ゲーセンを賭博場と思っているかたは少なくないらしい

リバースをやってて感じるのは、
ゲームセンターを「賭博場」だと本気で信じている人が
相当数居るということ。


カジノみたいなことをしているとか、
悪い人が出入りしているとか、
どうにかして追い出したいとかいう声は依然あるみたい。


(頭の)悪い人(オヤカタ)は常駐してるけどな〜。


直接見た人が否定してくれたりするようだけど、
思い込みは簡単には変えられないよね。

自分の考えに合致する情報しか集めないのが人間だからなぁ。


で、見学なのか内偵なのか、
ゲームには興味はないけれど見にくる人はいて、
その人たちが必ずといっていいほど口にするのが、


「お金賭けとんとちゃうん?」
「お金も賭けんでこんなんしてなんの意味があるん?」
「ホンマは金賭けとんじゃろ?」


この流れ。


オヤカタからいわせれば、
金を賭けるなんてのはゲームの競技としての純性を損なう

上等な料理にハチミツをぶちまけるがごとき思想!!

個人の見解だからね。ヨソ(世界)がどうとかは知らないよ。


お金よりも誇りなんだよな。
お金のやり取りが介在すると、そこにワンクッション入る。
緩衝材が入っちまう。薄まるんだ、勝負が。


だから、お金なんて賭けないほうが負けたとき「痛い」し、
お金が絡むと負けの味が濁る。
だから入ってきて欲しくないなと「超個人的」には思う。

ゲーム筐体にお金を入れるのは供託金であり、果たし状。
それ以外にはなにもないほうがいい。
勝負の後になんやかんやとあって、味が濁るとつまらんよ。


誇りだけを賭けて戦うと、自分自身の過去、
努力や人間的能力に直にダメージが入るような感覚があるからね。
だからこそ辞められない。病みつきになっちまう。

抜き身の真剣で斬り合う感覚がたまらないんだよ。


そんな「ジャパニーズサムライ!!」

みたいな「ブシドーセイシン!!」

は60、70代でも理解できないのかもしれん。


でもさ、よくよく考えてみると、ゲームってのはその点で最も
精神性を残しているといえるかもしれない。
プロ化した格闘技やスポーツよりも。
武道と同じか、それ以上に精神性が残っているかもしれないな。

そして武道よりゲームのいいところは、
上手くなっても誰も物理的に傷つけないし、
自分も大怪我せずに済むってところ。
さらには賭けないから経済的に大損害もありえない。

何者も傷つけずに得られる成長の実感。

こんなすばらしい「精神修養」はないと思うぞ。


ゲームやゲーセンが不健全なんてとんでもない。


いまやゲーセンこそが最も健全なのだ!!


と、声高に叫びたい(小声)

本当に叫びたいんだがなぁ、
カビ臭いから近寄んなっていわれるのが
時代なんだろうか?

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