第8回「人に言える趣味」を考える会議
「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」
本稿の一個前の記事のタイトルが目に入って、改めてこの小説ってスゲーなと思いました。
「普通じゃない人間を裁判するのが趣味な普通の人間」って、高度に抽象化された人物像ですよね。本当は世の中そんなステレオタイプの人間ばかりじゃないですよ。みんな一人ひとり個性があって特徴があって、ぱっと見は無個性の量産型でも、実は少しずつ違ってる。
でも小説を書くって、そういうこと。
キャラクターは分かりやすくて、つかみやすくて、覚えやすいもの。だからリアリティを追求したディティールは削ぎ落されることもある。
それにしたって、この小説はJ-POPの歌詞みたいに多くの人が思いを重ねられるよう抽象化されて書かれてる。小説なのに! 文庫版160Pの文章が全部歌みたいなんですよ。すごいです。
村田沙耶香の『コンビニ人間』の話でした。
第8回「人に言える趣味を考える会議」
永遠の命題でしょう、たぶんこれは。かつてダイレンカリアの前身のサークルでweb連載をしていたときも「本を置く場所がないぞ会議」を何回も繰り返していましたが、もしかしたらこの議題も長いこと続くのかもしれません。できれば続いてほしくないですが。
現実の人間は、フィクション作品みたいに抽象化されていないし多面性のある複雑なものですが、社会では「かつまんだ自己紹介」を求められる場面もあるでしょう。そんなとき、「趣味は××です」と話すのは好印象な方策です。
私が新卒で入った会社は職場の人同士の距離感が非常に近く、強烈な体育会系の風土の組織でしたが、今にして思えば意外とプライベートを詮索されたり干渉されたりすることはなく(理由は後述)、本稿の議題のように人に話せる趣味で困ることはありませんでした。
でもやっぱり社会では「趣味は何?」とか、「休日は何をしているの?」などと聞かれることもあるのです。
いうほど「趣味(人に話せる)」って、あります?
休みの日にしていることってそれほど話題性あります?
そりゃあね、筋トレが趣味な人は日常的に体を鍛えているでしょう。競馬が趣味な人は定期的に馬券を買っているでしょう。
だけど、例えば海外旅行が趣味な人だったら、休みの日にしていることなんて特に何もないですよ。みんなと同じように過ごしてます。
しかし、世間の人々は私たちに問うわけです。他の個体との識別記号を。分かりやすいタグをつけたいのでしょう。
上述の前々職での状況について話します。
まず私たち新卒入社のメンバーは他の先輩社員たちと一緒に寮や社宅で暮らしていました。だから嫌でもプライベートで顔を合わせていました。
っていうかそれ以前に激務な仕事で労働時間が長かったので、夜遅くまで一緒に残業して過ごすことが日常でした。
なので自然とお互いのことを知る機会は増えるし、なんとなくどんな人か分かってくるもんなんですよね。
「こいつはどんな奴なんだ?」なんて腐心してあれこれ詮索する必要ないんです。
仕事の楽な会社はみんな定時で帰ります。飲み会の少ない会社もあります。そうすると接触する機会も減ります。
だから結構長い期間一緒にいる割にあんまり相手のこと知らないな、なんてことにもなるのかもしれません。ある種の危機感が芽生えたり、不安な気持ちになったりするのかもしれません。
あと、寮で一緒に生活してると嫌でも出かけ際とか目撃するので、わざわざ聞かなくても勝手に想像することだってできます。なんとなく印象としてつかめます。それに、お互い普段からプライベートを共有しているので、「もうお腹いっぱい」感があります。
それから、前々職は印刷会社だったので、「趣味は読書です」って言えば通用しました。面接もそれで通りました。本を読んでいる人が多いので、それで会話もできます。当時は電車通勤、電車営業でしたから実際に本をよく読んでいましたしね。
でも今は徒歩通勤の車営業なので……前職も徒歩通勤だったのでマジで本読まなくなりましたね。前職は外回りも少なかったですし。
まぁやっぱり一番大きいのは労働時間ですよね。月平均100時間残業してましたからね。「休みの日は何してる?」って聞かれたら、「体を休めています」って言えば通用します。何なら土日も仕事してましたし。実際みんなめちゃくちゃ働いてましたからね。休みの日なんか、休んでるに決まってんだろっていうw
あとはエンドユーザーがBtoCのビジネスをしていたので市場調査してたっていうのもありました。実際にしてましたし。今にして思えばプライベートの時間まで仕事関係のことに注力する文化がありました。
とにかく労働時間が長いと趣味に打ち込む時間もなくなるんですよね。社会人になってから趣味がなくなった人も多いのではないでしょうか。でも仕事が楽な会社に入るとプライベートの時間が充実するので、その増えた分の時間をどう過ごしているのかについては、説明を求められてしまうこともあるんですよね。困ったなぁ。贅沢な悩みなのかもしれませんけど。
という感じのことを今朝、運転しながら考えていました。