雑記:なぜ反差別を標榜する人たちはカジュアルに差別するのか
先日のあおちゃんぺ氏主催のパレードに対して、参加者に男性が多かったことを揶揄するツイートを多く目撃した。ある著名なフェミニスト男性は、「おじさんたちによる「女性を性搾取させろパレード」」にしか見えないとも語っていた。
だが、当然ながら参加した男性たちの内心など第三者に分かるはずもない。かの著名人の発言からは、「おじさん」という属性や、このパレードの参加者に対する差別的な偏見が滲んでいるように見える。パレードに参加した「おじさん」の一人として、私も大変悲しい気持ちを覚えた。
ツイッターには連日、攻撃的・侮蔑的・差別的なツイートが溢れている。そういうツイートを見て、やるせない気持ちになった後、その投稿者のプロフィールを見に行くと、なぜかそこに「反差別」と書かれていることがしばしばある。なぜ反差別を訴える人たちがカジュアルに差別をするのか? 意味が分からず混乱した経験を持つ人は少なくないだろう。
むろん、「反差別」を訴える人が、皆そうだというわけではないだろう。だが、そういった人たちが一定数存在しているのは事実だ。この意味不明な現象はなぜ発生するのか?
逆に考えてみよう。なぜわれわれはプロフィールに「反差別」と書かないのか? もちろん、われわれが差別大好きマンだからではない。逆だ。われわれは「差別はいけない」ことを当然のように内面化しており、差別を当たり前のように嫌っているので、わざわざそれを表明して共有する必要がないだけだ。
では、なぜ彼らはわざわざ、自分たちが差別に反対していることを表明しなければならないのか? それは、
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