普段から目にするもの、聞くものが一辺倒になったり、
自分の考えていることがなにかに偏りすぎてしまったりしたとき。
それはまさに、知識の栄養失調状態。
そんな状態になってしまうと……。
なんてことになりかねません。
自分はそういうことを「遊びを失った状態」と普段から思っています。
身近な「アタリマエ」の外に出たらどうなるだろう? とか、
物語の一場面で、全く別の展開になったらどうなるだろう? といった、現実では起こり得ないことを考えたりする想像をすることを自分は「遊び」だと考えています。
この「遊び」が最も得意なのが、好奇心旺盛な子どもたち。
しかし、歳を取るにつれ知識も増え、守るものやミライに向かうための方法を意識することになる。
成長につれて「遊び」は徐々に生きる上で介入しなくなっていき、
やがては「遊び」を忘れてしまう。
しかし「遊び」は取り返すことができる。
それが、エンタメに触れることだと思っています。
見る、知る、聞く。
受動的なソレでも「遊び」を目にすることは出来ます。
考える、作る、やってみる。
そこに行き着くだけで、大人になろうと「遊び」はそこにある。
先程、視野が狭くなったり、考えが固定化することを自分は「遊びを失った状態」と言いました。
それは、考える必要はない、そこに答えがあるのだから、生み出す必要もない。
そういう風にロックが掛かり「遊び」を目にしなくなる。
だからこそ「遊びを失った状態」であり、これこそが知識の栄養失調状態なのです。
ただ勘違いして欲しくないのは、この状態が決してダメだとか、悪いことというわけではないということ。
こういった話を、今将来のために必至になっている人に言うのは違うと思っていますし、やるときはやらなければならないのもまた人間。
だから、そういう努力の先に余裕が持てたその時。
「遊び」を意識する事ができるように、色々なモノを様々な目線で見て、興味を持つ。
あわよくば、そこから自分でも何かアウトプットする。
そんな「遊び」を持ち、知識の栄養をバランスよく取得できることこそ、自分の人生や心にとって幸福なんじゃないかなぁと自分は思っています。
そして、そういう「遊び」を提供する。
それこそがエンタメの使命である。
そう信じて、自分は今も制作を続けています。