サンジャック戦の宮崎繁三郎について
サンジャック戦の宮崎繁三郎について
五七会『ビルマ戦線 歩兵第五十八連隊の回想』一六三頁より。
一九四四年三月、インパール作戦が開始された。
第三十一師団の宮崎繁三郎率いる左突進隊は、険しい山道を通ってコヒマへと前進した。その途中、第三十一師団の作戦地域ではないにもかかわらず、宮崎はサンジャックにいるイギリス軍の一個旅団を攻撃することに決めた。その理由は、左隣の第十五師団の前進路の障害になっているので取り除いておこうと思ったのと、自分たちの部隊の数キロ先に一個旅団がいるのに作戦地域外だといって放っておくのは宮崎支隊の名に恥じると思ったからだ(注1)。
のちに、この判断はイギリス側から批判されている。サンジャック攻略に一週間かけた結果、前進が遅れコヒマを制する高地を先取できなかった。このため宮崎支隊はコヒマ高地の攻略に延々と労力を費やす羽目になった。
今回はその話ではなくサンジャックの鹵獲書類についてである。
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