ナントカ堂 2024/07/30 21:27

耶律儼

 近ごろ『契丹国志』を読み返したのですが、何故、耶律儼(=李儼)の評価がこうも違うのか不思議です。

 耶律儼の略歴はwikipediaにもありますが、「身仕舞いが秀麗で、学問を好み、詩名で知られた。」「善政で知られ、州の人が石に頌徳碑を刻んだ。」「遅滞していた刑事事件の調査と裁決を処理した。」などは『遼史』に基づく記述で、他にも『遼史』には「耶律儼は生まれつき清廉潔白で、僅かたりとも人から物を取ることは無かった。」とあります。
 これが『契丹国志』巻十九ではこう記されています。(『契丹国志』では李儼と記されています)

「幼い頃から狡猾で、仲間を作って群れるようなことはせず傲慢な笑みを浮かべ、その才能で悪事を成した。」
「李儼は天性狡猾にして巧妙であり人におもねりへつらうことが得意で、天祚帝の朝廷で国の枢要の権力をおよそ十五年握った。女真が連年乱を起こしていたが、李儼は蕭奉先とともに隠蔽して帝を欺き、国が滅ぶに至るまで天祚帝は気がつかなかった。」
「李儼が死ぬと蕭奉先はその甥の李処温を宰相に推薦し、遂には亡国に至った。悔やまれるのは、結局、李儼が町の広場で処刑されなかったことである。」

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