随筆再録 『死神の姿』『死に時』
昔々にTwitterのフリートで投稿した随筆の中で、個人的に好きな物をこちらに保管し直します。飼い殺しだと随筆がかわいそうなので。
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『死神の姿』
死神の見た目はどんなかしら、とふと考えていた。
黒いフードを被った骸骨が鎌を持っている姿が真っ先に思い浮かぶが、多分その考えは「日本人はみんなちょんまげをつけたサムライでニンジャが山ほどいる」と思っている外国人と同じ様な部類の思考だろう。死神の方もいい加減辟易しているに違いない。だからそうではない。
もっと官僚主義的な見た目だろうか。スーツにメガネの役人が来て、魂の集金にやってくる。面白そうではあるが、本物のNHK集金と勘違いされて入れてもらえ無ければ困るだろうからこれもいけない。
今日人気のある様な魅力的な女の子だろうか。華奢な体で大鎌を器用に持ち、「あなたの魂頂戴な」とやる。これも愉快だが、なんだか一周回ってありふれた姿であるし、死神が魅力的過ぎるとその姿見たさに死人が増え、死神の仕事が増えたら本末転倒だろう。
色々考えては見たが、少し面白かったのが「自分と全く瓜二つ」という姿だ。
私が家で葉巻を吹かしながらそんな様なことを考えていると、いつの間にやら部屋にもう一人私が立っている。
もう一人の私が、小間使いを呼ぶような小さな鈴をチリリとならし、「お時間ですよ」とつぶやく。すると私は何の疑問も無く、「ああ、もうそんな時間だったかしら」と急いで身支度を済ませる。
のそり、のそりともう一人の私が歩く。その足取りに導かれ、私は玄関から表に出る。いつもの光景はそこには無く、妙に薄暗く、しかしはっきりと見える道がどこまでも続いている。そこを二人の私が歩いて行く。
あまりに急いで出てきたので、葉巻の火が消えるのを見届けなかった事だけが気がかりだ。
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『死に時』
「顔に何かついてるよ」
「えっ、本当かい」
「ほら、顔の真ん中に先がとんがっていて二つの穴が空いた奇妙な虫が」
「それは鼻だよ」
使い古された手垢まみれの冗談のひとつだ。なぜこんな話をするのかというと、人の顔に鼻が付いているのと同じように、「今、この瞬間に、貴方が死んでしまう可能性」も存在している事を信じていない人が多い様に思うからだ。
「それは当然だよ。人は常に死と隣り合わせだ」と言う人が大勢だろう。それを認知していてもなお大多数が「まァ、今死ぬわけじゃ無いケド」となんの根拠も無く信じているのは面白い話だ。真逆の無根拠を同時に信仰している。今この文章を読んでいる貴方も、書いている私も。「いつか死ぬのは知っているが、今の訳がない」と信じてやまない。
そう考えると、死神というのは真の意味で「揺り籠から墓場まで」人間に付き合っている事になる。親なぞより遥かに貴方を見守っていると言えるだろう。初めて医者に取り上げられた時も、次の瞬間医者が手を滑らせて頭から地面にぶつかり死ぬかもしれないし、初めて一人で外出した時も、次の瞬間車にはねられて死ぬかもしれないし、社会に出て駅で電車を待っている時も、次の瞬間テロリストの爆弾が貴方を殺すかもしれない。
そしてその瞬間、まさに鼓動が止まるその刹那に、死がずっと側にいた事に、どんな時にも隣にいる死神の存在に気がつく。死神はニヤリと笑い、こう言う。
「君、それは当然だよ。やっと気づいたね」