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えおパッチ6.2と【お知らせ】

パッチ6.2到来

えおるぜあのパッチ6.2がやってきた!

アプデ直前まで3,4ヶ月ほどINせず準備らしい準備を何もしてなかったので、ギャザクラ装備の更新で地獄を見ました。

アプデまでに間に合わなかった主道具・副道具の製作でも泣きを見ました。しかも要求ステが「ゆる禁断」から「ほぼガチ禁断」レベルまであがっていた…。

零式までに一週間猶予がある!と油断した結果がこれなので ままならない。

投稿コンテンツ追加のお知らせ

これまで「備忘録とゲーム日記」、そしてほんのりと「同人誌進捗」といった運用をしていましたが、サイトで更新している「トークノベル」も上げていこうと思います。

というのも、先日行われたCienクリエイター向けセミナーにて「ビューワー」実装予定というお知らせを頂いたのがキッカケでした。

「そういえばCienを備忘録日記と思い込んで運用してたけど、別にトークノベル上げてもいいじゃん!」と気がついたので…。


なんとなく、CienやFanboxでは製作物の進捗を上げるものだという思い込みがあったんですが、別にそんな事は全然ないワケで。

あとはトークノベルの仕組みの都合上、オリジナルページ以外では画像を貼り付けることでしか投稿手段がないので、見た目的にあまり美しくないのが嫌だったんですが、それならURLで選択肢を作ればいいやと思いました。

自由にやってこうと思います。


ビューワー実装までは画像直張りになりますが、よろしくお願いします~。


ちなみにパソコン閲覧時だと、サイズによってなぜか画像が横幅いっぱいにならないものがちらほらあり、見た目がガタつきます。
気になる人は、投稿作品に貼り付けてあるURLから飛べる自サイトのオリジナルページで見るほうがきれいに読めると思います。ビューワーではいい感じになるといいな…。

スマホ閲覧時は画像がきちんと表示されるものの、オリジナルページよりも一回り小さい表示になってます。

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プロテインは水よりも牛乳で

ジムに行き始めてから2ヶ月近く経つんですが、そこでもらったプロテインが美味しかったんだな~というのを、切らして買った別のプロテインを飲んでしみじみと感じています。

もらったゴールドジムプロテインは市販のプロテインの2倍近くのお値段するんですが、旨味が2倍以上ありました。味の層がぜんぜん違う…。
それまでプロテインを美味しいと思ったことがあまりなかったんですが、ご褒美として飲めていたほどでした。

そんなうまあじプロテインでも、やっぱり水で飲むと「うーん…」となったので、プロテインを飲むときは、水よりも牛乳や豆乳がおすすめです。

「美味しくないなぁ」と「美味い!」とでは天地の差なので、モチベ維持のためにある程度割り切って奮発するのは大事…。


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環境に従ういきもの

前回の記事の続き。

『コンシューマとソシャゲを例に、脳内キャッシュの切り替え・圧迫の違いを書いてみた。』みたいな内容だったかと思います。

この脳内キャッシュが常に頭に居座ると、主体が自己でなくなるかもというお話です。

無意識に「真逆」に

ソシャゲやSNSで発生しがちな「常在脳内キャッシュ」は、「習慣」や「日常」に言い換えられる。
習慣をこなすことに深い理由は無いので、無意識にその行動を起こすようになる。

すると、行動を起こすキッカケが自らの意思で行う「能動的」なものではなく、「受動的」なものになっていく。
そうした習慣によって、与えられる刺激に「反応」で行動が止まる状態の方が当たり前だと思うようになってしまう。

するとどうなるか。

自我が薄まる

こう一言で言っちゃうと言葉が強く感じるが、ほんとに地味~に減る。というのも、能動的に行動を起こした際に得ている、ほんのわずかな「自己肯定・自己確認」をしなくなっていくからだと思っている。

加えて、行動や考えを起こす際の起点が「自己」ではなく「他者・周囲」になっている場合もある。
例えば、「自分が面白そうだと思ったからAというゲームをやる」のではなく、「周りのみんながAをやってるから自分もやる」といった具合である。

この例単体では「遊ぶキッカケが増えてるし、それで面白いゲームが遊べたら別にええやろ」と思う。が、性質としては受動の選択。こうした受動の選択の頻度が増えて、深度が深まるとどんな行動を起こすにも「他者・周囲」などの「外的要因」が自身よりも先に来ることに抵抗が無くなる

これの厄介なところは、「"外的要因"を主体に決めた選択を、"自分"で決めた選択だと勘違いしている」ことかと思う。

自分が決めた選択なら、良くも悪くも「納得できる」。
ところが外的要因が主体だと、自分で把握できない領域があるので、「納得できない」こともある。

なのに、自己が主体だと勘違いしているので、うまくいかなかった時に100%自分のせいだと考えてしまう。

「目に入る」力の強さ

自分の経験だと、ツイッターのタイムラインがあった。

以前使っていたツイッター垢は、個人・法人を問わず、気になる垢をフォローするフツーの使い方をしていた。タイムラインを見れば、企業や公式の告知や一個人のつぶやきが雑然と流れてくるという状況だった。

すると当然、自分がフォローしていない垢のツイートがRTによって回ってくる。時には、自分にとっては好ましくない、合わないと感じるものが流れてくることもある。
それでも目に入ってしまった以上、その事柄に関して考えを巡らせるなど、何かしらの「反応」が起きるのは避けられない。

反応で生じたもやもやを発散することは基本的にできないので、もやもやが残ったままになる。
ついでに「自己防衛が足りてなかった」だとか、「もやもやするのはスルースキルが足りないから」とか、要らんことまで考えていた。

でも他者の感情はもちろん、RTまでをも予想したり、ましてやそれら完全に防ぐのはエスパーじゃない限り不可能で。エスパーでも無理では?
ネットは「自己防衛が基本」と言っても、それも限界がある。もしくはシンプルに自己防衛機会が増える環境に変化して、防衛したところでキリがないところまで来たのかもしれない。

そんな具合に、唐突に現れる「予測不能な外的要因」によるもやもやを「自分のせい」だと勘違いしていたパターンだったが、それを踏まえつつ「予測不能」な部分を思い切って無くしたら、だいぶ快適になった。

そもそも「自己防衛が基本」という前提が自分の中にあったのも、ネット上でそうした発言をよく見る「環境」によって思いこんでいたことも要因にあった。

環境に左右される

どれだけ気をつけているつもりでも自身の行動は「外的要因」、身を置いている「環境」によって変化している。それも常在すると「習慣・日常」として内側に入って、「外的要因」だと認識しづらくなる。

変化するのは当たり前だが、そこで自己を主体に行動を起こしているか否かで大きく差があるなと感じた。

先程のツイッターの例も、アナログなら「ファミレスで好ましくない会話が聞こえてしまった」と例えられると思う。それでもアナログなら物理的に空間が分けられているので、「その場であった出来事」だと自然に思考を切り替えて、家に帰る頃にはすっかり忘れるか、考えることをやめてるんじゃないかなと。それならずるずる引きずることもないはず。


職種によっては仕事もほぼリモートになったり、SNSが世の中に浸透して、使い方によってはプライベートをひっくるめた「日常」までも物理的な境界が曖昧になってる時代。
自分でルールや区切りを設定するのがめちゃくちゃ大事だし、めちゃくちゃ大変だな~という振り返りでした。

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