5月13日のコラム:歌唱力の民主化と、それについていけない最後の世代【無料公開】
どうもMuu Doggです。
友人の作家さんのやっている音楽ユニットのプリプロに行ってきました。
……まあ、音楽ユニットをやっている友人の作家自体そんなにいないので、誰だかすぐバレそうですが。
あ、僕はその曲には一ミリも関わっていません。本当にただ友達というだけです。
歌詞もメロもアレンジもしっかり固まる前の段階の状態から、じっくり曲を組み上げていく作業をみるのは未だに勉強になります。
ちょうど今月の作家事務所に出す曲のアイデアを探し回っていたので、いい刺激になりそうです。
さて、その作家さんも最近、ポップよりもテクノやオルタナ的な、よりサウンドもマニアックでコアな方へ向かっていますが、僕もマスロックやフューチャーベース的な曲をもっと作れないものかと模索しています。
おそらく僕らのこの興味の変遷は偶然ではなくて、世の中のポップスそのものがここ数年目まぐるしく多様化しつつあって、無意識下でそれに順応していっているのが原因の一つだと推測できます。
音楽の多様化が許される状況。とは音楽がマニアックだろうが洋楽と同じような曲調だろうが、それを許容できるユーザー層が形成されてきた。ということ。
わかりやすく日本のR&Bなんかを例に話してみると、2000〜2010年代は日本人の理解できるグルーヴの限界のなかで音楽が作られていました。
MisiaとかUAとかCHARAなんかが顕著で、歌唱レベルは本場のブラックミュージックと変わらないにも関わらず、サウンドやリズム、ミックスがどうしても昔ながらのJpopから抜け出せていませんでした。
僕らはこれを敬意を込めて「J-R&B」とか「醤油感」と呼んで、この本場のR&Bとは何かが違う独特なサウンドを味として楽しんで、需要して来ました。
しかし、たった10年足らずでそれも大きく変わってきました。
昨今、藤井風だったり、VaundyとかWONKとかeill、向井太一など、グルーヴもサウンドも洋楽顔負けのクオリティがありながら、Jpopとしても成立させるという、本来ありえなかったことが起き始めています。
次にミックスの変化について考えてみると、これは若い人たちの歌唱力の向上も大いに関係があります。
Adoや花譜、Da-iCE、優里、YOASOBIなど、昔から数十年に一人の逸材!と持て囃されていたであろうレベルのボーカリストが同時多発的に増えてきました。
(いや、歌唱力がある。というわかりやすい言い方をしたけど、英語の発音のように日本語を歌える人たちが増えた。という方が正確かもしれない。)
ミックスバランスをどこまで洋楽的に詰められるかどうか、というのはイコール、その人の声のバランスや倍音がどれだけ英語に近いかという部分と直結しています。
この歌い方の英語化は、言うなれば「宇多田ヒカル歌唱法の民主化」と言っても差し支えないくらい、もはや宇多田ヒカルクラスの天才ボーカリストだけの独占物ではなくなり、多くの若いシンガーにとって日常的に手の届くものになりつつあります。
リズムと歌唱力の大幅な向上の理由は、義務教育でダンスが必修になったことや、YouTubeやTiktokで個人で歌を上げる人が増えたことが根本的な原因と思って間違いないとは思うのですが、このあたりはまだ研究の余地はありそうです。
ダンスをやったり日々触れる音楽が変わるだけで、そんなに変わるのかよと言われそうですが、変わるんだな、これが……。
人間が音楽のどの部分を聴くのか。というのは幼少期の原体験でほぼ決まってしまうんですよね。
ミュージシャンや作曲家のように、ひたすら鍛錬を積み重ねて、表拍でとってしまうのを裏拍でとるように矯正したり、発声の仕方もマイクに乗りやすいように矯正したりしていたのが、若い世代にはそれが初めから当然のように出来てしまうわけです。
なので我々20代後半から30代の世代は、リズム感が昔の日本人的な表拍でとりがちで、歌い回しも演歌や民謡に源流を持つ最後の世代だと思う。
僕ら作曲家の曲調がマニアックでコアになっていくのは、今ならこの音楽オタク具合を発揮しても受け入れてもらえるんじゃないか?という期待と、恐るべき若い世代のミュージシャンたちとこれから先、共存していくには早めに舵を切らないと駆逐されてしまうのでは?という焦りもあると思います。
……長くなってしまった。
今日のお話は多くの人に読んでもらって議論したいので、無料で公開してみようと思います。
今日はこの辺で。