ラノベに型なんてないのではないか?
昔ラノベばっか読んでいたころラノベはどういうの物かと考えていた時があります。その時は文庫サイズで表紙がアニメ絵?で簡単に読めるものかなーって思っていたけれど、乙一さんの作品もラノベ、西尾維新さんの作品もラノベ、川上稔さんもラノベときて私は考えるのをやめました。まぁ、ラノベだといえばラノベなんでしょうって事で。
ところで皆さんは『“菜々子さん”の戯曲』というラノベを覚えておいででしょうか?作者が書いた記事があって懐かしくなりました。マンガ家志望→ラノベ作家になった僕の、新人時代の「ヤバい失敗」
当時全文無料公開したことも覚えていますし、買った覚えもあります。楽しかった覚えもあります。
ところで気になったのが編集さんの、
【「高木さんはラノベを知らなすぎる」と言って当時売れていたライトノベルを10冊かそれ以上、私の家に送ってよこしました。
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『バカとテストと召喚獣』『アクセル・ワールド』『とある魔術の禁書目録』など、】
という所です。確かに俺妹もバカテスもAWもとあるも当時人気のあったラノベでですが、だからと言ってこれらのように作ればいいのかといえば疑問が残ります。
どこか悲しい雰囲気があった壁井ユカコさんのキーリシリーズ。ホラー?っぽい甲田学人さんのMissing。ほかにも多種多様なラノベが当時ありました。
当時売れていたラノベは、その当時流行っていたラノベであってそれを真似すればいいものではなく作者にあったラノベが売れるのがいいのではないか?と思いました。
例えば灰と幻想のグリムガルの作者十文字青さんはその前薔薇のマリアという作品を書いていました。薔薇マリも地下ダンジョンにもぐったりチームを組んだりするものでした。グリムガルも作品は違えど趣は似てると思います。
「僕らはどこにも開かない」「神栖麗奈シリーズ」というなんかホラーというか怖い感じの作品を「空ろの箱と零のマリア」というシリーズものに昇華させた御影瑛路先生もいますし。
他にもたくさんのラブコメを量産している平坂読先生もいます。
個人的には作家それぞれに得意分野っていうのがあると思っています。その得意分野でいかに今売れそうなやつに作っていくかが問題だと思っているんですよね。