自遊時閑 2023/11/28 20:56

[森鴎外] 高瀬舟 ファストノベル

 高瀬舟《たかせぶね》は京都の高瀬川を上下する小舟である。江戸時代、京都の罪人が島流しを申し渡されると、親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで別れの挨拶をすることが許された。それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる役人で、この役人は罪人の親類の中で、代表一人を同船させることを許す慣例であった。
 当時、島流しを申し渡された罪人は、もちろん重い罪を犯したと認められた人間ではあったが、決して盗みをするために、人を殺し火を放ったというような、極悪な人物が多数を占めていたわけではない。大半は、いわゆる事実誤認のために、思わぬ咎《とが》を犯した人であった。
 そういう罪人を乗せて漕ぎ出された高瀬舟は、東へ走って、加茂川を横切って下りるのであった。この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜通し身の上を語り合う。護送をする役人は、傍らでそれを聞いて、罪人をだした親族の悲慘な境遇を知ることができた。
 役人を勤める人にも、それぞれの性格があるから、この時ただうるさいと思って、耳を塞ぎたいと思う冷淡な役人がいるかと思えば、またしみじみと人の哀しみを身に受けとめ、無言の中に密かに胸を痛める役人もいた。
 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の役人仲間で、不快な職務として嫌がられていた。


 いつの頃か、これまでに類を見ない、珍らしい罪人が高瀬舟に乗せられた。
 その名を喜助といって、三十歳ばかりの住所不定の男である。親類はないので、舟にも一人で乗った。
 護送を命ぜられて、一緒に舟に乗り込んだ役人、羽田庄兵衛は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。さて、牢屋敷から桟橋まで連れて来る間、この痩せ身の、蒼白い喜助の様子を見るに、自分を公儀の役人として敬って、何事につけても逆らわないようにしている。
 庄兵衛は不思議に思った。夜舟で寝ることは、罪人にも許されているのに、喜助は横になろうともせず、月を仰いで黙っている。その額は晴やかで目には微かな輝きがある。
 庄兵衛は、始終喜助の顔から目を離さずにいる。そして不思議だと心の内で繰り返している。それは喜助の顔がいかにも楽しそうで、もし役人に対する気兼ねがなかったなら、鼻歌を歌い出すとかしそうに思われたからである。
 これまでこの高瀬舟の監督をしたことは数知れない。しかし乗せていく罪人は、いつも目もあてられない気の毒な様子をしていた。それに比べてこの男はどうしたのだろう。弟を殺したそうだが、どんな成り行きになって殺したにせよ、人の情としていい気持ちはしないはずである。庄兵衛には喜助の態度が考えれば考えるほど分からなくなるのである。


 暫くして、庄兵衛は堪えきれなくなって呼び掛けた。
「喜助。お前は何を思っているのか」
「はい」と言って喜助はあたりを見回した。
「いや。実はな、俺はさっきからお前の島へ行く気持ちが聞いてみたかったのだ。俺はこれまでこの舟で大勢の人を島へ送ったが、誰もが島へ行くのを悲しがって、親類の者と夜通し泣くのに決まっていた。そこへきてお前の様子を見れば、どうも島へ行くのを苦にしてはいないようだ。一体お前はどう思っているのだ」
 喜助はにっこり笑った。
「ご親切におっしゃって下さって、ありがとうございます。なるほど、島へ行くということは、他の人には悲しい事でございましょう。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、これまでわたくしが経験したような苦しみは、どこへいっても味わうことはなかろうと存じます。わたくしはこれまで、自分の居て良い所というものがどこにもございませんでした。今度、お上は島に居ろとおっしゃって下さいます。その居ろとおっしゃる所に落ち着いていることができますのが、まず何よりも有り難い事でございます。それから今度島へお送り下さるにつきまして、二百文の銭を頂きました。それをここに持っております」
 こう言いかけて、喜助は胸に手を当てた。島流しを言い付けられたものには、二百銅を渡すというのは、当時の掟であった。
「わたくしは今日まで二百文というお金を、こうして懐に入れていたことはございません。仕事を探し歩きまして、それが見つかり次第、労を惜まずに働きました。そして貰った銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませんでした。それが牢に入ってからは、仕事をせずに食べさせて頂きます。それに牢を出る時に、この二百文を頂きましたのでございます。お金を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが初めてでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の元手にしようと楽しんでおります」
 こう言って、喜助は話を終えた。
 庄兵衛は聞いたことがあまりにも想像の範疇を超えていて、暫く考えこんで黙っていた。
 庄兵衛はもう初老に手が届く歳になっていて、もう女房に子供を四人生ませている。それに老母が生きているので、家は七人暮らしである。そして、普通の人にはケチと言われるほどの倹約生活をしている。
 庄兵衛は、喜助の身の上と自分の身の上を比べてみた。喜助は仕事をして給料を貰っても、右から左へ人手に渡して失くしてしまうと言った。いかにも哀れな、気の毒な環境である。しかし一転して我が身を顧みれば、彼との間に、果してどれほどの差があろうか。自分も上から貰う給料を、右から左へ人手に渡して暮らしているに過ぎないではないか。彼との相違は、言わばそろばんの桁が違っているだけで、喜助の有り難がる二百文に相当する貯蓄さえ、こっちはないのである。
 さて、桁を変えて考えてみれば、二百文でも、喜助がそれを貯蓄とみて喜んでいることに無理はない。しかし、不思議なのは喜助の欲のないこと、分相応の満足を知っていることである。
 喜助は世間で仕事を見つけるのに苦んだ。それを見つけさえすれば、労を惜まずに働いて、かろうじて生活できるだけのことで満足した。そこで牢に入ってからは、今まで得難かった食が、働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知ることのなかった満足を覚えたのである。
 庄兵衛はいかに桁を変えて考えてみても、ここに彼と自分の間に、大きな隔たりがあることを知った。自分の給料で立てていく暮らしは、大抵収支が合っている。それゆえそこに満足を覚えたことはほとんどない。
 庄兵衛はただ漠然と、人の一生というようなことを思ってみた。人はその日その日の食がないと、食っていけたらと思う。万一の時に備えて貯蓄がないと、少しでも貯蓄があったらと思う。貯蓄があっても、またその貯蓄がもっと多かったらと思う。そのように次から次へと考えてみれば、人はどこで踏みとどまることができるものやら分からない。それを今目の前で踏みとどまって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が付いた。
 庄兵衛は今更のように驚異の目を見張って喜助を見た。この時庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から後光がさすように思った。


 庄兵衛は「喜助さん」と呼びかけた。庄兵衛はこの呼称が不適当なのに気が付いたが、今さら既に出た言葉を取り返すこともできなかった。
「はい」と答えた喜助も不審に思ったらしく、おそるおそる庄兵衛の顔色をうかがった。
 庄兵衛は少し間の悪いのを堪えて言った。
「色々と聞くようだが、お前が今度島へ送られるのは、人をあやめたからだという話だ。その訳を聞せてくれないか」
 喜助は恐れ入った様子で話しだした。
「とんだ気の迷いで、恐ろしいことをいたしまして、なんとも申し上げようがございません。
 わたくしは小さい時に両親が流行り病で亡くなりまして、弟と二人あとに残りました。初めは町内の人達が、丁度軒下に生まれた子犬を不憫がるように、お恵み下さいますので、飢え凍えもせずに育ちました。次第に大きくなりまして職を探しますにも、できるだけ二人が離れないようにいたして、助け合って働きました。
 去年の秋の事。弟が病気で働けなくなったのでございます。その頃わたくし共は掘っ建て小屋同然の所に寝起きをいたして、わたくしが食物などを買って帰ると、弟は待ち受けていて、わたくしを一人で稼がせては済まないと申しておりました。
 ある日帰ってみますと、弟は布団の上に突っ伏していまして、周囲は血だらけなのでございます。わたくしはびっくりいたして、そばへ行きました。すると弟は、両方の頬から顎へかけて血に染った、真っ青な顔を上げて、わたくしを見ましたが、ものを言うことができません。
 弟は右手を床について、少し体を起こしました。左手はしっかり顎の下の所を押さえていますが、その指の間から黒い血の固まりがはみ出しています。
『済まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせ治りそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄貴に楽させたいと思ったのだ。喉笛を切ったら、すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。この剃刀をうまく抜いてくれたら俺は死ねるだろう。どうか手をかして抜いてくれ』と言うのでございます。
 弟が左手を弛めるとそこからまた息が漏れます。わたくしはそれほどの事を見て、どうしようという考えも付かずに、弟の顔を見ました。
 わたくしはやっとの事で、『待っていてくれ、お医者を呼んで来るから』と申しました。しかし、弟は『医者がなんになる、あぁ苦しい、早く抜いてくれ、頼む』と言うのでございます。こんな時は、不思議なもので、目がものを言います。弟の目は、さも怨めしそうにわたくしを見ています。それにその目が段々険しくなってきて、とうとう敵の顔を睨むような、憎々しい目になってしまいます。わたくしはとうとう、これは弟の言ったとおりにしてやらなくてはならないと思いました。
 わたくしは『しかたがない、抜いてやる』と申しました。すると弟の目の色ががらりと変わって、晴やかに、さも嬉しそうになりました。わたくしは剃刀の柄をしっかり握って、ずっと引きました。この時表口の戸をあけて、近所の婆さんが入って来ました。婆さんは『あっ』と言ったきり、駆け出してしまいました。わたくしは剃刀を抜く時、手早く抜こう、真っ直ぐに抜こうというだけの注意はいたしましたが、どうも抜いた時の手応えは、今まで切れていなかった所を切ったように思われました。わたくしは剃刀を握ったまま、婆さんの入ってきてまた駆け出して行ったのを、ぼんやりして見ておりました。婆さんが行ってしまってから、気がついて弟を見ますと、弟はもう事切れておりました。それから役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀をそばに置いて、死んでいる弟の顔を見詰めていたのでございます」
 喜助はこう言って視線を膝の上に落した。庄兵衛はその場の様子を目の当たりするような思いをして聞いていたが、これが果たして弟殺しというものだろうかという疑問が、話を半分聞いた時から起こってきて、その疑問を解くことができなかった。喜助は苦しみを見ているに忍びなかった。苦しみから救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に違いない。しかしそれが苦しみから救うためであったと思うと、そこに疑が生じて、どうしても解けないのである。
 庄兵衛は、色々と心の中で考えてみた末に、自分より上のものの判断に任す他ないという思い、権威《オーソリティー》に従う他ないという念が生じた。庄兵衛はお奉行樣の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちないものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。
 次第に更けていく朧夜に、沈黙の人二人を乗せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。

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