夏の迷宮の出口にて
夏の迷宮の出口にて
「令和最大の失踪事件となりました」
ニュースキャスターは落ち着いた声で雛抱町で起こった集団失踪事件について語っている。この失踪事件の真実を知っているのは私とあの方たち、そして共に闇へと立ち向かってくれた親愛なる友人たちだけだろう。町に潜んでいた雛たちは、父の元へと旅立った。亡くなって雛に成り代わられた人たちは、ようやく今、死ぬことが出来たのだろう。それが幸せなことなのかは、唯一残った雛人形の私には分からない。「元の私」は私が生きることを疎ましく思っているのかもしれないし、恨んでいてもおかしくはないだろう。でも、あの方たちが私の名を呼んで父の元へ行くことを止めてくれたのだ。少なくともあの方たちの中では「光」として存在することを許されていると思う。そう考えるだけで、私は今日も生きていける。
前髪をあげ、霞さんに貰った髪留めをする。まだまだ髪をあげることには慣れないが、なんだか勇気が湧いてくる。そこまで身支度をしてから思い出した。今日は休日であることを。
手持ち無沙汰になった私は霞さんの為に朝食のおにぎりをいくつか握ると、二つほど銀紙に包んでカバンにしまい、散歩へと出かけた。朝の陽ざしが私を照り付け、額に手を当てて目に影を作る。空には真っ青な空を貫くほどに大きな入道雲があり、私を見下ろしていた。私の胸元のササンタンカの花が装飾された髪留めがキラリと光っていた。
孤児院の方から子供たちが元気に私の前を駆けていった。
カチューシャが特徴的な少女は通り過ぎざまに、
朝日にも負けないくらいの笑顔を見せて手を振ってくれた。
通りを歩いていると正義感の強そうな警察官がおばあちゃんの荷物を持っていた。
私がお酒を呑むと、とっても明るくて面白くなるんですねと言うと、
彼は照れ臭そうに頭をかいていた。
楽し気な歌が流れるデパートに行ってみるとマスターとメイドさんを見つけた。
私に気が付いたマスターがニコリと笑って少し会釈をすると、
メイドさんもいつも通りの笑顔で深々と頭を下げていた。
慌てて私が頭を下げるころには二人の姿は消えていた。
池の傍でタバコをふかしながら釣りをしている銀髪の老人に出会った。
釣りの成果を聞いてみると何も言わず、空っぽのクーラーボックスを見せてくれた。
タバコを控えるように言ってみると「母親に似てきたな」と言っていた。
なんだか少し嬉しくなった。
儀式のあった洞窟に入って、奥にある小さな社にようやくたどり着いた。
カバンからおにぎりを取り出して、二つ置く。
あちらで二人で食べられますようにと手を合わせて祈ってみた。
外へと出る。新鮮な空気を目一杯肺に入れて伸びをする。
これが私の何気ない日常。
あの日、取り戻したかけがえのない日常。
しかし今日はちょっと違う。
ほんの少しの楽しみがあるのだ。
スマホが震える。
少し踊った心を静めるために一つ二つと深呼吸。
画面に映った文字はあの方たちの名前。
思わずほころぶ口元なんか気にせずに通話を開始した。
「みなさん!待っていました!私話したいことがいっぱいあって・・・」
木々の間に私の話声がこだまする。
楽し気な会話の裏で、林のどこかでカッコウの雛が楽しそうに鳴いていた。
夏の迷宮の出口にて END