なつき戦史室 2024/06/30 18:30

『ランド・パワー原論』を読んで

石津朋之、立川京一、齋藤達志、岩上隆安『ランド・パワー原論 古代ギリシアから21世紀の戦争まで』(日本経済新聞出版、二〇二四年)を読んで


「ランド・パワーは、地上を主たる領域として行動する軍事力(ミリタリー・パワー)である」(二十六頁)。本書はそんなランド・パワーに関する論集だ。

十年以上前にエア・パワーとシー・パワーの本が出て、ランド・パワーだけが出ず、「やっと出たか」という思いがする。その間世界では色々なことが起こり、わたしの認識も大分変化した。

本書『ランド・パワー原論』は、基本的に従来型の通常戦(核兵器使用のない正規戦)を対象にしている。現代の陸上自衛隊はあくまで本来の任務が戦闘であることを掲げ、フルスペクトラム、陸海空の統合運用、情報の優越を重視している(注1)。また、最近の軍事界の流行りとしては、委任型指揮(注2)、ロジスティクス、宣伝戦、水陸両用戦などがある。本書はそれに対応するように、先に挙げたことに関する論が収録されている。

現代戦に連なる原型は第一次世界大戦からだから、本書も主にそれ以降を対象にしている。この点、第7章のフィリップ・セイピン「古代ギリシア・ローマの戦争」はやや異彩を放っている。この論文自体は大変含蓄のあるものだが、どちらかというと軍事史とどう向き合えばよいかが書かれているからだ。読者は混乱してしまうかもしれない。

一番興味深かったのは、阿部昌平「陸軍のデジタル化とイラク戦争」だった。冷戦終結以降のアメリカ陸軍がどうデジタル化に対処したのかイラク戦争の戦例に対応して書かれているので大変良かった。

反対に、齋藤達志「内戦作戦と外線作戦」は見逃せない問題がある。日本陸軍関係の論文をいくつも書かれている斎藤氏のことは尊敬しているので躊躇するが、歴史修正主義に利用される可能性があるので書いておく。

齋藤氏はインパール作戦におけるディマプール突進問題について、牟田口将軍の命令したようにコヒマからディマプールにすぐさま前進していれば英インド軍に重大な危機をもたらしていたはずなのにしなかったことを批判している(三二四~三二五頁)。

英将スリムやマウントバッテンは日本軍の内情をほとんどしらなかったから地図上の判断でディマプール占領できたと思ったのかもしれない。あきれたことに、近年のロバート・ライマンによるビルマ戦史でもいまだに書かれている(注3)。

しかし、日本側からの検討では諸氏不可能だったと結論づけている。

試しに陸戦史集の吉川正治『インパール作戦』から引こう。

「当時牟田口中将は、コヒマ占領の第一報に基づいてディマプールへの追撃を命じた。しかし占領したのはコヒマの部落に過ぎず、じ後コヒマ三叉路高地を巡る争奪戦に死闘を繰返し、最後まで抜くことはできなかった。一歩譲って三叉路高地を奪取することができたとしても、ディマプールへの進出は容易なことではない。四月中旬ごろまでにディマプール、コヒマに集結した敵第三三軍団の兵力は、英第二、インド第七師団を基幹とした六個旅団で、近くインド第二六八旅団も到着する予定であり、たとえ第三一師団がディマプールに進出できたとしても旬日を出ずして壊滅的損害を受けたことは必至であろう。」(注4)

この問題を再検討した磯部卓男や荒川憲一も同様に、不可能だったとしている(注5)。

さらに、もう一つ書いておく。インパール作戦初期、日本軍はトンザン・シンゲルで英軍の退路を遮断した。しかし「イギリス軍第四軍団の開囲攻撃を受け、第三三師団長・柳田元三中将はあっさり退路を解放した」(三二四頁)と書かれてある。当時、牟田口将軍の第十五軍司令部は、第三十三師団から三〇〇キロ離れたメイミョウにいたから前線の様子をまったく把握しておらず、「あっさり退路を解放した」と思った。戦後初期はこのような不適当な記述が広まったが、いままた蘇らせるのはよくない。この問題に対し、磯部卓男が詳細に検討している(注6)。

第三十三師団は道路封鎖しただけで後退中の英第一七師団を打撃していない。だから強烈な反撃に見舞われて封鎖を維持できなかったのだ。形だけの包囲の限界は、すでに五十五師団によるシンズウェヤ包囲でも現れていたが、頑固な日本軍は翌年の五十四師団によるレモー戦でも同じことを繰り返している。


この本自体の欠陥も書く。本書は基本的に従来型の通常戦を対象にしていて、治安戦や対反乱作戦、安定化作戦などについてほとんど頁を割いていない。二十一世紀の西側軍隊が民意に思い悩んでいることを考えれば、これらの項目について絶対に必要な頁数を割くべきだった。日本陸軍の事例が多い本書なら、せめて北支の治安戦は取り上げるべきだった。本の編者が参照しているUnderstanding Land Warfareは、これらの項目に本の三分の一ほど割いている。自由と民主主義を守る西側諸国の一員たる自衛官が読むなら絶対に入れて欲しかった。

依然として核兵器により通常戦は掣肘を受けている。ウクライナ戦争や台湾危機により通常戦の意識が高まり本書の出版を後押ししたかもしれないが、民衆の支持(ルパート・スミス流に言えば人間戦争)は暴力を扱う者が忘れちゃいけないだろう。


少し余談。日本の軍事界では、湾岸戦争後アメリカ軍がテクノロジー万能主義に走って失敗したこと(いわゆるClausewitz out, Computer in)や、イラク・アフガン治安戦がほとんど扱われないのはどうしてなんだろうなあと思う。



石津朋之、立川京一、齋藤達志、岩上隆安『ランド・パワー原論 古代ギリシアから21世紀の戦争まで』(日本経済新聞出版、二〇二四年)


注1 最近リスペクトのない文章利用に腹が立ってきたのでSNSで相互フォローの方に聞かれれば教える。
注2 mission-type commandのこと。なぜか任務指揮と訳されることが多いが、本来軍人は任務を主とするのだから言葉がおかしい。ドイツ語の原義に照らして委任型指揮と訳すべきだ。木上英輔「米陸軍の新たな『ミッション・コマンド』」(2・完)二〇~二一頁。
注3 Robert Lyman, A War of Empires(Osprey, 2023) 355. 荒川憲一「日本の戦争指導におけるビルマ戦線」が収録されている防衛研究所の『戦争指導 第二次世界大戦の日英を中心に』は英訳されているので、ライマン氏の怠慢だ。
注4 陸戦史研究普及会編『インパール作戦 上巻』二二七頁。
注5 磯部卓男『インパール作戦』二八二~二八五頁、荒川憲一「日本の戦争指導におけるビルマ戦線――インパール作戦を中心に」一五四~一五五頁。
注6 磯部卓男『インパール作戦』六六~八五頁。

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