自遊時閑 2023/11/30 18:25

[森鴎外] 高瀬舟 ソフトノベル

 高瀬舟《たかせぶね》は京都の高瀬川を上下する小舟である。江戸時代、京都の罪人が島流しを申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで別れの挨拶をすることが許された。それから罪人は高瀬舟に乗せられて、大阪へ回されるのである。それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる役人で、この役人は罪人の親類の中で、代表一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。これは上に許可されたことではないが、大目に見られており、いわゆる、黙認であった。
 当時、島流しを申し渡された罪人は、もちろん重い罪を犯したと認められた人間ではあったが、決して盗みをするために、人を殺し火を放ったというような、極悪な人物が多数を占めていたわけではない。高瀬舟に乗る罪人の大半は、いわゆる事実誤認のために、思わぬ咎《とが》を犯した人であった。ありふれた例を挙げてみれば、当時無理心中を謀って、相手の女を殺し、自分だけ生き残った男というような類である。
 そういう罪人を乗せて、夕暮れの鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を横切って下りるのであった。この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜通し身の上を語り合う。いつもいつも悔やんでも元には戻らない世迷い言である。護送をする役人は、傍らでそれを聞いて、罪人をだした親族の悲慘な境遇を細かに知ることができた。しょせん、町奉行所の白洲《しらす》で、表向きの罪状を聞いたり、役所の机の上で、口述を読んだりする役人には夢に思うこともできない境遇である。
 役人を勤める人にも、それぞれの性格があるから、この時ただうるさいと思って、耳を塞ぎたいと思う冷淡な役人がいるかと思えば、またしみじみと人の哀しみを身に受けとめ、その役目ゆえ表情には見せないながら、無言の中に密かに胸を痛める役人もいた。場合によっては非常に悲惨な境遇に陥った罪人とその親類を、特に心弱い、涙脆い役人が監督していくことになると、その役人は思わず涙を流すのであった。
 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の役人仲間で、不快な職務として嫌がられていた。


 いつの頃であったか。多分、江戸で白河楽翁《しらかわらくおう》侯が権力を仕切っていた寛大な政治の頃であっただろう。智恩院《ちおんいん》の桜が鐘に散る春の夕暮れに、これまでに類を見ない、珍らしい罪人が高瀬舟に乗せられた。
 その名を喜助といって、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。元より牢屋敷に呼び出されるような親類はないので、舟にもたった一人で乗った。
 護送を命ぜられて、一緒に舟に乗り込んだ役人、羽田庄兵衛は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。さて、牢屋敷から桟橋まで連れて来る間、この痩せ身の、色の蒼白い喜助の様子を見るに、いかにも素直で、いかにもおとなしく、自分を公儀の役人として敬って、何事につけても逆らわないようにしている。しかもそれが、罪人の間に時々見受けるような、従順を装って権力に媚びる態度ではない。
 庄兵衛は不思議に思った。そして舟に乗ってからも、役目として見張っているばかりでなく、絶えず喜助の挙動に、細かく注意をしていた。
 その日は暮方から風がやんで、空一面を覆った薄い雲が、月の輪郭をかすませ、だんだん近寄ってくる夏の温さが、両岸の土からも、川底の土からも、もやになって立ち昇るかと思われる夜であった。下京の町を離れて、加茂川を横切った頃からは、辺りがひっそりとして、ただ船首に割かれる水のささやきを聞くのみである。
 夜舟で寝ることは、罪人にも許されているのに、喜助は横になろうともせず、雲の濃淡に従って、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙っている。その額は晴やかで目には微かな輝きがある。
 庄兵衛はまともには見ていないが、始終喜助の顔から目を離さずにいる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返している。それは喜助の顔が縦から見ても、横から見ても、いかにも楽しそうで、もし役人に対する気兼ねがなかったなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌い出すとかしそうに思われたからである。
 庄兵衛は心の内に思った。これまでこの高瀬舟の監督をしたことは数知れない。しかし乗せていく罪人は、いつもほとんど同じように、目もあてられない気の毒な様子をしていた。それに比べてこの男はどうしたのだろう。遊覧船にでも乗ったような顔をしている。罪は弟を殺したのだそうだが、もしもその弟が悪い奴で、それをどんな成り行きになって殺したにせよ、人の情としていい気持ちはしないはずである。この色の蒼い優男が、その人の情というものが完全に欠けているほどの、世にも稀な悪人であろうか。どうもそうは思えない。ひょっとして気でも狂っているのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つ辻褄の合わない言動や挙動がない。この男はどうしたのだろう。庄兵衛には喜助の態度が考えれば考えるほど分からなくなるのである。


 暫くして、庄兵衛は堪えきれなくなって呼び掛けた。
「喜助。お前は何を思っているのか」
「はい」と言ってあたりを見回した喜助は、なにかを役人に見咎められたのではないかと気遣うように、佇まいを直して庄兵衛の顔をうかがった。
 庄兵衛は自分が突然質問した動機を明して、役目から離れた問答を求める言い訳をしなくてはならないように感じた。そこでこう言った。
「いや。別に訳があって聞いたのではない。実はな、俺はさっきからお前の島へ行く気持ちが聞いてみたかったのだ。俺はこれまでこの舟で大勢の人を島へ送った。それは随分色々な身の上の人だったが、誰もが島へ行くのを悲しがって、見送りにきて、一緒に舟に乗る親類の者と、夜通し泣くのに決まっていた。そこへきてお前の様子を見れば、どうも島へ行くのを苦にしてはいないようだ。一体お前はどう思っているのだ」
 喜助はにっこり笑った。
「ご親切におっしゃって下さって、ありがとうございます。なるほど、島へ行くということは、他の人には悲しい事でございましょう。その気持ちはわたくしにも同情することができます。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしが経験したような苦しみは、どこへいっても味わうことはなかろうと存じます。お上のお慈悲で、命を助け、島へ送って下さいます。もし島が辛い所でも、鬼の棲まう所ではございますまい。わたくしはこれまで、自分の居て良い所というものがどこにもございませんでした。今度、お上は島に居ろとおっしゃって下さいます。その居ろとおっしゃる所に落ち着いていることができますのが、まず何よりも有り難い事でございます。それにわたくしはこんなにか弱い体ではございますが、一度も病気に罹ったことがございませんから、島へ行ってから、どんなつらい仕事をしたって、体を痛めるようなことはあるまいと存じます。それから今度島へお送り下さるにつきまして、二百文の銭を頂きました。それをここに持っております」
 こう言いかけて、喜助は胸に手を当てた。島流しを言い付けられたものには、二百銅を渡すというのは、当時の掟であった。喜助は言葉を続けた。
「お恥ずかしいことを申し上げなくてはなりませんが、わたくしは今日まで二百文というお金を、こうして懐に入れて持っていたことはございません。どこかで仕事に就きたいと思って、仕事を探して歩きまして、それが見つかり次第、労を惜まずに働きました。そして貰った銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませんでした。それも、現金で物が買って食べられるときは、わたくしの金回りがいい時で、大抵は借りたものを返して、また借りたのでございます。それが牢に入ってからは、仕事をせずに食べさせて頂きます。わたくしはそればかりでも、お上に対して申し訳のないことをしているようでなりません。それに牢を出る時に、この二百文を頂きましたのでございます。こうして相変わらずお上の物を食べていてみますれば、この二百文はわたくしが使わずに持っていることができます。お金を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが初めてでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の元手にしようと楽しんでおります」
 こう言って、喜助は話を終えた。
 庄兵衛は「うん、そうかい」とは言ったが、聞いたことがあまりにも想像の範疇を超えていて、暫くなにも言うことができずに、考えこんで黙っていた。
 庄兵衛はもう初老に手が届く歳になっていて、もう女房に子供を四人生ませている。それに老母が生きているので、家は七人暮らしである。普通の人にはケチと言われるほどの、倹約生活をしていて、衣類は自分が役目のために着るものの他、寝巻きしか用意せずにいる。しかし不幸な事に、妻を良い身分の商人の家から迎えた。そこで女房は夫が給料として貰う扶持米《ふちまい》で暮しを立てていこうとする善意はあるが、裕福な家に可愛がられて育った癖があるので、ケチな夫が満足するほど財布の紐を引き締めて暮らしていくことができない。ともすれば月末になって勘定が足りなくなる。すると女房が内緒で里から金を持ってきて帳尻を合わせる。それは夫が借金というものを毛嫌いしているからである。そういうことは結局、夫に知られずにはいられない。庄兵衛は五節句だといっては、里方から物を貰い、子供の七五三の祝いだといっては、里方から子供に衣類を貰うことでさえ、心苦しく思っているのだから、暮らしの穴を埋めて貰ったのに気が付いては、良い顔はしない。格別平和を破るような事のない羽田の家に、時折波風が起こるのは、これが原因である。
 庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上と自分の身の上を比べてみた。喜助は仕事をして給料を貰っても、右から左へ人手に渡して失くしてしまうと言った。いかにも哀れな、気の毒な環境である。しかし一転して我が身を顧みれば、彼との間に、果してどれほどの差があろうか。自分も上から貰う扶持米を、右から左へ人手に渡して暮らしているに過ぎないではないか。彼との相違は、言わばそろばんの桁が違っているだけで、喜助の有り難がる二百文に相当する貯蓄さえ、こっちはないのである。
 さて、桁を変えて考えてみれば、二百文でも、喜助がそれを貯蓄とみて喜んでいることに無理はない。その気持ちはこっちから察してやることができる。しかし、いかに桁を変えて考えてみても、不思議なのは喜助の欲のないこと、分相応の満足を知っていることである。
 喜助は世間で仕事を見つけるのに苦んだ。それを見つけさえすれば、労を惜まずに働いて、かろうじて生活できるだけのことで満足した。そこで牢に入ってからは、今まで得難かった食が、ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知ることのなかった満足を覚えたのである。
 庄兵衛はいかに桁を変えて考えてみても、ここに彼と自分の間に、大きな隔たりがあることを知った。自分の扶持米で立てていく暮らしは、時々足らないことがあるにしても、大抵収支が合っている。手一杯の生活である。それゆえそこに満足を覚えたことはほとんどない。いつもは幸福とも不幸とも感じずに過ごしている。しかし心の奥には、こうして暮らしていて、ふとお役が御免になったらどうしよう、大病にでもなったらどうしようという不安が潜んでいて、時々妻が里方から金を取り出してきて穴埋めをしたことなどがわかると、この不安が意識に浮かび上がってくるのである。
 一体この隔たりはどうして生じてくるのだろう。ただ上辺だけを見て、それは喜助には身内がないのに、こっちにはあるからだ、といってしまえばそれまでではある。しかしそれは嘘だ。もし自分が独り者であったとしても、どうも喜助のような気持ちにはなられそうにない。この根底はもっと深いところにあるようだと、庄兵衛は思った。
 庄兵衛はただ漠然と、人の一生というようなことを思ってみた。人は身に病いがあると、この病いがなかったらと思う。その日その日の食がないと、食っていけたらと思う。万一の時に備えて貯蓄がないと、少しでも貯蓄があったらと思う。貯蓄があっても、またその貯蓄がもっと多かったらと思う。そのように次から次へと考えてみれば、人はどこで踏みとどまることができるものやら分からない。それを今目の前で踏みとどまって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が付いた。
 庄兵衛は今更のように驚異の目を見張って喜助を見た。この時庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から後光がさすように思った。


 庄兵衛は喜助の顔を見守りつつまた、「喜助さん」と呼びかけた。今度は「さん」と言ったが、これは十分の意識をもって呼称を改めたわけではない。その声が我が口から出て我が耳に入るや否や、庄兵衛はこの呼称が不適当なのに気が付いたが、今さら既に出た言葉を取り返すこともできなかった。
「はい」と答えた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思ったらしく、おそるおそる庄兵衛の顔色をうかがった。
 庄兵衛は少し間の悪いのを堪えて言った。
「色々と聞くようだが、お前が今度島へ送られるのは、人をあやめたからだという話だ。俺にその訳をついでに話し聞せてくれないか」
 喜助はひどく恐れ入った様子で、「かしこまりました」と言って、小声で話しだした。
「どうもとんだ気の迷いで、恐ろしいことをいたしまして、なんとも申し上げようがございません。後で思ってみますと、どうしてあんなことができたかと、我ながら不思議でなりません。全く夢中でいたしましたのでございます。
 わたくしは小さい時に両親が流行り病で亡くなりまして、弟と二人あとに残りました。初めは町内の人達が、丁度軒下に生まれた子犬を不憫がるように、お恵み下さいますので、近所中の使い走りなどをいたして、飢え凍えもせずに育ちました。次第に大きくなりまして職を探しますにも、できるだけ二人が離れないようにいたして、一緒にいて、助け合って働きました。
 去年の秋の事でございます。わたくしは弟と一緒に、西陣の職場に入りまして、空引《そらびき》と言う紋織りをいたすことになりました。そのうち弟が病気で働けなくなったのでございます。その頃わたくし共は北山の掘っ建て小屋同然の所に寝起きをいたして、紙屋川の橋を渡って職場へ通っておりましたが、わたくしが暮れてから、食物などを買って帰ると、弟は待ち受けていて、わたくしを一人で稼がせては済まない済まないと申しておりました。
 ある日いつものように何気なく帰ってみますと、弟は布団の上に突っ伏していまして、周囲は血だらけなのでございます。わたくしはびっくりいたして、手に持っていた竹の皮包や何かを、そこへほっぽり出して、そばへ行って『どうしたどうした』と申しました。すると弟は、両方の頬から顎へかけて血に染った、真っ青な顔を上げて、わたくしを見ましたが、ものを言うことができません。息をいたす度に、傷口からひゅうひゅうという音がいたすだけでございます。
 わたくしにはどうも様子がわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と言って、そばへ寄ろうとすると、弟は右の手を床について、少し体を起こしました。左の手はしっかり顎の下の所を押さえていますが、その指の間から黒い血の固まりがはみ出しています。弟は目でわたくしのそばへ寄るのをとめるようにして口を利きました。少しずつものが言えるようになったのでございます。
『済まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせ治りそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄貴に楽させたいと思ったのだ。喉笛を切ったら、すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く深くと思って、力いっぱい押し込むと、横へすべってしまった。刃こぼれはしなかったようだ。これをうまく抜いてくれたら俺は死ねるだろうと思っている。ものを言うのが切なくっていけない。どうか手を貸して抜いてくれ』と言うのでございます。
 弟が左の手を弛めるとそこからまた息が漏れます。わたくしはなんと言おうにも、声が出ませんので、黙って弟の喉の傷を覗いてみますと、どうも右の手に剃刀を持って、横に喉を切ったが、それでは死にきれなかったので、そのまま剃刀を、抉るように深く突っ込んだものと見えます。柄がやっと二寸ばかり傷口から出ています。わたくしはそれほどの事を見て、どうしようと言う考えも付かずに、弟の顔を見ました。弟はじっとわたくしを見詰めています。
 わたくしはやっとの事で、『待っていてくれ、お医者を呼んで来るから』と申しました。弟は怨めしそうな目つきをいたしましたが、また左の手で喉をしっかり押さえて、『医者がなんになる、あぁ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』と言うのでございます。わたくしは途方に暮れたような気持ちになって、ただ弟の顔ばかり見ております。こんな時は、不思議なもので、目がものを言います。弟の目は『早くしろ、早くしろ』と言って、さも怨めしそうにわたくしを見ています。わたくしの頭の中では、なんだかこう車輪のような物がぐるぐる回っているようでございましたが、弟の目は恐ろしい催促をやめません。それにその目の怨めしそうなのが段々険しくなってきて、とうとう敵の顔をでも睨むような、憎々しい目になってしまいます。それを見ていて、わたくしはとうとう、これは弟の言ったとおりにしてやらなくてはならないと思いました。
 わたくしは『しかたがない、抜いてやるぞ』と申しました。すると弟の目の色ががらりと変わって、晴やかに、さも嬉しそうになりました。わたくしはとにかく一思いにしなくてはと思って膝をつくようにして体を前へ乗り出しました。弟はついていた右の手を放して、今まで喉を押さえていた手の肘を床について、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしっかり握って、ずっと引きました。この時わたくしの家へ締めておいた表口の戸をあけて、近所の婆さんが入って来ました。留守の間、弟に薬を飲ませたり何かしてくれるように、わたくしの頼んでおいた婆さんなのでございます。もうだいぶ家の中が暗くなっていましたから、わたくしには婆さんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、婆さんは『あっ』と言ったきり、表口を開け放しにして駆け出してしまいました。わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜こう、真っ直ぐに抜こうというだけの注意はいたしましたが、どうも抜いた時の手応えは、今まで切れていなかった所を切ったように思われました。刃が外の方へ向いていましたから、外の方が切れたのでございましょう。わたくしは剃刀を握ったまま、婆さんの入って来てまた駆け出して行ったのを、ぼんやりして見ておりました。婆さんが行ってしまってから、気がついて弟を見ますと、弟はもう事切れておりました。傷口からは大量の血が出ておりました。それから年寄り衆がおいでになって、役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀をそばに置いて、目を半分あいたまま死んでいる弟の顔を見詰めていたのでございます」
 少しうつむき加減になって庄兵衛の顔を下から見上げて話していた喜助は、こう言ってしまって視線を膝の上に落した。
 喜助の話はよく筋が通っている。ほとんど通り過ぎているといってもいい位である。これは半年ほどの間、当時の事を幾度も思い浮べてみたのと、役場で問われ、町奉行所で調べられるその度毎に、注意に注意を加えて記憶を掘り出したためである。
 庄兵衛はその場の様子を目の当たりするような思いをして聞いていたが、これが果たして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑問が、話を半分聞いた時から起こってきて、聞いてしまっても、その疑問を解くことができなかった。弟は剃刀を抜いてくれたら死ねるだろうから、拔いてくれと言った。それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとはいえる。しかしそのままにしておいても、どうせ死ぬことになる弟であったらしい。それが早く死にたいと言ったのは、苦しさに耐えきれなかったからである。喜助はその苦しみを見ているに忍びなかった。苦しみから救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に違いない。しかしそれが苦しみから救うためであったと思うと、そこに疑が生じて、どうしても解けないのである。
 庄兵衛は、色々と心の中で考えてみた末に、自分より上のものの判断に任す他ないという思い、権威《オーソリティー》に従う他ないという念が生じた。庄兵衛はお奉行樣の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちないものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。
 次第に更けていく朧夜に、沈黙の人二人を乗せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。

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