地球は終わった。
雨の降りしきる世界と、
何人かの死に損ないの寂しがりと、
死ねない私たちだけが、
ここに残っている。
「ドクター、あたしねえ……実は気象予報士なんだよね」
くるんと巻いたツインテールをいたずらっぽく揺らして、少女はにやりと笑った。
「おや、それじゃあエルマは明日の天気がわかるのかな?有難いことだ、もうこの世界にお天気キャスターはいないからね。教えていただけるかな?」
「いいでしょういいでしょう、特別に教えてあげましょう!明日はね、雨!」
ツインテールの少女──エルマは、胸をそらして自信たっぷりにそう答えた。
と同時に、チン!と、パンが焼き上がる音がする。
取り出そうと手を伸ばすと、さっと、私ではないほっそりとした白い手がパンを皿の上に乗せた。
「毎朝毎朝同じやり取り。飽きないんですか」
「レーニ、あたしいちごジャムがいい!」
「わかった。ドクターは……ご自分でどうぞ」
レーニと呼ばれた少女が、じとっと冷ややかな目で私を見る。
この子はいつもこうだ。エルマ以外の人間に厳しい。私に対しては特にそう感じる。
エルマが困ったように私に微笑みかけたので、大丈夫だよという意味を込めて、微笑み返した。
「さて、朝食の準備はこれで終わりだね。エルマ、フランとアンネを起こしてきてくれないかな」
「はぁい!」
「レーニは……今日から”仕事"だね。もう一度注意点の確認を……」
「必要ありません。全て覚えています。簡単にまとめると、1ヶ月間こちらで用意した部屋に依頼主を住まわせ、そこで平和に穏便に過ごせと。特に問題ありませんので、ご心配なく」
ぴしゃりと、無遠慮に私を突き放す。
苦笑いしてしまいそうになったが、一呼吸置いて堪えた。
こういう子はヘラヘラした大人を嫌うことが多い。
思考を巡らせる。今、私がこの子にすべき正解の対応を探す。
「……そう、その通りだ。君たちへの精神的負担が大きい仕事だと言うことは理解している。けれど、この仕事の意味を、君ならもう理解してくれていると思った。だから最初に、君に任せることにした」
「…………はい」
レーニが俯く。どうやらこれで正解のようだ。
「始まりを任されることは君にとってとても重たいことだろうと思う。心配するなと言われてもしてしまうし、させて欲しい。だから、一緒にもう一度仕事内容を確認させてもらってもいいかな?」
「…………そ、そこまで言うなら……ドクターの言うことを聞きます……」
頼りにしていることを伝えて、普段ツンとしたレーニの声がぼそぼそ声になり始めたら、あとはもう強く押してやればいい。
難しいようでいて、この子の扱いは案外単純で簡単だ。
俯いたままのレーニの手を引いて、食卓へ連れていく。
椅子を引いてやると、何も言わず素直に座った。
「じゃあまず昨日渡した書類の──」
バタンと、ドアの開く音に声を遮られる。
この乱暴なドアの開け方はエルマだ。頼んだとおり、年下組のフランツィスカとアンネリーエを起こしてきてくれたのだろう。
「ドクター!フランネ起こしてきたよー!」
「ちょっとドクター!なんで起こしに来るのがエルマなの!?フランはドクターに起こしてもらいたいのに!」
「どくたぁ……アンネ……おきたぁ……」
エルマがまだパジャマのままのフランとアンネを引きずって、まるで狩ってきた獲物かのように見せてくる。
今度は素直に、苦笑して見せる。
するとエルマは私の言いたいことを察したようで、あっ!と声をあげて私にくるりと背を向けた。
「じゃあフラン、アンネ、顔洗って歯磨きして着替えてこよっか!」
「だからなんでエルマなのーっ!!」
「むにゃ……」
3人がどたどたと洗面所に向かう。
まるで仲のいい姉妹のようで、微笑ましく感じられた。
「今日も楽しい朝だね」
「……そう、ですか」
消え入りそうな声。
レーニに目をやると、眉をひそめ、口をきつく結んでいた。
「自分が喋ると楽しい朝を壊すと思っているね」
「な、んですか、それっ」
図星のようだ。自分のワンピースをぎゅっと握りしめている。
本当にわかりやすい子で助かるなあと思いながら、固く握られた手の上に自分の手を添える。
一瞬びくりと肩を震わせたが、抵抗されることはなかった。
それを確認して、努めて優しい声で、語りかける。
「今度一緒に図書館に行こう。君がどんなに一緒にいて楽しいと思える女の子なのかを、君にわかりやすく伝えたい」
「……図書館、なんか、行ったって……もう、何を学んだって、意味がないのに」
「理解したいことがあるから学ぶんだ。私はそうだよ。それは、世界が終わったって変わらない。毎日ずっと雨だとわかりきっていても、たくさん学んで気象予報士になったっていいんだ。エルマのは冗談だけれどね。それとも、君には何か他に目的がある?」
「…………」
目をそらされた。答えることができないようだ。
大体予想はできるが──今日はもう、この辺でやめておこう。
「無理に聞くつもりはないよ。君が話したくなった時に、教えてくれたら嬉しい」
「………………そんな日は、来ないです」
「気が変わることを祈っているよ」
その言葉に、レーニは何も言い返さなかった。
沈黙が訪れ、雨粒が教会の屋根を叩く音だけが響く。
楽しい朝だ。本当にそう思う。
地球は終わった。
雨の降りしきる世界と、何人かの死に損ないの寂しがりと、
死ねない私たちだけが、ここに残っている。
そう遠くない内に死に損ないたちも、この雨に包まれて死んでゆく。
そうしたら、世界には、私たち5人だけ。
私たち5人だけだ。
いつか私が寿命で死ぬ時、私は世界中の人間に愛されて死ねる。
私を愛さない人間などいない世界で、終われるのだ。
こんなに幸せなことはない。
あとはどうか、こんなに惨めな考えを持って生きている私に彼女たちが気づかないよう、雨が隠してくれることを願うばかりだ。