脳内キャッシュ整理の大切さ
先日見た番組のジブリ特集で、
作品が長く親しまれることの一つとして、
「作品を新鮮な気持ちで楽しんでもらうために、TV放映で2年以上空ける」という話があった。
大まかな理屈としては、毎年放映すると内容を覚えられているが、2年以上空けると忘れているからというものだった。
これが自分にとって、ものすごく共感できる話だった。
というのも、自分が昔に遊んだコンシューマゲーム、もしくはそれに近い構造のゲームのほうが思い出や良いプレイ体験として残っていたり、現在も長く楽しめると思っているからで。
やり切りが産む達成感と区切り
コンシューマゲームは最初にゲームを購入すれば、そのパッケージの内容をプレイヤーが好きにプレイすることができる。そしてメインの流れを終えれば、「ゲームをクリアした!」という達成感と区切りを得ることができる。
もちろんゲームをやりこむこともできるが、それでもゲームリソースの範囲、遊べる内容は限定されている。なので自分が満足すれば、憂いなく次へ進むことができる。
遊んでいる間に脳内を占めていたキャッシュも、それを機に自然とメインの位置から外れ、格納されて軽くなっていくので負荷がほとんど無い。
連綿と続くソシャゲ
それに対してソシャゲなどの常時運営型ゲームは、基本無料の代わりにメイン収入のガチャ母数にかかわるアクティブ数を保たなければならないというビジネスモデルでなっている。ようは「常に俺を見ろ!」というやり方になる。
最初は新鮮なゲーム体験なので、熱がある間は集中してプレイする。でも「常に俺を見ろ!」なゲームシステムは、サービスが続く限りその熱量を半永久的に要求してくる。つまり脳内に居座り続けるので、脳内キャッシュは減るどころか溜まっていく一方になる。
もちろんイベントを無視するなど、プレイヤー側で裁量がとれる面もあるのだが、基本的には常に遊んでいる方がゲームの戦略リソースを隈なく獲得できるシステムになっている。そのゲームが好きなほど、取りこぼしが気になると思う。
なぜなら改めてプレイしようとした際に、他プレイヤーと条件が変わってしまうからだ。そもそもガチャがある時点でそうではあるんだが、イベントスルーなどで得られなかったリソースに対しては、自業自得としてのしかかる。
なので、徐々に疎遠になっていく。
ついでに消化不良感も残るので、すっきりしないということになりやすい。
肝はON/OFFの切り替え
自分が常時運営型のゲームで現在も遊べているのがApexとFF14なのは、
Apex:RPGのような積み上げ系の戦略ゲームリソースが存在せず、好きな時に遊べる
FF14:装備更新などを熱心に取り組んだ後、長いインターバルがある
からだと思っている。長いインターバルがあるからこそ、「久しぶり」によって新鮮な気持ちでプレイできるというサイクルになる。
ようはゲームプレイ時に脳内ON/OFF切り替えができるため、コンシューマと同様、脳内キャッシュを常時圧迫することが無いんだろう。
おそらくゲームに限らない
SNSなんかは脳内キャッシュ常時圧迫の最たる例だと思う。
常在脳内キャッシュで一番厄介なのは「自分主体にできない」ことが大きいと思っている。…けど長くなるので、これはまた次回に。