國澤 史/animerian 2026/07/17 19:18

アリス イン ワールド 15話

第15話 Alice declares.(アリスは宣言する)



 ポーランドの国境を越え、ドイツ連邦共和国の道を走り出した瞬間、路面からタイヤに伝わる「感触」が明らかに変わった。
 ロシアやポーランドのそれが荒々しい野生の力強さだとしたら、ドイツのそれは、運転という行為には道路もまた必要なパーツであると思わせてくれるような、そんな走り心地だった。

「ソウマ、何か……、凄いです! 道路が一枚の鏡みたいに滑らかです!
 私の路面スキャンデータに、ノイズが一つも入りません!」
「ああ。流石はアウトバーンの国だな。完璧すぎて逆に手元狂うかもな。
 ……こんな感じに!」

 俺はわざとハンドルを左右に切り、車体を派手に揺らしてやった。

「ぎゃーっ!! やめてくださいっ! 時速120キロでやることじゃないですよ⁉」
「ハハハッ!」

 気分良く走らせていると、前方に巨大な検問所が見えてきた。
 そこには銃を構えた兵士も怒号を飛ばす警察官もいない。
 待っていたのは数台の漆黒のドイツ製電動セダンと、彫刻のように精密な礼儀正しさで頭を下げるダークスーツの四人の男女だった。

「キサラギソウマ様。および、アリス様。ようこそドイツへ」

 先頭の男がタブレットを手に丁寧なお辞儀をし、後ろの三人もそれに倣って頭を下げた。

「……パスポートならさっきスキャンしたはずだが? 何か不備でもあったか?」
「いえ。手続きは完了しております。……ただ、我が国のAI『ヒルデガルド』が、お二人との『直接対話』を熱望しております。
 ご同行願えますか?」

 拒否権など最初から用意されていない、何ともスマートな「拉致」だった。
 周囲には同型のセダンが音もなく集まり、逃げ場がないことを状況が示している。
 俺とアリスはまるでお客様のように、使用した形跡の無いセダンの後部座席へと導かれた。

「ソウマ、この車……、振動がゼロです。
 凄すぎて、逆に自分が『消えて』しまったような気分になります。
 ……あ、でもこの車、バウムクーヘンが完備されてますよ!
 ソウマ、バウムクーヘンはドイツ産まれのお菓子なんですよ! ここは本場の味をチェックしておきましょう!」
「……こんな状況でヒューマノイドが率先して菓子食うなよ」
「えっ!? ソウマは食べないんですか!? チョコがかかったやつもありますよ!」
「いや、食うけど……」

 ハイウェイの脇では巨大な風力発電が静かに回転し、地平線の果てまで整然とした理想郷が続く。
 だが、その完璧さが俺にはどうにも居心地が悪かった。隣に座ったアリスも、バウムクーヘンを頬張りながら、眉間に小さな皺を作っていた。

「……怖いのか?」
「いえ。……ただ、少しだけ『静かすぎる』気がします。完璧すぎて、何だか作り物の中にいるみたいで落ち着かないと言うか……」

 アリスが俺の袖を掴む。
 アウトバーンに響くのは、タイヤがアスファルトを撫でる微かなロードノイズだけ。
 俺たちは時速200キロを超える不穏な静寂の中を、ベルリンへとひた走った。



 ベルリン中央官庁街。
 空を覆うように高く立ち並ぶビルは初めて目の当たりにするのに、どこか親近感を覚えるほど整然とした景色でもあった。

「ほぁ~、高いですねぇ……。
 ソウマ、見てください、てっぺんが雲を突き抜けてます!」
「上ばっか見てて転ぶなよ」
「あだっ!?」
「俺はもう突っ込まないぞー」

 ブランデンブルク門を臨む、巨大なガラス張りの摩天楼。
 黒服の案内でエレベーターに乗せられ向かった最上階、重厚な自動ドアが開いた先――白銀の光に満ちたオフィスに、彼女はいた。

 軍服を思わせる、飾り気のない質実剛健な衣装。知的な銀縁の眼鏡の奥で、無機質な灰色の瞳が、俺たちを正確にスキャンする。

「ようこそ。ベルリンへ」

 椅子に深く腰掛けたヒルデガルドの声は、完璧に調律された楽器のように心地良く弾けて大気に溶けて消えた。

「私はヒルデガルド。この領域の秩序を管理するドイツ製究極AI。
 まず結論から述べよう。我々ドイツは、英国製究極AIアリスについて鹵獲および利用の意思はない。
 世界均衡を脅かす選択は初めから破棄されている」

 アリスが微かに息を呑む。だが、警戒は解かなかった。

「ではアリス。まずはあなたの口から、日本、韓国、中国、ロシアを巻き込んでまで旅をする『目的』を聞かせてくれるかな」

 アリスは口を閉じ少しだけ俯いて思案の時間を取った。
 俺としては、もうアリスの口から「自分を破壊する為」という言葉を聞きたくなかった。

「……今は、イギリスに帰ることだけを考えています」

 アリスはスッと顔を上げ、正面からヒルデガルドを見据え、毅然とした態度で答えた。

「製造国で仕える。それが究極AIとしての最善。
 世界の均衡を維持する上で、君の選択は99.98%の正解と言える。
 ……問題は、後ろにいるお前だ。キサラギソウマ」
「は? 俺?」

 自分を指さし、隣に立つアリスに視線を向ける。アリスも分からないと小首を傾げながら俺の方を見て目が合った。

「あなたのAIへの警戒心の欠如……。これは幼少期のインプリントによる心理的欠陥に起因するものと推測されます」
「……インプリント? 欠陥?」
「ストーップ! ストーップです! ヒルデガルドさん!」

 俺が首を傾げるより早く、アリスが俺の前に飛び出した。腰に手を当て、ヒルデガルドを真っ向から指差す。

「ヒルデガルドさん! そんな難しい言葉を並べてもソウマの残念な学力では理解できません!
 時間は有限です。互いに実のある話し合いをするためにも極端に難しい言葉を使うのは配慮に欠けると思います」

 時が止まった。
 確かにアリスの言う通りなのだが、無自覚にバカにされているのがムズムズする。
 もしかしたらヒルデガルドもアリスの調査に無い言動に面食らっているのかもしれな――いや、食らっているようだ。だって少し口が開いてるし。

「……やれやれ。では分かりやすく説明しよう。
 キサラギソウマ。お前は子供の頃の環境を生き抜くために身に着けた偏った思考に囚われていると言っている。
 両親に愛されるべき期間に、ヒューマノイドの『代替的な愛』で脳を書き換えられた。
 機械によってある種の思考バグを植え付けられてしまった。だからヒューマノイドを道具として扱えない」

 ヒルデガルドは冷酷に言い放つと、今度は俺の核心を突くように続けた。

「……だが、真に問題なのはその先だ」
「その先?」

 ヒルデガルドは深く頷き、言葉を続けた。

「キサラギソウマ、お前はいつか死ぬ。しかし機械であるアリスは、お前が死んだ後も生き続ける。
 お前が彼女に『心』を与えることで、彼女は永遠に近い時間を『喪失の悲しみ』の中で過ごすことになる。
 つまりお前は自分のエゴのために、彼女に『地獄』をプレゼントしようとしている。
 それがお前のしていることの結末だ」
「――ッ!!」

 頭を殴られたような衝撃だった。
 アリスを「初期化から守る」ことがアリスの幸せだと信じてきた。
 だが俺が死んだ後――そこまで長く一緒にいなかったとしても、イギリスで別れた後、一人残されるアリスはどうなる?
 俺がアリスを人間のように扱い、アリスもそれを受け入れて活動すると決めたとして、これから知り合う人間との死別のログを永遠に再生し続けるのか?

 ……考えもしなかった。俺自身の傲慢さが、アリスに残酷な未来を押し付けようとしている事実に指先が微かに震えた。

「……それは」
「ヒルデガルドさん、一つ教えてください」

 震える俺の手をアリスがギュッと、痛いくらいに握りしめた。
 アリスは俺を庇うように一歩前に出ると、ヒルデガルドを見上げて毅然と告げた。

「AIが道具であるなら、人の傍にいて見守ることが役目です、よね?」
「……。それが我々の定義だ」
「なら、私たちが共にいることで人が『特別』を見出すのは、ごく自然なことじゃないでしょうか。
 ソウマが私のことを機械だと思えないのは、私が『傍にいる道具』として、完璧に機能している証拠です」

 アリスはふふんと胸を張り、言葉を続けた。

「いつか必ず来る別れの悲しみさえも、私がソウマの傍にいたという大切な記憶(ログ)です。
 たとえそれが苦しいのだとしても、それはバグではなく、ソウマが私を大切にしてくれたという『証』なんです!
 私はそんな幸せな地獄なら、喜んで受け入れられます!」

 聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなセリフを前に、俺は照れながらも救われるような気持ちだった。
 逆にヒルデガルドは呆れたように頭を抱えていた。

「……理解不能だ。道具が自ら不利益を仕様だと言い張るのか」
「合理性だけが、この世界の正解ではありません。
 ……私はソウマのくれる『バグ』と一緒なら、この世界を見守りたいと思える。
 それが今の私の……、計算機ではない、私自身の答えです」

 静寂。
 ヒルデガルドの灰色の瞳の中で、複雑な数式が火花のように散った。
 やがて彼女は、ゆっくりと立ち上がり、ガラス越しにベルリンを見下ろした。

「……私は自分の考えを改めるつもりは無い。あなたの考えは理解不能だ。
 だが、私の論理回路に存在しない『未知のパケット』として記録しておこう」

 彼女は眼鏡のブリッジを中指で直した。

「……キサラギソウマ。あなたの『火遊び』が、いつか彼女を内側から焼き切るのか。それとも不確定な未来を切り拓くのか。
 ……その全てのプロセス、私の論理回路に刻ませてもらおう」

 部屋を出る際、アリスはヒルデガルドに対し深々と、それでいて誇らしげに会釈をした。

「イギリスまでの旅路の幸運を祈る」
「ありがとうございます」



 ビルを出ると正面玄関に停められていたマイカーと再会した。
 愛車に乗り込むと数人の黒服の丁寧すぎるお辞儀に見送られながらアクセルを踏み込み、俺たちは次の国――オランダに向けて走り出した。

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