す元気を失ったのだと知った」
 その後、患者は入れ代わり立ち代わり出たり入ったりした。自分の病気は日を日を重ねるにしたがって次第に快調へ向かった。仕舞いには上履きを履いて広い廊下をあちこち散歩し始めた。その時ふとしたことから、偶然ある付き添いの看護婦と口を利くようになった。暖かい日の昼過ぎ食後の運動がてら水仙の水を変えてやろうと思って洗面所へ出て、水道の栓をひねっていると、その看護婦が待ち受けの部屋の茶器を洗いに来て、例の通り挨拶をしながら、しばらく自分の手にした朱泥《しゅでい》の鉢と、その中に盛り上げられたように膨れて見える珠根《たまね》を眺めていたが、やがてその目を自分の横顔に移して「この前のご入院の時よりもうずっと顔色が好くなりましたね」と、三カ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。
「この前って、あの時君もやはり付き添いでここに来ていたのかい」
「ええついお隣でした。しばらく○○さんの所におりましたがご存じはなかったかもしれません」
 ○○さんと言うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時夜中に呼ばれると、「はい」という優しい返事をして起き上った女かと思うと、少し驚かずにはいられなかった。けれども、その頃自分の神経をあれだけ刺激した音の原因については別に聞く気も起らなかった。で、あぁそうかと言うなり朱泥の鉢を拭いていた。すると女が突然少し改まった調子でこんなことを言った。
「あの頃あなたのお部屋で時々変な音が致しましたが……」
 自分は不意に逆襲を受けた人のように、看護婦を見た。看護婦は続けて言った。
「毎朝六時頃になると決まってするように思いましたが」
「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。「あれはね、自働革砥《オートストロップ》の音だ。毎朝髭を剃るんでね、安全カミソリを研磨用の革へかけて磨ぐのだよ。今でもやってる。嘘だと思うなら来てご覧」
 看護婦はただへええと言った。だんだん聞いてみると、○○さんと言う患者は、ひどくその研磨の音を気にして、あれはなんの音だなんの音だと看護婦に質問したのだそうである。看護婦がどうも分からないと答えると、隣の人はだいぶ調子が良いので朝起きると、運動をする、その器械の音なんじゃないか羨ましいなと何回も繰り返したと言う話である。
「それはいいがお前のほうの音はなんだい」
「お前のほうの音って?」
「そりゃよく大根をおろすような妙な音がしたじゃないか」
「ええあれですか。あれは胡瓜《きゅうり》を擦ったんです。患者さんが足が火照って仕方がない、胡瓜の汁で冷してくれとおっしゃるもんですから私がずっと擦って上げました」
「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」
「ええ」
「そうかそれでようやく分かった。――いったい○○さんの病気はなんだい」
「直腸ガンです」
「じゃとても難しいんだね」
「ええもう本当に。ここを退院なさると直ぐでした、お亡くなりになったのは」
 自分は黙り込んでわが部屋に帰った。そうして胡瓜の音で人を焦らして死んだ男と、研磨の音を羨ましがらせて快くなった人との相違を心の中で思い比べた。

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自遊時閑 2023/12/19 17:36

[太宰治] 黄金風景 ソフトノベル

  

   海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて
                           ―プーシキン―


 私は子供のとき、あまり性格のいい方ではなかった。家政婦をいじめた。私はどんくさいことは嫌いで、それゆえ、どんくさい家政婦を特にいじめた。お慶は、どんくさい家政婦である。林檎の皮をむかせても、むきながら何を考えているのか、二度も三度も手を休めて、おい、とその度毎にきびしく声を掛けてやらないと、片手に林檎、片手にナイフを持ったまま、いつまでも、ぼんやりしているのだ。足りないのではないか、と思われた。台所で、何もせずに、ただのっそりつっ立っている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、みっともなく、妙に癇に障って、「おい、お慶、日は短いんだぞ」などと大人びた、今思っても背筋の寒くなるような非道な言葉を投げつけて、それでは飽き足りずに一度はお慶を呼びつけ、私の絵本の観兵式の何百人とうようよしている兵隊、馬に乗っている者もいて、旗持っている者もいて、銃を担いでいる者もいて、そのひとりひとりの兵隊の形をハサミで切り抜かせ、不器用なお慶は、朝から昼飯も食わず日暮頃までかかって、やっと三十人くらい、それも大将の髭を片方切り落したり、銃を持つ兵隊の手を、熊の手みたいに恐ろしく大きく切り抜いたり、そうしていちいち私に怒鳴られた。夏の頃であった、お慶は汗っかきなので、切り抜かれた兵隊たちはみんな、お慶の手の汗で、びしょびしょ濡れて、私はついに癇癪をおこし、お慶を蹴った。確かに肩を蹴ったはずなのに、お慶は右の頬をおさえ、がばっと泣き伏せ、泣き泣き言った。「親にさえ顔を踏まれたことはありません。一生覚えております」うめくような口調で、途切れ途切れそう言ったので、私は、流石に嫌な気がした。その他にも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった。今でも、多少はそうであるが、私には無知で愚鈍の者は、とても我慢できないのだ。

 一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに困窮し、路頭をさまよい、あちこちに泣きつき、その日その日の命を繋ぎ、多少執筆で自活できる当てがつき始めたと思った途端、病を得た。人々の情けで一夏、千葉県船橋町、泥の海のすぐ近くに小さい家を借りた。自炊の保養をすることができ、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗と戦い、それでも仕事はしなければならず、毎朝毎朝の冷たい一杯の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きている喜びとして感じられた。庭の隅《すみ》の夾竹桃《きょうちくとう》の花が咲いたのを、メラメラ火が燃えているようにしか感じられなかったほど、私の頭もすっかり痛み疲れていた。
 その頃の事、戸籍調査の四十に近い、痩せて小柄のお巡りが玄関で、帳簿の私の名前と、それから無精髭のばし放題の私の顔とを、じっくりと見比べ、「おや、あなたは……のお坊ちゃんじゃございませんか?」そう言うお巡りの言葉には、強い故郷の訛りがあったので、「そうです」私はふてぶてしく答えた。
「あなたは?」
 お巡りは痩せた顔に苦しいほどにいっぱいの笑みをたたえて、
「やぁ。やはりそうでしたか。お忘れかもしれないけれど、かれこれ二十年近く前、私はKで馬車屋をしていました」
 Kとは、私の生れた村の名前である。
「ご覧の通り」私は、にこりともせずに応じた。
「私も、今は落ちぶれました」
「とんでもない」
 お巡りは、なおも楽しげに笑いながら、
「小説をお書きなさるんだったら、それはなかなかの出世です」
 私は苦笑した。
「ところで」とお巡りは少し声を低くめ、
「お慶がいつもあなたのお噂をしています」
「おけい?」すぐには呑みこめなかった。
「お慶ですよ。お忘れでしょう。お宅の家政婦をしていた――」
 思い出した。あぁ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭を垂れて、その二十年前、どんくさかった一人の家政婦に対する私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、いたたまれなくなった。
「幸福ですか?」
 ふと顔をあげてそんな突拍子ない質問を発する私の顔は、確かに罪人や被告のようで、卑屈な笑いさえ浮べていたと記憶する。
「ええ、もう、それは」
 屈託なく、そう朗らかに答えて、お巡りはハンカチで額の汗をぬぐって、
「かまいませんでしょうか。今度妻を連れて、一度ゆっくりお礼にあがりましょう」
 私は飛び上るほど、ぎょっとした。いいえ、もう、それには、と激しく拒否して、私は言い知れぬ屈辱感に身悶えしていた。
 けれども、お巡りは、朗らかだった。
「子供がねぇ、あなた、ここの駅に勤めるようになりましてな、それが長男です。それから男、女、女、その末のが八つで今年小学校にあがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、まぁ、お宅のような名家にあがって行儀作法を習った者は、やはりどこか、違いましてな」
 少し顔を赤くして笑い、
「おかげさまでした。お慶も、あなたのお噂、始終しております。今度の公休には、きっと一緒にお礼にあがります」
 急に真面目な顔になって、
「それじゃ、今日は失礼いたします。お大事に」

 それから、三日たって、私が仕事のことよりも、金銭のことで思い悩み、うちにじっとして居れなくて、竹のステッキ持って、海へ出ようと、玄関の戸をがらがら開けたら、外に三人、浴衣を着た父と母と、赤い洋服着た女の子と、絵のように美しく並んで立っていた。お慶の家族である。
 私は自分でも意外な程の、恐ろしく大きな怒声を発した。
「来たのですか。今日、私これから用事があって出かけなければなりません。気の毒ですが、またの日においでください」
 お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、家政婦の頃のお慶によく似た顔をしていて、鈍さを感じる濁った眼でぼんやり私を見上げていた。私は悲しく、お慶がまだ一言も言い出さないうちに、逃げるように、海岸へ飛び出した。竹のステッキで、海岸の雑草をなぎ払いなぎ払い、一度もあとを振りかえらず、一歩、一歩、地団駄踏むような荒《すさ》んだ歩き方で、とにかく海岸伝いに町の方へ、まっすぐに歩いた。私は町で何をしていただろう。ただ意味もなく、映画館の絵看板見上げたり、呉服屋の飾り窓を見つめたり、ちぇっ、ちぇっ、と舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて、これはならぬと激しく体をゆさぶっては、また歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私は再び私の家へ引き返した。
 海岸に出て、私は立ち止った。見ろ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い楽しんでいる。声がここまで聞えてくる。
「なかなか」お巡りは、うんと力をこめて石を放って、「頭の良さそうな方じゃないか。あの人は、今に偉くなるぞ」
「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。「あの方は、小さい時から一人変わっていられた。目下の者にもそれは親切に、目をかけてくださった」
 私は立ったまま泣いていた。険しい興奮が、涙で、まるで気持ちよく溶け去ってしまうのだ。
 負けた。これは、良いことだ。そうなければ、いけないのだ。彼らの勝利は、また私の明日の出発にも、光を与える。

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自遊時閑 2023/12/11 17:13

[梶井基次郎] 檸檬 ソフトノベル

 得体の知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに二日酔いがあるように、酒を毎日飲んでいると二日酔いに相当する時期がやってくる。それがきたのだ。これはちょっといけなかった。生じた肺結核やノイローゼがいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
 以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も我慢ならなくなった。蓄音機を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私をいたたまれなくさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさ苦しい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。
 雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土の塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時としてびっくりさせるような向日葵《ひまわり》があったりカンナが咲いていたりする。
 時どき私はそんな道を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百キロも離れた仙台とか長崎とか――そのような町へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような町へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清潔なふとん。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほどなにも思わず横になりたい。願わくばここがいつの間にかその町になっているのだったら。
 ――錯覚がようやく成功しはじめると私は次から次へ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんてことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは二番目として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまな縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆《そそ》った。
 それからまた、ビードロという、色ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉《なんきんだま》が好きになった。またそれを舐めてみるのが私にとってなんともいえない快楽だったのだ。あのビードロの味ほど微かな涼しい味があるものか。
 私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼い時のあまい記憶が大きくなって落ちぶれた私に蘇ってくるせいだろうか、まったくあの味には微かな爽やかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂ってくる。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言え、そんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには、贅沢というものが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚びてくるもの。――そう言ったものが自然と私を慰めるのだ。
 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオーデコロンやヘアトニック。洒落た切子細工や優雅なロココ様式の浮模様をもった琥珀色や翡翠色の香水びん。煙管《きせる》、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一番いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。
 しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。

 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち止まったり、乾物屋の乾し蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下がり、そこの果物屋で足を止めた。
 ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感じられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。なにか華やかな美しい音楽の快速調《アレグロ》の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを押し付けられて、あんな色彩やあんなボリュームに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。
 青物もやはり奥へゆけばゆくほどうず高く積まれている。――実際あそこの人参の葉の美しさなどは素晴しかった。それから水に漬けてある豆だとか慈姑《くわい》だとか。
 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑やかな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾り窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのがはっきりしない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。
 もう一つはその家から突き出した庇《ひさし》なのだが、その庇が目深《まぶか》に冠った帽子のつばのように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子のつばをやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、庇の上はこれも真っ暗なのだ。そう周囲が真っ暗なため、店頭に点けられたいくつもの電灯がにわか雨のように浴びせかける絢爛《けんらん》は、周囲の何者にも奪われることなく、欲しいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電灯が細長い螺旋棒《らせんぼう》をきりきり目の中へ刺し込んでくる通りに立って、また近所にある鍵屋の二階のガラス窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時の私を楽しませたものは寺町の中でも稀だった。

 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬《れもん》が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただ当たり前の八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンイエローの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形《ぼうすいけい》の格好も。
 ――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧さえつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んできたようで、私は街の上で非常に幸福であった。あんなにしつこかった憂鬱が、そんな物の一つで紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的な本当であった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさは例えようもなくよかった。その頃私は肺尖《はいせん》を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実、友人たちに私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰よりも熱かった。その熱いせいだったのだろう、握っている掌から体内に浸み透ってゆくようなその冷たさは心地よいものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというカリフォルニアが想像に上ってくる。漢文で習った「売柑者之言《ばいかんしゃのげん》」の中に書いてあった「鼻を撲《う》つ」という言葉が切れ切れに浮かんでくる。そして深々と胸いっぱいに匂い立つ空気を吸い込めば、今まで胸いっぱいに呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血の熱が昇ってきてなんだか体内に元気が目覚めてきたのだった。……
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこれだけを探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
 私はもう通りを軽やかな興奮に弾んで、一種誇らしい気持ちさえ感じながら、美麗な装束を着て街を闊歩《かっぽ》した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量《はか》ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常づね探し求めていたもので、疑いもなく、この重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算してきた重さであるとか、思いあがった遊び心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――何はさておき私は幸福だったのだ。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日はひとつ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水のびんも煙管《きせる》も私の心にはのしかかってゆかなかった。憂鬱が立ちこめてくる、私は歩き回った疲労が出てきたのだと思った。
 私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ「いつにも増して力が要るな!」と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、念入りにめくってゆく気持ちはさらに湧いてこない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出してくる。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色の重い本までなおいっそうの堪え難さのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に目を通し終わった後、さてあまりに尋常な周囲を見回すときのあの変にそぐわない気持ちを、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私は袂《たもと》の中の檸檬を思い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら……「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな興奮が帰ってきた。私は手当たり次第に積みあげ、また慌ただしく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いて付け加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれは出来上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見渡すと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えわたっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に次のアイディアがひらめいた。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持ちがした。「出て行こうかなぁ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。

 変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪人が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も木っ端微塵だろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇妙な趣きで街を彩っている京極を下って行った。

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自遊時閑 2023/12/09 15:09

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自遊時閑 2023/12/04 21:51

[芥川龍之介] トロッコ ソフトノベル

 小田原―熱海《あたみ》間に、軽便鉄道建設の工事が始まったのは、良平が八つの時だった。良平は毎日のように村外れへ、その工事を見物しに行った。工事を――というより、ただトロッコで土を運搬する――それが面白くて見に行ったのである。
 トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走ってくる。舞い上がるように車台が動いたり、土工の半纏《はんてん》の裾がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんな景色を眺めながら、土工になりたいと思うことがある。せめては一度でも土工と一緒に、トロッコへ乗りたいと思うこともある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然とそこに止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押すことさえできたらと思うのである。

 ある夕方、――それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、その他はどこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。トロッコは三人の力がそろうと、突然ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそういう音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登っていった。
 それからかれこれ十八メートルほど来ると、線路の勾配が急になり出した。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。ともすれば車と一緒に、押し戻されそうにもなる。良平はもう良しと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
 彼らは一度に手を離すと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初緩やかに、それから見る見る勢いよく、一気に線路を下り出した。その途端、突き当たりの風景は、たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開してくる。顔に当たる薄暮夕暮れの風、足の下に躍るトロッコの動揺、――良平はほとんど有頂天になった。
 しかしトロッコは二三分ののち、もう元の終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押すじゃあ」
 良平は年下の二人と一緒に、またトロッコを押し上げにかかった。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼らの後ろには、誰かの足音が聞えだした。のみならずそれは聞えだしたかと思うと、急にこう言う怒鳴り声に変わった。
「この野郎! 誰に断ってトロに触った?」
 そこには古い印半纏《しるしばんてん》に、季節外れの麦わら帽子をかぶった、背の高い土工が佇んでいる。――そういう姿が目に入った時、良平は年下の二人と一緒に、もう九か十メートルほど逃げ出していた。――それっきり良平はお使いの帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗ってみようと思ったことはない。ただその時の土工の姿は、今でも良平の頭のどこかに、はっきりした記憶を残している。薄明りの中ほのかに見えた、小さい黄色の麦わら帽、――しかしその記憶さえも、年ごとに色彩は薄れるらしい。

 その後、十日あまり経ってから、良平はまたたった一人、昼過ぎの工事場に佇みながら、トロッコが来るのを眺めていた。すると土を積んだトロッコの他に、線路へ敷く枕木《まくらぎ》を積んだトロッコが一両、これは本線になるはずの、太い線路を登ってきた。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼らを見た時から、なんだか親しみやすいような気がした。
「この人たちならば叱られない」――彼はそう思いながら、トロッコのそばへ駆けて行った。
「おじさん。押してやろうか?」
 その中の一人、――縞のシャツを着ている男は、うつむきトロッコを押したまま、思った通り心良く返事をした。
「おお、押してくれい
 良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
われはなかなか力があるな」
 他の一人、――耳に煙草を挟んだ男も、こう良平を褒めてくれた。
 その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくとも良い」――良平は今にも言われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したきり、黙々と車を押し続けていた。良平はとうとう堪えきれずに、おずおずこんなことを尋ねてみた。
「いつまでも押していて良い?」
「良いとも」
 二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。
 六百メートルあまり押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。そこには両側のみかん畑に、黄色い実がいくつも日差しを受けている。
「登り道のほうが良い、いつまでも押させてくれるから」――良平はそんなことを考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
 みかん畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と言った。良平はすぐに飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、みかん畑の匂いを煽《あお》りながら、ひた滑りに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっと良い」――良平は羽織に風を受けながら、当り前のことを考えた。「行きに押す所が多ければ、帰りにまた乗る所が多い」――そうもまた考えたりした。
 竹やぶのある所へ来ると、トロッコは静かに走るのをやめた。三人はまた前のように、重いトロッコを押し始めた。竹やぶはいつか雑木林になった。爪先上りの所々には、赤さびの線路も見えないほど、落ち葉の溜まっている場所もあった。その道をやっと登りきったら、今度は高い崖の向こうに、広々と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、あまり遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。

 三人はまたトロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気持ちにはなれなかった。「もう帰ってくれれば良い」――彼はそうも念じてみた。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼らも帰れないことは、もちろん彼にも分かりきっていた。
 その次に車の止まったのは、切り崩した山を背負っている、わら屋根の茶店の前だった。二人の土工はその店へ入ると、乳児をおぶったおかみさんを相手に、悠々と茶などを飲み始めた。良平は独りイライラしながら、トロッコの周りを回ってみた。トロッコには頑丈な車台の板に、跳ねかえった泥が乾いていた。
 しばらく後茶店を出てくると、煙草を耳に挟んだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコのそばにいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平は冷淡に「ありがとう」と言った。が、すぐに冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた。菓子には新聞紙にあったらしい、石油の匂いが染みついていた。
 三人はトロッコを押しながらゆるい傾斜を登っていった。良平は車に手をかけていても、心は他のことを考えていた。
 その坂を向こうへ下りきると、また同じような茶店があった。土工たちがその中へ入った後、良平はトロッコに腰をかけながら、帰ることばかり気にしていた。茶店の前には花の咲いた梅に、西日の光が消えかかっている。「もう日が暮れる」――彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。トロッコの車輪を蹴ってみたり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押してみたり、――そんなことで気持ちを紛らせていた。
 ところが土工たちは出てくると、車の上の枕木《まくらぎ》に手をかけながら、無造作に彼にこう言った。
われはもう帰んな。俺たちは今日は向こう泊まりだから」
「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら
 良平は一瞬呆気に取られた。もうすぐ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の距離はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そういう事が一気に分かったのである。良平はほとんど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取って付けたようなお辞儀をすると、どんどん線路沿いに走り出した。

 良平はしばらく無我夢中で線路のそばを走り続けた。その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを道ばたへ放り出すついでに、板草履もそこへ脱ぎ捨ててしまった。すると薄い足袋の裏へ直に小石が食いこんだが、足だけは遥かに軽くなった。彼は左に海を感じながら、急な坂道を駆け登った。時々涙がこみ上げてくると、自然に顔が歪んでくる。――それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。
 竹やぶのそばを駆け抜けると、夕焼けのした日金山《ひがねやま》の空も、もう火照りが消えかかっていた。良平は、いよいよ気が気でなかった。行きと帰りと変わるせいか、景色の違うのも不安だった。すると今度は着物までも、汗で濡れとおったのが気になったから、やはり必死に駆け続けながら、羽織を道ばたへ脱いで捨てた。
 みかん畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、滑ってもつまずいても走って行った。
 やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駆け続けた。

 彼の村へ入ってみると、もう両側の家々には、電灯の光が差しあっていた。良平はその電灯の光に、頭から汗の湯気が立つのが、彼自身にもはっきりわかった。井戸端に水を汲んでいる女衆や、畑から帰ってくる男衆は、良平が喘ぎ喘ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。
 彼の家の門口へ駆けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周りへ、一気に父や母を集まらせた。特に母はなんとか言いながら、良平の体を抱きかかえるようにした。が、良平は手足をもがきながら、すすり泣き続けた。その声があまり激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集ってきた。父母はもちろんその人たちは、口々に彼の泣く訳を尋ねた。しかし彼はなんと言われても泣き立てるより他に仕方がなかった。あの遠い道を駆け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気持ちに迫られながら…………

 良平は二十六の年、妻子と一緒に東京へ出てきた。今ではある雑誌社の二階に、校正の朱筆《しゅふで》を握っている。が、彼はどうかすると、全然なんの理由もないのに、その時の彼を思い出すことがある。全然なんの理由もないのに?――世俗の煩わしさに疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い竹やぶや坂のある道が、ほそぼそと一筋断続している…………

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