たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令にふくしてくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んでまけよう、という。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ! 『続堕落論』
『堕落論』の中で安吾は、原点に還ることが必要だと述べています。世の中の規範、道徳、常識といった前提の条件をいったんすべて外し、いわば素っ裸の現実に直面してみろという。
それまで日本人を縛ってきた道徳観、規範意識をことごとくを否定し、そこから解放されるべきことを、「堕落」という挑発的な語を用いて説きました。
武士道にせよ、貞節にせよ、日本人をこれまで縛ってきた社会システムは、いずれも、為政者が人民を統制するために都合よく編み出した虚構にすぎない。
戦前、戦中の軍国主義にせよ、それに代わる戦後の進歩主義や民主主義にせよ、自分の外から与えられるお仕着せの思想であるかぎり安吾はそのいずれに与することも拒否します。そうした罠にはまらずに人間はいきていかなければならない。そのためには、「自分自身の武士道」「自分自身の天皇」を編み出して、自分で自分を救わなければならない。
切り開いていく野武士的な生き方喜んでを切り開いていく野武士的な生き方んでを切り開いていく野武士的な生き方喜んでを切り開いていく野武士的な生き方。
上の「嘘をつけ!」と叫ぶ相手は、この儀式を準備した軍部や政治家と、それを喜んで受け入れた国民の両方でしょう。
我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ち向かい土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終わらせてることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と言い、また、天皇の命令という。忍び難きを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めともまたなさけない歴史的大欺瞞ではないか。
自分の生命力に従って生きる。野生に戻る、本能に従うともいえる。嫌なものを厭と言えない欺瞞をすて己の本能を見つめる裸の人間として復活するために「日本及び日本人は堕落しなければならぬ」
自分の外にある価値観や道徳には頼れない。
堕落には自分以外に頼るものがない、つまり孤独である。
多くの場合、人はその孤独に耐えることはできず、あてがいぶちの道義やイデオロギーなどにすがってしまいます。しかし、その誘惑に屈することなく孤独の道を進み続けなければならない。
着物は日本人に必須のものではなく、より便利な生活が必要。
「人工の極致」こそ人間の生み出す本来の美。俗悪さを評価するという安吾の態度は、人間の本能的な欲望をそのまま肯定する、という彼の思想。