佐藤幸徳、佐藤彰一『勇猛と正直 佐藤幸徳中将手記』を読んで
佐藤幸徳、佐藤彰一『勇猛と正直 佐藤幸徳中将手記』(彩流社、二〇二四年)読んだ。
アジ歴で「インパール作戦における烈兵団作戦概要」と「佐藤幸徳中将手記」が公開されているが、それとは違う戦後書かれた回想録と思われる。本の中では、防衛研究所に同じコピーがあると書いてあるが、公開資料目録をざっと探しても見つからなかった。
本書を一読して皇道派と統制派の記述を読めば、独特なものの見方をしていることがわかる。さらに世の中のことアレコレに自分が関わったと記しているが本当か疑わしい。当時の軍閥の内情を記した高宮太平の本では、佐藤の名前は出てきたような覚えがない(注一)。
インパール作戦でも同じ調子なので、裏を取らないと信じることはできない。独断退却を決断したあたりの佐藤の顔は、ほかの者から見ると憔悴した様子であったというから、この本のようにスパッと決めたわけではなかろう(注二)。
三十一師団には三つの歩兵連隊がいた。歩兵五十八連隊、百二十四連隊、百三十八連隊だ。宮崎繁三郎の回想録では、宮崎の育て上げた歩兵五十八連隊よりも、佐藤が百三十八連隊を推すので納得がいかないと書いている(注三)。
しかし佐藤の回想では、五十八連隊が精強であり勇戦したことを記している。そしてガダルカナル島で殲滅的打撃を受けたあと再建された百二十四連隊には気を使っていて、百三十八連隊にはとくに言及していない。
宮崎の回想録はホラ話が少なからずあり、まさかこれも話を膨らましているのかと疑う。宮崎は佐藤幸徳を好んでおらず、かえって牟田口廉也と戦後親交があった(注四)。人間関係の不思議がある。
本書の不満点も少し書いておく。アジ歴で公開されている「インパール作戦における烈兵団作戦概要」と「佐藤幸徳中将手記」は、師団長解任直後に書かれたものでこれも収録してほしかった。あと編者の解説が佐藤幸徳個人よりも庄内の歴史に興味が移って書いているような感じもする。
逆に本書の意義として一つ外せないものがある。インパール作戦における三十一師団の独断退却問題だ。
戦史叢書ビルマ編を執筆した(元ビルマ方面軍参謀)不破博は、戦史叢書には書いていないが、佐藤の独断退却を「軍紀を破壊する許しがたい行為」と断じている(注五)。
比較的冷静な不破でさえこうなのだ。佐藤の独断撤退によって生きて帰ることができた兵隊からは(三十一師団が通告せずに退却したため英軍から背撃を受けた十五師団の一部部隊を除いて)佐藤は感謝されている。
一方、高級将校からは日本軍の名誉を傷つける行為だとして非難を受けている(注六)。
日本軍に関する深い問題がここにある。
その意味で佐藤自身によって書かれた回想録は(扱いづらいことは確かだが)貴重である。
10月27日追記
本書第一部と同じコピーは防衛研究所史料閲覧室、公開史料目録の「佐藤幸徳資料」にあるらしい。情報提供して頂いたkkさんに感謝する。
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