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自遊時閑 2023/11/30 18:25

[森鴎外] 高瀬舟 ソフトノベル

 高瀬舟《たかせぶね》は京都の高瀬川を上下する小舟である。江戸時代、京都の罪人が島流しを申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで別れの挨拶をすることが許された。それから罪人は高瀬舟に乗せられて、大阪へ回されるのである。それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる役人で、この役人は罪人の親類の中で、代表一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。これは上に許可されたことではないが、大目に見られており、いわゆる、黙認であった。
 当時、島流しを申し渡された罪人は、もちろん重い罪を犯したと認められた人間ではあったが、決して盗みをするために、人を殺し火を放ったというような、極悪な人物が多数を占めていたわけではない。高瀬舟に乗る罪人の大半は、いわゆる事実誤認のために、思わぬ咎《とが》を犯した人であった。ありふれた例を挙げてみれば、当時無理心中を謀って、相手の女を殺し、自分だけ生き残った男というような類である。
 そういう罪人を乗せて、夕暮れの鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を横切って下りるのであった。この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜通し身の上を語り合う。いつもいつも悔やんでも元には戻らない世迷い言である。護送をする役人は、傍らでそれを聞いて、罪人をだした親族の悲慘な境遇を細かに知ることができた。しょせん、町奉行所の白洲《しらす》で、表向きの罪状を聞いたり、役所の机の上で、口述を読んだりする役人には夢に思うこともできない境遇である。
 役人を勤める人にも、それぞれの性格があるから、この時ただうるさいと思って、耳を塞ぎたいと思う冷淡な役人がいるかと思えば、またしみじみと人の哀しみを身に受けとめ、その役目ゆえ表情には見せないながら、無言の中に密かに胸を痛める役人もいた。場合によっては非常に悲惨な境遇に陥った罪人とその親類を、特に心弱い、涙脆い役人が監督していくことになると、その役人は思わず涙を流すのであった。
 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の役人仲間で、不快な職務として嫌がられていた。


 いつの頃であったか。多分、江戸で白河楽翁《しらかわらくおう》侯が権力を仕切っていた寛大な政治の頃であっただろう。智恩院《ちおんいん》の桜が鐘に散る春の夕暮れに、これまでに類を見ない、珍らしい罪人が高瀬舟に乗せられた。
 その名を喜助といって、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。元より牢屋敷に呼び出されるような親類はないので、舟にもたった一人で乗った。
 護送を命ぜられて、一緒に舟に乗り込んだ役人、羽田庄兵衛は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。さて、牢屋敷から桟橋まで連れて来る間、この痩せ身の、色の蒼白い喜助の様子を見るに、いかにも素直で、いかにもおとなしく、自分を公儀の役人として敬って、何事につけても逆らわないようにしている。しかもそれが、罪人の間に時々見受けるような、従順を装って権力に媚びる態度ではない。
 庄兵衛は不思議に思った。そして舟に乗ってからも、役目として見張っているばかりでなく、絶えず喜助の挙動に、細かく注意をしていた。
 その日は暮方から風がやんで、空一面を覆った薄い雲が、月の輪郭をかすませ、だんだん近寄ってくる夏の温さが、両岸の土からも、川底の土からも、もやになって立ち昇るかと思われる夜であった。下京の町を離れて、加茂川を横切った頃からは、辺りがひっそりとして、ただ船首に割かれる水のささやきを聞くのみである。
 夜舟で寝ることは、罪人にも許されているのに、喜助は横になろうともせず、雲の濃淡に従って、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙っている。その額は晴やかで目には微かな輝きがある。
 庄兵衛はまともには見ていないが、始終喜助の顔から目を離さずにいる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返している。それは喜助の顔が縦から見ても、横から見ても、いかにも楽しそうで、もし役人に対する気兼ねがなかったなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌い出すとかしそうに思われたからである。
 庄兵衛は心の内に思った。これまでこの高瀬舟の監督をしたことは数知れない。しかし乗せていく罪人は、いつもほとんど同じように、目もあてられない気の毒な様子をしていた。それに比べてこの男はどうしたのだろう。遊覧船にでも乗ったような顔をしている。罪は弟を殺したのだそうだが、もしもその弟が悪い奴で、それをどんな成り行きになって殺したにせよ、人の情としていい気持ちはしないはずである。この色の蒼い優男が、その人の情というものが完全に欠けているほどの、世にも稀な悪人であろうか。どうもそうは思えない。ひょっとして気でも狂っているのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つ辻褄の合わない言動や挙動がない。この男はどうしたのだろう。庄兵衛には喜助の態度が考えれば考えるほど分からなくなるのである。


 暫くして、庄兵衛は堪えきれなくなって呼び掛けた。
「喜助。お前は何を思っているのか」
「はい」と言ってあたりを見回した喜助は、なにかを役人に見咎められたのではないかと気遣うように、佇まいを直して庄兵衛の顔をうかがった。
 庄兵衛は自分が突然質問した動機を明して、役目から離れた問答を求める言い訳をしなくてはならないように感じた。そこでこう言った。
「いや。別に訳があって聞いたのではない。実はな、俺はさっきからお前の島へ行く気持ちが聞いてみたかったのだ。俺はこれまでこの舟で大勢の人を島へ送った。それは随分色々な身の上の人だったが、誰もが島へ行くのを悲しがって、見送りにきて、一緒に舟に乗る親類の者と、夜通し泣くのに決まっていた。そこへきてお前の様子を見れば、どうも島へ行くのを苦にしてはいないようだ。一体お前はどう思っているのだ」
 喜助はにっこり笑った。
「ご親切におっしゃって下さって、ありがとうございます。なるほど、島へ行くということは、他の人には悲しい事でございましょう。その気持ちはわたくしにも同情することができます。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしが経験したような苦しみは、どこへいっても味わうことはなかろうと存じます。お上のお慈悲で、命を助け、島へ送って下さいます。もし島が辛い所でも、鬼の棲まう所ではございますまい。わたくしはこれまで、自分の居て良い所というものがどこにもございませんでした。今度、お上は島に居ろとおっしゃって下さいます。その居ろとおっしゃる所に落ち着いていることができますのが、まず何よりも有り難い事でございます。それにわたくしはこんなにか弱い体ではございますが、一度も病気に罹ったことがございませんから、島へ行ってから、どんなつらい仕事をしたって、体を痛めるようなことはあるまいと存じます。それから今度島へお送り下さるにつきまして、二百文の銭を頂きました。それをここに持っております」
 こう言いかけて、喜助は胸に手を当てた。島流しを言い付けられたものには、二百銅を渡すというのは、当時の掟であった。喜助は言葉を続けた。
「お恥ずかしいことを申し上げなくてはなりませんが、わたくしは今日まで二百文というお金を、こうして懐に入れて持っていたことはございません。どこかで仕事に就きたいと思って、仕事を探して歩きまして、それが見つかり次第、労を惜まずに働きました。そして貰った銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませんでした。それも、現金で物が買って食べられるときは、わたくしの金回りがいい時で、大抵は借りたものを返して、また借りたのでございます。それが牢に入ってからは、仕事をせずに食べさせて頂きます。わたくしはそればかりでも、お上に対して申し訳のないことをしているようでなりません。それに牢を出る時に、この二百文を頂きましたのでございます。こうして相変わらずお上の物を食べていてみますれば、この二百文はわたくしが使わずに持っていることができます。お金を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが初めてでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の元手にしようと楽しんでおります」
 こう言って、喜助は話を終えた。
 庄兵衛は「うん、そうかい」とは言ったが、聞いたことがあまりにも想像の範疇を超えていて、暫くなにも言うことができずに、考えこんで黙っていた。
 庄兵衛はもう初老に手が届く歳になっていて、もう女房に子供を四人生ませている。それに老母が生きているので、家は七人暮らしである。普通の人にはケチと言われるほどの、倹約生活をしていて、衣類は自分が役目のために着るものの他、寝巻きしか用意せずにいる。しかし不幸な事に、妻を良い身分の商人の家から迎えた。そこで女房は夫が給料として貰う扶持米《ふちまい》で暮しを立てていこうとする善意はあるが、裕福な家に可愛がられて育った癖があるので、ケチな夫が満足するほど財布の紐を引き締めて暮らしていくことができない。ともすれば月末になって勘定が足りなくなる。すると女房が内緒で里から金を持ってきて帳尻を合わせる。それは夫が借金というものを毛嫌いしているからである。そういうことは結局、夫に知られずにはいられない。庄兵衛は五節句だといっては、里方から物を貰い、子供の七五三の祝いだといっては、里方から子供に衣類を貰うことでさえ、心苦しく思っているのだから、暮らしの穴を埋めて貰ったのに気が付いては、良い顔はしない。格別平和を破るような事のない羽田の家に、時折波風が起こるのは、これが原因である。
 庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上と自分の身の上を比べてみた。喜助は仕事をして給料を貰っても、右から左へ人手に渡して失くしてしまうと言った。いかにも哀れな、気の毒な環境である。しかし一転して我が身を顧みれば、彼との間に、果してどれほどの差があろうか。自分も上から貰う扶持米を、右から左へ人手に渡して暮らしているに過ぎないではないか。彼との相違は、言わばそろばんの桁が違っているだけで、喜助の有り難がる二百文に相当する貯蓄さえ、こっちはないのである。
 さて、桁を変えて考えてみれば、二百文でも、喜助がそれを貯蓄とみて喜んでいることに無理はない。その気持ちはこっちから察してやることができる。しかし、いかに桁を変えて考えてみても、不思議なのは喜助の欲のないこと、分相応の満足を知っていることである。
 喜助は世間で仕事を見つけるのに苦んだ。それを見つけさえすれば、労を惜まずに働いて、かろうじて生活できるだけのことで満足した。そこで牢に入ってからは、今まで得難かった食が、ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知ることのなかった満足を覚えたのである。
 庄兵衛はいかに桁を変えて考えてみても、ここに彼と自分の間に、大きな隔たりがあることを知った。自分の扶持米で立てていく暮らしは、時々足らないことがあるにしても、大抵収支が合っている。手一杯の生活である。それゆえそこに満足を覚えたことはほとんどない。いつもは幸福とも不幸とも感じずに過ごしている。しかし心の奥には、こうして暮らしていて、ふとお役が御免になったらどうしよう、大病にでもなったらどうしようという不安が潜んでいて、時々妻が里方から金を取り出してきて穴埋めをしたことなどがわかると、この不安が意識に浮かび上がってくるのである。
 一体この隔たりはどうして生じてくるのだろう。ただ上辺だけを見て、それは喜助には身内がないのに、こっちにはあるからだ、といってしまえばそれまでではある。しかしそれは嘘だ。もし自分が独り者であったとしても、どうも喜助のような気持ちにはなられそうにない。この根底はもっと深いところにあるようだと、庄兵衛は思った。
 庄兵衛はただ漠然と、人の一生というようなことを思ってみた。人は身に病いがあると、この病いがなかったらと思う。その日その日の食がないと、食っていけたらと思う。万一の時に備えて貯蓄がないと、少しでも貯蓄があったらと思う。貯蓄があっても、またその貯蓄がもっと多かったらと思う。そのように次から次へと考えてみれば、人はどこで踏みとどまることができるものやら分からない。それを今目の前で踏みとどまって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が付いた。
 庄兵衛は今更のように驚異の目を見張って喜助を見た。この時庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から後光がさすように思った。


 庄兵衛は喜助の顔を見守りつつまた、「喜助さん」と呼びかけた。今度は「さん」と言ったが、これは十分の意識をもって呼称を改めたわけではない。その声が我が口から出て我が耳に入るや否や、庄兵衛はこの呼称が不適当なのに気が付いたが、今さら既に出た言葉を取り返すこともできなかった。
「はい」と答えた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思ったらしく、おそるおそる庄兵衛の顔色をうかがった。
 庄兵衛は少し間の悪いのを堪えて言った。
「色々と聞くようだが、お前が今度島へ送られるのは、人をあやめたからだという話だ。俺にその訳をついでに話し聞せてくれないか」
 喜助はひどく恐れ入った様子で、「かしこまりました」と言って、小声で話しだした。
「どうもとんだ気の迷いで、恐ろしいことをいたしまして、なんとも申し上げようがございません。後で思ってみますと、どうしてあんなことができたかと、我ながら不思議でなりません。全く夢中でいたしましたのでございます。
 わたくしは小さい時に両親が流行り病で亡くなりまして、弟と二人あとに残りました。初めは町内の人達が、丁度軒下に生まれた子犬を不憫がるように、お恵み下さいますので、近所中の使い走りなどをいたして、飢え凍えもせずに育ちました。次第に大きくなりまして職を探しますにも、できるだけ二人が離れないようにいたして、一緒にいて、助け合って働きました。
 去年の秋の事でございます。わたくしは弟と一緒に、西陣の職場に入りまして、空引《そらびき》と言う紋織りをいたすことになりました。そのうち弟が病気で働けなくなったのでございます。その頃わたくし共は北山の掘っ建て小屋同然の所に寝起きをいたして、紙屋川の橋を渡って職場へ通っておりましたが、わたくしが暮れてから、食物などを買って帰ると、弟は待ち受けていて、わたくしを一人で稼がせては済まない済まないと申しておりました。
 ある日いつものように何気なく帰ってみますと、弟は布団の上に突っ伏していまして、周囲は血だらけなのでございます。わたくしはびっくりいたして、手に持っていた竹の皮包や何かを、そこへほっぽり出して、そばへ行って『どうしたどうした』と申しました。すると弟は、両方の頬から顎へかけて血に染った、真っ青な顔を上げて、わたくしを見ましたが、ものを言うことができません。息をいたす度に、傷口からひゅうひゅうという音がいたすだけでございます。
 わたくしにはどうも様子がわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と言って、そばへ寄ろうとすると、弟は右の手を床について、少し体を起こしました。左の手はしっかり顎の下の所を押さえていますが、その指の間から黒い血の固まりがはみ出しています。弟は目でわたくしのそばへ寄るのをとめるようにして口を利きました。少しずつものが言えるようになったのでございます。
『済まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせ治りそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄貴に楽させたいと思ったのだ。喉笛を切ったら、すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く深くと思って、力いっぱい押し込むと、横へすべってしまった。刃こぼれはしなかったようだ。これをうまく抜いてくれたら俺は死ねるだろうと思っている。ものを言うのが切なくっていけない。どうか手を貸して抜いてくれ』と言うのでございます。
 弟が左の手を弛めるとそこからまた息が漏れます。わたくしはなんと言おうにも、声が出ませんので、黙って弟の喉の傷を覗いてみますと、どうも右の手に剃刀を持って、横に喉を切ったが、それでは死にきれなかったので、そのまま剃刀を、抉るように深く突っ込んだものと見えます。柄がやっと二寸ばかり傷口から出ています。わたくしはそれほどの事を見て、どうしようと言う考えも付かずに、弟の顔を見ました。弟はじっとわたくしを見詰めています。
 わたくしはやっとの事で、『待っていてくれ、お医者を呼んで来るから』と申しました。弟は怨めしそうな目つきをいたしましたが、また左の手で喉をしっかり押さえて、『医者がなんになる、あぁ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』と言うのでございます。わたくしは途方に暮れたような気持ちになって、ただ弟の顔ばかり見ております。こんな時は、不思議なもので、目がものを言います。弟の目は『早くしろ、早くしろ』と言って、さも怨めしそうにわたくしを見ています。わたくしの頭の中では、なんだかこう車輪のような物がぐるぐる回っているようでございましたが、弟の目は恐ろしい催促をやめません。それにその目の怨めしそうなのが段々険しくなってきて、とうとう敵の顔をでも睨むような、憎々しい目になってしまいます。それを見ていて、わたくしはとうとう、これは弟の言ったとおりにしてやらなくてはならないと思いました。
 わたくしは『しかたがない、抜いてやるぞ』と申しました。すると弟の目の色ががらりと変わって、晴やかに、さも嬉しそうになりました。わたくしはとにかく一思いにしなくてはと思って膝をつくようにして体を前へ乗り出しました。弟はついていた右の手を放して、今まで喉を押さえていた手の肘を床について、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしっかり握って、ずっと引きました。この時わたくしの家へ締めておいた表口の戸をあけて、近所の婆さんが入って来ました。留守の間、弟に薬を飲ませたり何かしてくれるように、わたくしの頼んでおいた婆さんなのでございます。もうだいぶ家の中が暗くなっていましたから、わたくしには婆さんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、婆さんは『あっ』と言ったきり、表口を開け放しにして駆け出してしまいました。わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜こう、真っ直ぐに抜こうというだけの注意はいたしましたが、どうも抜いた時の手応えは、今まで切れていなかった所を切ったように思われました。刃が外の方へ向いていましたから、外の方が切れたのでございましょう。わたくしは剃刀を握ったまま、婆さんの入って来てまた駆け出して行ったのを、ぼんやりして見ておりました。婆さんが行ってしまってから、気がついて弟を見ますと、弟はもう事切れておりました。傷口からは大量の血が出ておりました。それから年寄り衆がおいでになって、役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀をそばに置いて、目を半分あいたまま死んでいる弟の顔を見詰めていたのでございます」
 少しうつむき加減になって庄兵衛の顔を下から見上げて話していた喜助は、こう言ってしまって視線を膝の上に落した。
 喜助の話はよく筋が通っている。ほとんど通り過ぎているといってもいい位である。これは半年ほどの間、当時の事を幾度も思い浮べてみたのと、役場で問われ、町奉行所で調べられるその度毎に、注意に注意を加えて記憶を掘り出したためである。
 庄兵衛はその場の様子を目の当たりするような思いをして聞いていたが、これが果たして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑問が、話を半分聞いた時から起こってきて、聞いてしまっても、その疑問を解くことができなかった。弟は剃刀を抜いてくれたら死ねるだろうから、拔いてくれと言った。それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとはいえる。しかしそのままにしておいても、どうせ死ぬことになる弟であったらしい。それが早く死にたいと言ったのは、苦しさに耐えきれなかったからである。喜助はその苦しみを見ているに忍びなかった。苦しみから救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に違いない。しかしそれが苦しみから救うためであったと思うと、そこに疑が生じて、どうしても解けないのである。
 庄兵衛は、色々と心の中で考えてみた末に、自分より上のものの判断に任す他ないという思い、権威《オーソリティー》に従う他ないという念が生じた。庄兵衛はお奉行樣の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちないものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。
 次第に更けていく朧夜に、沈黙の人二人を乗せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。

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自遊時閑 2023/11/28 20:56

[森鴎外] 高瀬舟 ファストノベル

 高瀬舟《たかせぶね》は京都の高瀬川を上下する小舟である。江戸時代、京都の罪人が島流しを申し渡されると、親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで別れの挨拶をすることが許された。それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる役人で、この役人は罪人の親類の中で、代表一人を同船させることを許す慣例であった。
 当時、島流しを申し渡された罪人は、もちろん重い罪を犯したと認められた人間ではあったが、決して盗みをするために、人を殺し火を放ったというような、極悪な人物が多数を占めていたわけではない。大半は、いわゆる事実誤認のために、思わぬ咎《とが》を犯した人であった。
 そういう罪人を乗せて漕ぎ出された高瀬舟は、東へ走って、加茂川を横切って下りるのであった。この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜通し身の上を語り合う。護送をする役人は、傍らでそれを聞いて、罪人をだした親族の悲慘な境遇を知ることができた。
 役人を勤める人にも、それぞれの性格があるから、この時ただうるさいと思って、耳を塞ぎたいと思う冷淡な役人がいるかと思えば、またしみじみと人の哀しみを身に受けとめ、無言の中に密かに胸を痛める役人もいた。
 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の役人仲間で、不快な職務として嫌がられていた。


 いつの頃か、これまでに類を見ない、珍らしい罪人が高瀬舟に乗せられた。
 その名を喜助といって、三十歳ばかりの住所不定の男である。親類はないので、舟にも一人で乗った。
 護送を命ぜられて、一緒に舟に乗り込んだ役人、羽田庄兵衛は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。さて、牢屋敷から桟橋まで連れて来る間、この痩せ身の、蒼白い喜助の様子を見るに、自分を公儀の役人として敬って、何事につけても逆らわないようにしている。
 庄兵衛は不思議に思った。夜舟で寝ることは、罪人にも許されているのに、喜助は横になろうともせず、月を仰いで黙っている。その額は晴やかで目には微かな輝きがある。
 庄兵衛は、始終喜助の顔から目を離さずにいる。そして不思議だと心の内で繰り返している。それは喜助の顔がいかにも楽しそうで、もし役人に対する気兼ねがなかったなら、鼻歌を歌い出すとかしそうに思われたからである。
 これまでこの高瀬舟の監督をしたことは数知れない。しかし乗せていく罪人は、いつも目もあてられない気の毒な様子をしていた。それに比べてこの男はどうしたのだろう。弟を殺したそうだが、どんな成り行きになって殺したにせよ、人の情としていい気持ちはしないはずである。庄兵衛には喜助の態度が考えれば考えるほど分からなくなるのである。


 暫くして、庄兵衛は堪えきれなくなって呼び掛けた。
「喜助。お前は何を思っているのか」
「はい」と言って喜助はあたりを見回した。
「いや。実はな、俺はさっきからお前の島へ行く気持ちが聞いてみたかったのだ。俺はこれまでこの舟で大勢の人を島へ送ったが、誰もが島へ行くのを悲しがって、親類の者と夜通し泣くのに決まっていた。そこへきてお前の様子を見れば、どうも島へ行くのを苦にしてはいないようだ。一体お前はどう思っているのだ」
 喜助はにっこり笑った。
「ご親切におっしゃって下さって、ありがとうございます。なるほど、島へ行くということは、他の人には悲しい事でございましょう。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、これまでわたくしが経験したような苦しみは、どこへいっても味わうことはなかろうと存じます。わたくしはこれまで、自分の居て良い所というものがどこにもございませんでした。今度、お上は島に居ろとおっしゃって下さいます。その居ろとおっしゃる所に落ち着いていることができますのが、まず何よりも有り難い事でございます。それから今度島へお送り下さるにつきまして、二百文の銭を頂きました。それをここに持っております」
 こう言いかけて、喜助は胸に手を当てた。島流しを言い付けられたものには、二百銅を渡すというのは、当時の掟であった。
「わたくしは今日まで二百文というお金を、こうして懐に入れていたことはございません。仕事を探し歩きまして、それが見つかり次第、労を惜まずに働きました。そして貰った銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませんでした。それが牢に入ってからは、仕事をせずに食べさせて頂きます。それに牢を出る時に、この二百文を頂きましたのでございます。お金を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが初めてでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の元手にしようと楽しんでおります」
 こう言って、喜助は話を終えた。
 庄兵衛は聞いたことがあまりにも想像の範疇を超えていて、暫く考えこんで黙っていた。
 庄兵衛はもう初老に手が届く歳になっていて、もう女房に子供を四人生ませている。それに老母が生きているので、家は七人暮らしである。そして、普通の人にはケチと言われるほどの倹約生活をしている。
 庄兵衛は、喜助の身の上と自分の身の上を比べてみた。喜助は仕事をして給料を貰っても、右から左へ人手に渡して失くしてしまうと言った。いかにも哀れな、気の毒な環境である。しかし一転して我が身を顧みれば、彼との間に、果してどれほどの差があろうか。自分も上から貰う給料を、右から左へ人手に渡して暮らしているに過ぎないではないか。彼との相違は、言わばそろばんの桁が違っているだけで、喜助の有り難がる二百文に相当する貯蓄さえ、こっちはないのである。
 さて、桁を変えて考えてみれば、二百文でも、喜助がそれを貯蓄とみて喜んでいることに無理はない。しかし、不思議なのは喜助の欲のないこと、分相応の満足を知っていることである。
 喜助は世間で仕事を見つけるのに苦んだ。それを見つけさえすれば、労を惜まずに働いて、かろうじて生活できるだけのことで満足した。そこで牢に入ってからは、今まで得難かった食が、働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知ることのなかった満足を覚えたのである。
 庄兵衛はいかに桁を変えて考えてみても、ここに彼と自分の間に、大きな隔たりがあることを知った。自分の給料で立てていく暮らしは、大抵収支が合っている。それゆえそこに満足を覚えたことはほとんどない。
 庄兵衛はただ漠然と、人の一生というようなことを思ってみた。人はその日その日の食がないと、食っていけたらと思う。万一の時に備えて貯蓄がないと、少しでも貯蓄があったらと思う。貯蓄があっても、またその貯蓄がもっと多かったらと思う。そのように次から次へと考えてみれば、人はどこで踏みとどまることができるものやら分からない。それを今目の前で踏みとどまって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が付いた。
 庄兵衛は今更のように驚異の目を見張って喜助を見た。この時庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から後光がさすように思った。


 庄兵衛は「喜助さん」と呼びかけた。庄兵衛はこの呼称が不適当なのに気が付いたが、今さら既に出た言葉を取り返すこともできなかった。
「はい」と答えた喜助も不審に思ったらしく、おそるおそる庄兵衛の顔色をうかがった。
 庄兵衛は少し間の悪いのを堪えて言った。
「色々と聞くようだが、お前が今度島へ送られるのは、人をあやめたからだという話だ。その訳を聞せてくれないか」
 喜助は恐れ入った様子で話しだした。
「とんだ気の迷いで、恐ろしいことをいたしまして、なんとも申し上げようがございません。
 わたくしは小さい時に両親が流行り病で亡くなりまして、弟と二人あとに残りました。初めは町内の人達が、丁度軒下に生まれた子犬を不憫がるように、お恵み下さいますので、飢え凍えもせずに育ちました。次第に大きくなりまして職を探しますにも、できるだけ二人が離れないようにいたして、助け合って働きました。
 去年の秋の事。弟が病気で働けなくなったのでございます。その頃わたくし共は掘っ建て小屋同然の所に寝起きをいたして、わたくしが食物などを買って帰ると、弟は待ち受けていて、わたくしを一人で稼がせては済まないと申しておりました。
 ある日帰ってみますと、弟は布団の上に突っ伏していまして、周囲は血だらけなのでございます。わたくしはびっくりいたして、そばへ行きました。すると弟は、両方の頬から顎へかけて血に染った、真っ青な顔を上げて、わたくしを見ましたが、ものを言うことができません。
 弟は右手を床について、少し体を起こしました。左手はしっかり顎の下の所を押さえていますが、その指の間から黒い血の固まりがはみ出しています。
『済まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせ治りそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄貴に楽させたいと思ったのだ。喉笛を切ったら、すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。この剃刀をうまく抜いてくれたら俺は死ねるだろう。どうか手をかして抜いてくれ』と言うのでございます。
 弟が左手を弛めるとそこからまた息が漏れます。わたくしはそれほどの事を見て、どうしようという考えも付かずに、弟の顔を見ました。
 わたくしはやっとの事で、『待っていてくれ、お医者を呼んで来るから』と申しました。しかし、弟は『医者がなんになる、あぁ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』と言うのでございます。こんな時は、不思議なもので、目がものを言います。弟の目は、さも怨めしそうにわたくしを見ています。それにその目が段々険しくなってきて、とうとう敵の顔を睨むような、憎々しい目になってしまいます。わたくしはとうとう、これは弟の言ったとおりにしてやらなくてはならないと思いました。
 わたくしは『しかたがない、抜いてやる』と申しました。すると弟の目の色ががらりと変わって、晴やかに、さも嬉しそうになりました。わたくしは剃刀の柄をしっかり握って、ずっと引きました。この時表口の戸をあけて、近所の婆さんが入って来ました。婆さんは『あっ』と言ったきり、駆け出してしまいました。わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜こう、真っ直ぐに抜こうというだけの注意はいたしましたが、どうも抜いた時の手応えは、今まで切れていなかった所を切ったように思われました。わたくしは剃刀を握ったまま、婆さんの入ってきてまた駆け出して行ったのを、ぼんやりして見ておりました。婆さんが行ってしまってから、気がついて弟を見ますと、弟はもう事切れておりました。それから役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀をそばに置いて、死んでいる弟の顔を見詰めていたのでございます」
 喜助はこう言って視線を膝の上に落した。庄兵衛はその場の様子を目の当たりするような思いをして聞いていたが、これが果たして弟殺しというものだろうかという疑問が、話を半分聞いた時から起こってきて、その疑問を解くことができなかった。喜助は苦しみを見ているに忍びなかった。苦しみから救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に違いない。しかしそれが苦しみから救うためであったと思うと、そこに疑が生じて、どうしても解けないのである。
 庄兵衛は、色々と心の中で考えてみた末に、自分より上のものの判断に任す他ないという思い、権威《オーソリティー》に従う他ないという念が生じた。庄兵衛はお奉行樣の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちないものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。
 次第に更けていく朧夜に、沈黙の人二人を乗せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。

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自遊時閑 2023/11/25 22:10

[中島敦] 山月記 ファストノベル

 隴西《ろうさい》の李徴《りちょう》は博識で知性に優れていた。天宝の最後の年、彼は若くして官僚に名を連ねた。ただ、彼は頑固で人と打ち解けず、己の才覚を過信していたため、低い地位に甘んずることを良しとしてはいなかった。
 ほどなく官職を退いた後は、故郷に帰り、人との交流を絶って、ひたすら詩を作ることに明け暮れた。地位の低い役人として俗悪な高官の前に膝を屈するよりは、詩人としての名を後世に残そうとしたのである。
 しかし、詩人としての名は上がらず、生活は日を追って苦しくなる。数年後、貧窮に耐えられず、妻子のために信念を曲げ、地方の役人の職につくことになった。
 一方、これは、自身の詩人としての生業《なりわい》に半ば絶望したためでもある。彼が昔、愚鈍と断じた同輩たちは、すでに遥か高みに進んでいた。その連中から命令を受けることが、李徴の自尊心をどれほど傷つけたかは、想像に難くない。
 一年後、公用で汝水《じょすい》の近くに泊まった時、ついに発狂した。夜中、急に寝床から起き上がると、訳の分からないことを叫びつつ、闇の中へ駆け出した。その後、彼がどうなったかを知る者は、誰もなかった。

 翌年、袁傪《えんさん》という者が、勅命を受け嶺南《れいなん》に向かう途中、商於《しょうお》の地に泊まった。次の朝、まだ暗いうちに出発しようとしたところ、宿場の役人がこう言った。
「ここから先に人喰い虎が出るので、昼間でなければ通せない。少し待たれたほうがよろしいでしょう」
 しかし袁傪は、同行者が多勢いることを頼りに、役人の言葉を気にせず出発した。林の中を通っていった時、一匹の虎が草むらから飛び出した。虎は、危うく袁傪に飛びかかるかと思えたが、即座にその身を返して、元の草むらに隠れた。すると、中から「危ないところだった」と呟くのが聞えた。その声に袁傪は聞き覚えがあった。彼は咄嗟に思い当たって、叫んだ。
「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
 袁傪は友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。
 暫くして、低い声が答えた。
「いかにも、自分は隴西の李徴である」
 袁傪は恐怖を忘れ、久方ぶりの挨拶をした。そして、何故出てこないのかと問いかけた。
「自分は今や異形となっている。どうして、恥ずかしげもなくこの姿を晒せようか。しかし、今、図らずも友に会えて、恥も忘れるほどに懐かしい。ほんの少しでいい、言葉を交わしてくれないだろうか」
 彼は見えざる声と対談した。都の噂、旧友の消息、袁傪の現在の地位、それに対する祝辞。それらが語られた後、袁傪は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを尋ねた。
 今から一年程前、汝水の近くに泊まった夜のこと、ふと目を覚ますと、外で誰かが名を呼んでいる。外へ出てみると、声は闇の中からしきりに自分を招く。
 自分は声を追って走り出した。いつしか道は山林に入り、知らぬ間に自分は両手で地を掴んで走っていた。気が付くと、手先や肘のあたりに毛を生じているらしい。
 少し明るくなってから、川に姿を映してみると、すでに虎となっていた。自分は直ぐに死を想った。しかし、その時、目の前を一匹の兎が駆け抜けるのを見た途端に、自分の中の〝人間〟は姿を消した。再び自分の中の〝人間〟が目を覚ました時、自分の口は兎の血にまみれていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行を続けてきたか、それは到底この口からは語れない。
 ただ、一日の中で数時間は、人間の心が還《かえ》ってくる。しかし、その人間に還る時間も、日を追うごとに短くなっていく。もう少したてば、俺の中の人間の心は、獣の習慣の中に埋れて消えてしまうだろう。そうすれば、最後には自分の過去も忘れ果て、今日のように道で君と出会っても友と認めることなく、君を引き裂き喰ってなんの悔も感じないだろう。
 俺の中の人間が全て消えてしまえば、おそらく、そのほうが、俺は〝幸せ〟だろう。なのに、俺の中の人間は、その事を、この上なく恐ろしく感じているのだ。この気持ちは誰にも分からない。俺と同じ運命になった者でなければ。
 ところで、そうだ。俺が完全に人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。
 自分は元々詩人として名を上げるつもりでいた。かつて作った詩の数は百を超える、もちろん、世に出てはいない。その中に、今もなお語れるものが数十ある。これを記録していただきたいのだ。自分が生涯それに執着したものを、一部なりとも後代に伝えずには、死んでも死に切れない。
 袁傪は部下に命じ書き取らせた。李徴の声は朗らかに響いた。どれも格調高く、卓逸した、作者の非凡の才を思わせるものばかりである。しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。作者の素質が一流に属するものであることは疑いない。しかし、一流の作品となるのには、どこか非常に微妙な点において欠けるところがあるのではないか、と。
 詩を吐き終わった李徴の声は、突然調子を変え、自嘲するかのように言った。
 恥ずかしいことだが、こんな〝無様な〟身と成り果てた今でも、俺の詩が長安《ちょうあん》の知識人の机上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。嗤《わら》ってくれ。この哀れな男を。そうだ。お笑い草ついでに、今の想いを詩にしてみようか。この虎の中に、まだ、かつての李徴が生きている〝しるし〟に。

  偶因狂疾成殊類 図らずして心病み、人ならざる物となる
  災患相仍不可逃 災い重なり逃れることも叶わぬ
  今日爪牙誰敢敵 今やこの爪牙に誰が敵対しようか
  当時声跡共相高 かつて我らは共に名を馳せた
  我為異物蓬茅下 だが、我は異形と成り果て草の下にいる
  君已乗軺気勢豪 貴君は馬車に乗る地位となり勢い溢れる
  此夕渓山対明月 この夕暮れの谷や山を照らす月に向かい
  不成長嘯但成嘷 我は詩を吟ずることもなく、ただ吠える

 木々の間を渡る冷風はすでに夜明けが近いことを告げていた。人々は厳かに、詩人の薄幸を嘆いた。李徴の声は続ける。
 何故こんな運命になったか分からないと言ったが、思い当たることが全くないでもない。人間であったとき、人々は俺を高慢だ、尊大だと言った。実は、それが羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、自分に自尊心が無かったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。俺は詩によって名を馳せようと思いながら、師を仰いだり、詩友と交流を求め、切磋琢磨することをしなかった。かといって、低俗な人間に落ちぶれることも良しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のせいだ。
 俺は次第に世と離れ、苦悶と憤慨によってますます己の内なる臆病な自尊心を飼い〝太らせる〟結果になった。人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが心だという。俺の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を失い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の姿をこうして、内心に相応しいものに変えてしまったのだ。
 俺には最早人間としての生活はできない。たとえ、今、俺が頭の中で、どんな優れた詩を作ったところで、どういう手段で発表できよう。まして、俺の頭は日ごと虎に近づいていく。どうすればいいのだ。俺は堪まらなくなる。そういう時、俺は、向こうの山頂の岩に上り、谷に向かって吼《ほ》える。この胸を焼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。しかし、獣どもはただ恐れ、ひれ伏すばかり。山も樹木も月も露も、虎が怒り狂っているとしか考えない。誰一人俺の気持ちを分かってくれるものはない。ちょうど、人間だった頃、俺の傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。
 ようやく辺りの暗さが薄らいできた。どこからか、夜明けを告げる笛の音が哀しげに響き始めた。
 最早、別れを告げなければならない。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。君が南から帰ったら、俺はすで死んだと告げてもらえないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願いだが、彼女たちが路頭に迷わないように計らっていただけるならば、自分にとって、これ以上恩に着ることはない。
 言い終わって、草むらから慟哭《どうこく》が聞えた。袁傪もまた涙を浮かべ、李徴の意に沿いたいと答えた。李徴の声はしかし、たちまち先刻の自嘲的な調子に戻って、言った。
 本当は、まず、このことを先にお願いするべきだったのだ、俺が人間だったのなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。
 そうして、付け加えて言うことに、帰りには決してこの道を通らないで欲しい、その時には自分が狂っていて友を認めずに襲いかかるかもしれないから。また、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、こちらを振り返って見てもらいたい。自分は今の姿をもう一度お目にかけよう。我が醜悪な姿を示して、再びここを過ぎて自分に会おうという気持ちを君に起させないために。
 袁傪は別れの言葉を述べ、馬に上った。草むらからは、堪えざるがごとき泣き声が漏れ聞こえた。袁傪も涙の中出発した。
 一行が丘の上についた時、彼らは、言われたとおりに振り返って、先程の林間の草地を眺めた。たちまち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は、二声三声、咆哮《ほうこう》したかと思うと、また、草むらに入って、再びその姿を見ることはなかった。

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自遊時閑 2023/11/22 17:31

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自遊時閑 2023/11/19 19:02

[芥川龍之介] 蜘蛛の糸 ソフトノベル

  一

 ある日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池《はすいけ》のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、その真ん中にある金色のおしべからは、なんとも言えない良い匂いが、絶え間なく辺りへ溢れております。極楽は丁度朝なのでございましょう。
 やがてお釈迦様はその池のふちにおたたずみになって、水面を覆っている蓮の葉の間から、ふと下の様子をご覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当たっていますから、水晶のような水を透き通して、三途の河や針の山の景色が、丁度のぞき窓を見るように、はっきりと見えるのでございます。
 するとその地獄の底に、カンダタと言う男が一人、他の罪人と一緒にうごめいている姿が、お目に止まりました。このカンダタと言う男は、人を殺したり家に火をつけたり、色々な悪事を働いた大泥棒でございますが、それでもたった一つ、善いことをいたした覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、道ばたを這って行くのが見えました。そこでカンダタは早速足を上げて、踏み殺そうといたしましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無闇に取るということは、いくらなんでも可哀そうだ」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。
 お釈迦様は地獄の様子をご覧になりながら、このカンダタは蜘蛛を助けたことがあるとお思い出しになりました。そうしてそれだけの善いことをした報いには、できるなら、この男を地獄から救い出してやろうとお考えになりました。幸い、そばを見ますと、翡翠《ひすい》のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけております。お釈迦様はその蜘蛛の糸をそっとお手にお取りになって、玉のような白蓮《しらはす》の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれをお下しなさいました。

  二

 こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一緒に、浮いたり沈んだりしていた、カンダタでございます。何しろどちらを見ても、真っ暗で、たまにその暗闇からぼんやり浮き上がっているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さといったらございません。その上辺りは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと言っては、ただ罪人がつく微かな嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちてくるほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦に疲れ果てて、泣き声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですから流石の大泥棒カンダタも、やはり血の池の血にむせびながら、まるで死にかかったカエルのように、ただもがいてばかりおりました。
 ところがある時の事でございます。何気なくカンダタが頭を上げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした闇の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一筋細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るではございませんか。カンダタはこれを見ると、思わず手を打って喜びました。この糸にすがりついて、どこまでも登っていけば、きっと地獄から抜け出せるに違いございません。いや、うまくいくと、極楽へ入ることさえもできましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられることもなくなれば、血の池に沈められることもあるはずはございません。
 こう思いましたからカンダタは、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりと掴みながら、一生懸命に上へ上へとたぐり登り始めました。元より大泥棒のことでございますから、こういうことには昔から、慣れきっているのでございます。
 しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦ってみたところで、簡単に上へは出られません。やや暫く登るうちに、とうとうカンダタもくたびれて、もう一たぐりも上の方へは登れなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休みするつもりで、糸の中程にぶら下がりながら、遥かに目の下を見下しました。
 すると、一生懸命に登った甲斐あって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう闇の底にいつの間にか隠れております。それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。この調子で登っていけば、地獄から抜け出すのも、案外簡単かもしれません。カンダタは両手を蜘蛛の糸にからませながら、ここへ来てから何年も出したことのない声で、「しめた。しめた」と笑いました。
 ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限りもない罪人たちが、自分の登った後をつけて、まるでアリの行列のように、やはり上へ上へ一心によじ登ってくるではございませんか。カンダタはこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、暫くはただ、バカのように大きな口を開いたまま、目ばかり動かしておりました。自分一人でさえ切れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに耐えることができましょう。もし万一途中で切れたといたしましたら、折角ここへまで登ってきた、この肝心な自分までも、元の地獄へ逆さ落としに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そういううちにも、罪人たちは何百となく何千となく、真っ暗な血の池の底から、うようよと這い上がって、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせと登って参ります。今の中にどうかしなければ、糸は真ん中から二つに切れて、落ちてしまうに違いありません。
 そこでカンダタは大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は俺のものだぞ。お前たちは一体誰に訊いて、登ってきた。下りろ。下りろ」と喚きました。
 その途端でございます。今までなんともなかった蜘蛛の糸が、急にカンダタのぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて切れました。ですからカンダタもたまりません。あっという間もなく風を切って、コマのようにくるくる回りながら、見る見る中に闇の底へ、真っ逆さまに落ちてしまいました。
 後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中程に、短く垂れているばかりでございます。


  三

 お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶらお歩きになり始めました。自分ばかり地獄から抜け出そうとする、カンダタの無慈悲な心が、そうして、その心相応の罰を受けて、元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、浅ましく思し召されたのでございましょう。
 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着いたしません。その玉のような白い花は、お釈迦様のおみ足の周りに、ゆらゆら花弁を動かして、その真ん中にある金色のおしべからは、なんとも言えない良い匂いが、絶え間なく辺りへ溢れております。極楽ももう昼に近くなったのでございましょう。

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