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2023年 12月の記事 (1)

夢見月すぐる 2023/12/24 03:14

第23回 夢見月研究所「なぜデッサンの本は読んでもいまいちつかみ所がないのか」

改めて、デッサンの本を一通り読み返して、気付いた点と、
どう解釈して読むべきなのか?の話をします。

デッサンの本は二元論ではなく、三段論法っぽい何かで構成されている

つかみ所がない。今ひとつ内容が理解できないという感想がでる原因は、
このあたりであると言えます。

すごく悩みました。論文として読むと、はっきり言ってしまうと、脈絡がないというか、
体育館に置いてあるピアノを休み時間にいたずらで弾いているような状態に
なっています。ですので、まずピアノを弾いている人が、何を弾きたいのかを
突き止めて、それを聞いた人がピアノを使って弾き直すという操作をしないと、
文章の意図がつかめない状態となっていて、非常に厄介なことになっていました。

二元論とは、国語の教科書に載っているような文章を指してのことで、
三段論法とは、何かを定義して、辻褄のあう事柄を挙げて整合性をとる方法です。

例えば、歴史の話をする場合、二元論の場合時系列にまとめて順番に内容を話す所、
三段論法では室町時代の話と平安時代の話を混ぜて内容を話している状態になっていて、
聞いている人は全く内容がつかめない状態になります。ですので、学校では
三段論法を使った作文は教えないし、テストにも出ません。
論文の参考書にも載っていません。
競馬で例えると、「危険な配合」に当たります。
テストに出ない上に、習うこともないので、分からなくて当然です。
自分のように、200ページ以上の小説を書ける層がかろうじてわかる程度です。

どうしてわかりにくい言い回しを使っているのか理由は分かりませんが、デッサンの本の内容が頭に入らない理由は以上です。

※以下、ピアノの弾き直しの例えを繰り返して出た結論

過去記事でも触れたように、言葉の解釈がめちゃくちゃになっていて、改めて
どう解釈しているのか考えなければいけない状態になっていた。

クロッキー→本来の意味は、羽ペンで走り書きをする、’(落書き)という意味であるが、デッサンの本では感覚として合っている絵、何をしているかを描いた絵という意味で使われている。↓


デッサン→本来の意味は、目で見たことをそっくりそのまま紙に描き写すこと、という意味であるが、デッサンの本ではモチーフを円筒形に見立てて描く事として解説されている

本来の意味でのデッサン↓

上記の解釈が、デッサンの本によって逆になっていたり、作例と文章が全く合っていなかったりと言うことが多くあり、正直この段階で頭が痛くなって、これ以上読みたくないと感じたが、我慢して最後までまとめる。

デッサン、クロッキーという言葉はさらなる誤解や矛盾を招くので使わない。
という結論が出た。

絵の要素には三種あって、(各自しっくりくる表現を考えよう)
想像のまま、何をしているのか描くこと→落書き


円筒形に見立てて描くこと→埴輪

見たとおりにそのまま描くこと→図と地(投影)。平面構成

これらを組み合わせるか、単体で通して描くことが、上達につながる。

まとめ
これは、正直反感を買う発言をしてしまうことになるが、それ以上に嘘をつくことも出来ないという理由で以下の結論を残す。
自分は、絵と小説両方趣味として関わっているので奇跡的にこの結論に達しただけであり、専門学校や美大で同じように結論づけられる人がいて、講義でそのことを指摘する
人物がいるのか?としたら、残念ながら滅多にいないと言わざる得ない。
というのも、論文の参考書にも、学校の教科書にも載っていない方法を使うことになるので、求めることがそもそも間違っていると言わざる得ない。

専門学校や美大に入ったとして、上記のような問題と向き合わねばならない。
そのため、つかみ所がなくなんだかよく分からないまま卒業してしまうという事態が
起こるだろうから、入りたい人は後悔のないように、というのが自分が言える範囲での
言葉。
1つアドバイス出来ることがあるとしたら、デッサンやクロッキーなどの専門用語を、
思い込みで解釈しないで、ひとつひとつの言葉の意味を考える姿勢を崩さないように
徹することが、成功の鍵だと言える。緑信号を青信号と呼んだ解釈がそこらじゅうにあるからだ。

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