平成は平和な時代だった?
元号が変わりましたね。
それで平成は平和な時代だったとか聞いた時、えーって思ったんですよ。
確かに日本は戦争はしなかった。ただ、日本はってだけで世界では戦争、紛争は起きていたわけですよ。
それで思い出すのは憲法の前文。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
このことを佐々木俊尚さんから紹介されてから、日本だけが平和だからっていいのか?と思うように思ってきたんですよ。
それと、ほかの国と仲を親密にすることは国益にもかなうと思っているんですよ。
少し前ひろゆきさんがようつべでもし日本とロシアが戦争するとしたら、まず北朝鮮はミサイルを飛ばしてくるだろうし、中国も参戦してくるだろう。韓国は参戦はしないだろうけれど情報提供してくるだろう。米国に同盟国だからって血を流すと思わない。みたいなことを言ってたんですよ。
この東南アジアで仲間はいないと考えていいはず。
そこで「自由で開かれたインド太平洋」だ。自由で開かれたインド太平洋
これが強固になれば中国もそうそう強く出られないはず。ロシアに対しては東欧諸国と関係をよくしなくちゃいけないだろう。
しかし、それだけではだめだろう。自国は自国で守る武力はないとだめだ。そう自分は映画の「ホテルルワンダ」で学んだ。この映画を見れば国際社会も横のつながりも、暴力の前では何の意味を持たないと勉強になった。
自分は今の日本はドラえもんののびたとどらえもんのようなものだと思う。もちろんのびたが日本でドラえもんが米国だ。ジャイアンもドラが近くにいるときは手を出さない。それじゃあ帰ってきたどらえもんの時が来たらどうするのだ?自分で殴って殴って倒れないところを見せるのか?そういうわけにはいかんだろう。
冷戦の時NATOは核保有国だった。対してロシアは通常戦力が豊富だった。それでも戦力的には互角だったのだ。だからこそどちらも手を出すことができなかった。だいぶ強引に言うけれど自分の考えではこうだ。
だから、今アメリカが世界の警察をやめようとしているときに日本が戦闘機を買う、核を持たないからこそ通常戦力を持とうとするのはごく普通の事だと思う。
話を戻す。平成は平和な時代だったのか?自分はそうは思わない。