自遊時閑 2023/12/07 18:58

[江戸川乱歩] 赤い部屋 ファストノベル

 異常な興奮を求めて集った、七人の堅苦しい男が(私もその中の一人だった)わざわざそのために用意した「赤い部屋」の、緋色のビロードを張った深い肘掛け椅子にもたれ込んで、今晩の話手が何か怪異な物語を話しだすのを、今か今かと待ち構えていた。
 やがて、今晩の話手と定められた新入り会員のT氏は、じっと蝋燭の火を見つめながら、次のように話し始めた。

 私は、自分では正気のつもりでいますが、本当は狂人かもしれません。私という人間は、生きているという事が、もう退屈で退屈でしょうがないのです。
 初めのうちは、それでも人並みに色々な娯楽に没頭した時もありましたが、何一つ私の退屈を慰めてはくれないので、一時私は文字通りなにもしない、死ぬよりも辛い日々を過ごしていました。
 こんな風に申上げますと、皆さん「世の中に退屈している点では我々だって同じだ。だからこんなクラブを作って異常な興奮を求めているのではないか」とおっしゃるに違いありません。本当にそうです。あなた方が退屈がどんなものかをよく知っていると思えばこそ、私は今夜この席に並んで、私の奇妙な身の上をお話しようと決心したです。

 私はこの階下のレストランのご主人から、この「赤い部屋」へ何度となく入会することを勧められていました。しかし、お話があった頃には、私はもうそういう刺激には飽き飽きしていただけでなく、ある素晴らしい遊戯を一つ発見して、その楽しみに夢中になっていました。
 その遊戯というのは……人殺しなんです。しかも、私は今日までに百人近い命を、ただ退屈をまぎらす目的のためだけに、奪ってきたのです。しかし、なんということでしょう。私は近頃になって殺しにすら、もう飽きてしまったんです。そして、今度は自分自身を殺すように、阿片《アヘン》に溺れ始めたのです。私はやがて毒で命を取られてしまうでしょう。そう思いますと、せめて道筋の通った話のできる間に、一番話すにふさわしい「赤い部屋」の方々に私のやってきたことを打ち明けておきたいのです。
 そういう訳で、私はただ自分の身の上を聞いてもらいたいがために、今回会員の一人に加えて頂いたのです。

 それは三年ばかり前のある夜、私は一つの妙な出来事に遭遇しました。私が百人もの命を取るようになったのは、実はその晩の出来事がきっかけになったんです。
 少し酔っぱらっていたと思います。横町を何気なく曲がりますと、出会いがしらになにか狼狽している男と出会いました。男はいきなり「この辺に医者はないか」と尋ねてきました。聞くと、その男は今そこで老人を轢き倒し大怪我をさせたというのです。
 私は自宅の近所のことですから、早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二百メートルほど行くとM医院がある」
 すると運転手はすぐさま、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は家に帰って、すぐに眠りに入ってしまいました。
 翌日目を覚ました時、私は前夜の事をまだ覚えていました。そしてふと変なことに気がつきました。
「いや、大変な間違いをしてしまったぞ」
 私はびっくりしました。いくら酔っていたとはいえ、何を思って私はM医院などへ担ぎ込ませたんでしょう。
 Mというのは評判のヤブ医者で、しかもMとは反対の方角に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていたはずなんです。知っていたのになぜ間違ったことを教えたか。その時の心理状態は、今になってもまだよく分かりません。
 その後、それとなく近所の噂などを探ると、どうやら怪我人はM医院で死んだそうです。私はそれを聞いて、変な気持ちになってしまいました。
 この場合、可哀そうな老人を殺したは果たして誰でしょうか? 自動車の運転手とM医師に、それぞれ責任のあることは言うまでもありません。ですが、最も重大な責任者はこの私だったのではないでしょうか。もしあの時、私がK病院を教えたとすれば、問題なく怪我人は助かったかもしれないのです。その時の指示次第で、老人を生かすことも殺すこともできた訳です。もちろん怪我をさせたのは運転手でしょう。けれど〝殺した〟のはこの私だったのではないでしょうか?
 皆さんはかつてこういう殺人法について考えられたことがあるでしょうか。私はこの事件で始めてそれに気がついたんですが、この世の中はなんと過酷な場所なんでしょう。私のような男が、なんの理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、いつ不当に命を失ってしまうか分かったものではないのです。

 これはその後私が実際やってみて成功したことなんですが、お婆さんが電車の線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけたときに、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、たちまち慌てて、そのまま通り切るか、一度後へ引き返そうかと、暫く迷うに違いありません。そのたった一言が、最悪の場合命までも取ってしまわないとは限りません。さっきも申上げましたとおり、私はこの方法で一人殺してしまったことがあります。
 この場合「危いッ」と声をかけた私は明らかに殺人者です。しかし誰が私の殺意を疑いましょう。なんとまぁ安全極まる殺人法じゃありませんか。
 そこで私はこの手口の人殺しによって、あの死にそうな退屈をまぎらすことを思いつきました。なんという申分のない眠気覚ましでしょう。以来私はこの三年の間というもの、人を殺す楽しみにふけって、いつの間にか退屈をすっかり忘れていました。皆さん、私は戦国時代の豪傑のように、百人の命を取るまでは決して途中でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
 今から三月ばかり前です、私はちょうど九十九人まで〝済ませ〟ました。その九十九人をどんな風にして殺したか。もちろん、ただ人知れぬ方法とその結果に興味をもってやった事ですから、私は一度も同じやり方を繰り返すようなことはしませんでした。
 しかし、この席で、私のやった殺人法を一つ一つお話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈から逃れようとした、そしてまた、今度はこの私自身を滅ぼそうとしている、世の常ならざぬ私の気持ちをお話して皆さんの判断をあおぎたいためですから、その殺人方法については、ほんの二三の実例を申上げるに止めておきたいと存じます。

 ある夏のことでした。私は犠牲《いけにえ》にしてやろうと目を付けていたある友人、といっても決してその男に恨みがあった訳ではなく、長年の間無二の親友としてつき合っていたほどの友達なのですが、私には逆に、そういう仲のいい友達などを、なににも言わないで、ニコニコしながら、アッという間に死体にしてみたいという異常な望みがありました。その友達と一緒に、房州の僻地にある漁師町へ避暑に出かけたことがあります。
 ある日、私はその友達を、海岸の集落から、だいぶ離れた所にある、ちょっと断崖みたいになった場所へ連れ出しました。そして「飛び込みをやるのには持ってこいの場所だ」などと言いながら、私は先に立って着物を脱いだんです。友達もいくらか水泳の心得えがあったものですから「なるほどこれはいい」と私にならって着物を脱ぎました。
 そこで、私はその断崖の端に立って、ピョンと飛び上がると、見事な弧を描いて、逆さまに前の海面へと飛び込みました。
 パチャンと身体が水についた時に、胸と腹の呼吸でスイと水を切って、僅か一メートル潜るだけで、飛魚のように向こうの水面へ体を表すのが「飛び込み」のコツなんです。そして、
「オーイ、飛込んでみろ」
 と友達に呼びかけました。すると、友達は無論なにも気づかないで、
「よし」と言いながら、私と同じ姿勢をとり、勢いよく私のあとを追ってそこへ飛び込みました。
 ところが、しぶきを立てて海へ潜ったまま、彼は暫くたっても再び姿を見せないじゃありませんか……。私はそれを予期していました。その海の底には、水面からニメートルぐらいの所に大きな岩があったんです。私は前もってそれを探っておき、友達の腕前では「飛び込み」をやれば必ずニメートル以上潜るに決まっている、従ってこの岩に頭をぶつけるに違いないと見込みをつけてやった事です。
 案の定、暫く待っていますと、彼はポッカリとマグロの死体のように海面に浮き上がりました。
 私は彼を抱いて岸に泳ぎつき、そのまま部落へ駆け戻って、宿の者に緊急をつげました。そこで休んでいた漁師などがやって来て友達を介抱してくれましたが、ひどく脳を打ったためでしょう。もう回復の見込みはありませんでした。
 私が警察の取り調べを受けたのはたった二度きりですが、その一つがこの時でした。なにぶん人の見ていない所で起こった事件ですから、取り調べを受けるのは当然です。しかし、私も彼もその海底に岩のあることを知らず、幸い私は水泳が上手だったために危ないところを逃れたけれども、彼はそれが下手だったばっかりにこの事態を引き起こしたのだということが明白になったものですから、難なく疑いは晴れ、私はかえって警察の人達から「友達を亡くされてお気の毒です」と悔みの言葉までかけてもらう有様でした。
 いや、こんな風に一つ一つ実例を並べていてはきりがありません。もう皆さんも私の絶対に法律に触れない殺人法を、大体お分かりくださったことと思います。全てこの調子なんです。最後に少し風変わりなのを一つだけ申上げることにいたしましょう。

 今までお話しましたところでは、私はいつも一度に一人の人間を殺しているように思えますが、そうでない場合も度々ありました。でなければ、三年足らずの年月の間に、しかも少しも法律に触れないような方法で、九十九人もの人を殺すことはできません。その中でも最も大人数を一度に殺したのは、昨年の春のことでした。皆さんもご存知のことと思いますが、中央線の列車が転覆して多くの負傷者や死者を出したことがありますね、あれなんです。
 それを実行する土地を探すのにはかなり手間がかかりました。結局M駅の近くの崖を使うことに決心するまでに、まる一週間はかかりました。M駅にはちょっとした温泉場がありますので、私はそこのある宿へ泊まり込んで、いかにも長期滞在の湯治客らしく見せかけようとしました。そして、もう大丈夫だという時を見計らって、私はある日いつものようにその辺の山道を散歩しました。
 そして、宿からニキロほどの、ある小高い崖の頂上へたどりつき、私はそこでじっと夕闇の迫ってくるのを待っていました。
 暫くすると、予め定めておいた時間になりました。私は、これも予め探しだしておいた一つの大きな石ころを蹴り飛しました。それはちょっと蹴りさえすれば崖からちょうど線路の上あたりへ転がり落ちるような位置にあったんです。その石ころはうまい具合に一本のレールの上に乗っかりました。
 半時間後には下り列車がそのレールを通るのです。その時にはもう真っ暗になっているでしょうし、その石のある場所はカーブの向こう側ですから、運転手が気付くはずはありません。それを見定めると、私は大急ぎで、M駅へと引き返しそこの駅長室へ入って行って「大変です!石ころを線路の上へ蹴り落してしまいました。もしあそこを列車が通ればきっと脱線します!」とさも慌てた調子で叫びました。
 すると駅長は驚いて、
「それは大変だ、今下り列車が通過したところです。普通ならあの辺はもう通り過ぎてしまった頃ですが……」
 と言うのです。そうした問答を繰り返している内に、列車転覆により死傷数知れずという報告がもたらされました。さぁ大騒ぎです。
 私は成り行き上一晩Mの警察署へ引っ張られ、大変叱られはしましたが、別に処罰を受けるほどのこともありませんでした。そういう訳で、私は一つの石ころによって、少しも罰せられることなく、十七人の命を奪うことに成功したんです。
 皆さん。私はこんな風にして九十九人の人命を奪った男なんです。これらは普通の人には想像もつかない極悪非道の行いに違いありません。ですが、そういう大罪悪を犯してまで逃れたいほどの、ひどい退屈を感じなければならなかったこの私の気持ちも、少しはお察し願いたいのです、私という男は、そんな悪事でも企む他には、何一つこの人生に生きがいを発見することができなかったのです。皆さん、どうかご判断なさって下さい。私は狂人なのでしょうか。殺人狂とでもいうものなのでしょうか。

 このようにして今夜の話手の、とてつもなく奇怪極まる身の上話は終わった。しかし誰一人これに答えて批判の口を開くものもなかった。
 ふと、ドアのあたりに垂らされた布の表に、チカリと光ったものがあった。それは銀色の丸いもので、赤い布の間から、徐々に円形を作りながら現われているのであった。私は最初の瞬間から、それが給仕女の両手に捧げられた、我々の飲物を運ぶ大きな銀盆であることを知っていた。そう、いつもの美しい給仕が現れたのだ。彼女は飲物を配り始めると、その、世間とはまるでかけ離れた幻の部屋に、世間の風が吹き込んできたようで、なんとなく不調和な気がしだした。

「――ほら、撃つよ」
 突然Tが、今までの話し声と少しも違わない落着いた調子で言った。そして、右手を懐へ入れると、一つのキラキラ光る物体を取り出して、ヌーッと給仕女の方へ向けた。
 アッという私たちの声と、バン……というピストルの音と、キャッと驚愕する女の叫びと、それがほとんど同時だった。
 無論私達は一斉に席から立ち上った。しかし撃たれた女は何事もなく、ただ無惨にも撃ち砕かれた飲物の器を前にして、ボンヤリと立っているではないか。
「ワハハハハ……」T氏が狂人のように笑い出した。
「おもちゃだよ、おもちゃ。アハハハ……」
「まぁ、びっくりした……。それ、おもちゃなの?」
 Tとは以前から顔馴染みらしい給仕女は、そう言いながらT氏の方へ近づいた。
「ねぇ、貸して。まぁ、本物そっくりだわ」
 彼女は、照れ隠しのように、その玩具だというリボルバーを手にとって見ていたが、やがて、
「くやしいから、あたしも撃ってあげるわ」
 と言うかと思うと、彼女は生意気な格好でT氏の胸に狙いを定めた。
「君に撃てるなら、撃ってごらん。撃てやしないって」
 ――バン。前より鋭い銃声が部屋中に鳴り響いた。
「ウウウウ……」なんとも言えない気味の悪い唸り声がしたかと思うと、T氏がヌッと椅子から立ち上がって、バッタリと床の上へ倒れた。そして、手足をバタバタやりながら、苦悶し始めた。
 私達は思わず彼の近くへ走りよった。見ると、T氏は蒼白な顔を痙攣させて、夢中になってもがいていた。そしてだらしなく開かれたその胸の傷口からは彼が動く度に、だらりと真っ赤な血が流れていた。
 玩具と見せかけたリボルバーの二発目には実弾が装填してあったのだ。
 私たちは、長い間、ボンヤリそこに立ったまま、誰一人身動きするものもいなかった。奇怪な物語の後のこの出来事は、私達にあまりにも激しい衝動を与えたのだ。そして、苦悶している負傷者を前にして、私の頭には次のような推理の働いた。
「意外な出来事に違いない。しかし、よく考えてみると、これは最初からTの今夜のプログラムに書いてあった事なのではないか。彼は九十九人までは他人を殺したが、最後の百人目だけは自分自身のために残しておいたのではないだろうか。そして、そういうことには最もふさわしいこの『赤い部屋』を、最後の死に場所に選んだのではないか、これは、この男の奇怪極まる性質を考え合わせると、まんざら見当はずれの想像でもない」
 恐ろしい沈黙が場を支配していた。そこには、床に横たわった給仕女の、悲しげにすすり泣く声が、密やかに聞えているばかりだった。「赤い部屋」の蝋燭の光に照らしだされた、この僅かな間に起きた悲劇の場面は、この世の出来事としてはあまりにも夢幻的に見えた。

「ククククク……」
 突如、異様な声が聞えてきた。それは、最早やもがくことを止めて、ぐったりと死人のように横わっていた、T氏の口から漏れるよう感じられた。氷のような戦慄が私の背中を這い上った。
「クックックックッ……」
 その声は見る見る大きくなっていった。そして、ハッと思う間に、瀕死のT氏の体がヒョロヒョロと立ち上がった。だが……もしや……やはりそうだったのか、彼は先ほどから耐らないおかしさをじっと噛み殺していたのだった。「皆さん」彼はもう大声に笑い出しながら叫んだ。
「皆さん。分かりましたか、これが」
 すると、あぁ、これはまたどうしたことだろう。今の今まであのように泣き入っていた給仕女が、いきなり快活に立ち上がったかと思うと、もう耐らないというように、身体をくの字にして、これもまた笑いこけるのだった。
「これはね、偽物の弾丸《たま》なんですよ。中にインクが入れてあって、命中すれば、それが流れ出す仕掛けです。それからね。この弾丸と同じように、さっきの私の身の上話というのは始めから終わりまで、みんな作り話なんですよ。さて、退屈屋の皆さん。こんなことでは、皆さんが始終お求めなさっている、あの刺激とやらにはなりませんでしょうか……」
 彼がこう種明かしをしている間に、今まで彼の助手を勤めた給仕女の気転で階下のスイッチがひねられたのであろう、突如真昼のような電灯の光が、私たちの目を惑わせた。そして、その白く明るい光線は、たちまち部屋の中に漂っていた、あの夢幻的な空気を一掃してしまった。そこには、暴露された手品の種が、醜い骸を晒していた。緋色の絨毯や肘掛け椅子、果ては、あの意味ありげな銀の燭台までが、なんとみすぼらしく見えたことか。
 「赤い部屋」の中には、どこの隅を探してみても、最早や、夢も幻も、影さえとどめていないのだった。

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