居場所は自分でつくるか、守るモンだぜ!


https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c07112/


失くなってはじめてわかる?

リンク先は北海道の留萌という地域にある書店のはなしだ。
書店は斜陽産業といわれて久しい。出版不況も長い。
まあ、出版は不況なのかバブルだったのかって議論はあるがな。


留萌はかつて、ニシン漁で大変に栄えた街だ。
食糧にもなるし、場合によっては肥やしにされたとも聞く。
海には金が泳いでいるっていわれてた時代は遥か昔。
いまや書店も維持できなくなってしまった。


で、地域に書店がない、困った、という人が出てくる。


よくあるパターンは、困ったというなら閉まる前行っとけよ!!

というヤツだな。
本当に困るなら行ってる。
オヤカタみたいにポイントがつかなくても地域の書店で本を買う。
宮脇書店は阿南からなくなっちまったけど……。
それでも地域に本屋がないってのは、情けないし、致命的なものがある。

一体全体、どういう致命的な要素があるのかっていうとだな、
まあ、本屋に行かない人にはわからないのは当然なんだけど、
知らない世界や考え方、そんな御大層なモンじゃなくっても、
マンガや小説なんかと出会うきっかけがなくなる。


ネットの売れ筋だとか、購入傾向からオススメを出してくるとか、
そういうことではない、偶然の出会いがなくなって、
世界の広がりが失われちまうんだ。
同じ日々の再生産になるっていうのかな。それじゃつまんねえよ。


文化なんて言葉に無理やり押し込められて語られるけどさ、
そういう、偶然の出会いがないのは、実は困るんだよね。
恋愛でもなんでもだろうけど、出会いのない職場にいて、
そこと往復してればなにも起きない。当然だよね。

偶然がある、知らない世界と出会える場所ってのは必要なんだよ。
それが本屋でも居酒屋でも喫茶店でもキャンプ場でもいいわけ。
もちろん、ゲーセンでもそうだ。

そういうものが存在する余裕こそが大切で、価値があるんだよ。
わかりにくいかもしれないけどね。


潰れておしまいにならなかったらどうなるか?

留萌の本屋さんは惜しまれて閉店し、だったら行っといてやれよ!
で終幕とならなかったのがおもしろいんだ。


留萌の本屋さんは地元の要望に呼応して復活した。
それも、東京のデカい書店。辞書でもおなじみの三省堂の支援で
再び立ち上がったんだ。


オヤカタは編集者時代に三省堂に大変お世話になった。
サイン本をたくさん仕入れてくれたりしてさ。
会社からカートで運び込んだり、著者宅から数十キロの段ボールを
抱えて小川町駅で降りてね。本店地下の荷捌き所へ運び込んだのを
昨日のように(過労&過労で思い出したくないけどな)思い出すよ。


しかし、三省堂は思い切ったもんだ。
都会の一流書店が、地方の人口もない、未来も見えない地域の書店業に
出張ってくるってんだから。帳面上の数字ではないハートの部分がなければ
できないことだよね。


潰れて、再度立ち上がってから10年。留萌の本屋は営業を続けている。

「失くなるなんて残念」

というだけで、復活しても行かないなんて不義理な場所ではなかったんだな。
留萌の人たちのハートは熱かったんだ。
こういう情熱、いまの時代に随分失われてしまったけれど、
熱い心こそが人間に必要なんだよね。
冷静で理知的な判断なんて、機械にだってできる。
理屈じゃないところにこそ、人間の価値があると思うわけだ。
ハートが熱ければ、並の困難ならば越えていけるんだよね。


また、この復活劇には官民共同での支援もあったようだ。
地域に必要なものだとして、役所が動いたってことだ。

こういう柔軟さはこれから必要だと思うよ。

金銭的支援は難しいだろうけれど、地域にそこしかない業態や、
密着の仕事を応援するくらいのことはできるはずだ。
そうでもしないと、広告力や資金力のある大手資本に勝てないし、
もっといえば都会の引力には勝てっこない。


経済性の論理ですべてが決着するならば、都会にあらゆるものが
集約するし、それはそれで正しいんだけれど、結果として歪みも出る。

「本気」で移住だのなんだのを考えるんだったら、
本屋だのCDショップだのの、そこになければ都会(ネット)で
買うしかない業態を積極支援すべきだと思う。

そういうものがない場所って、魅力を感じないじゃん。


マンガ専門書店だの、電子部品店だの、コアな店があってさ。
都会にはそういうものが集積しているからこそ魅力があるわけ。
秋葉原がこういう街だけど、神保町は古本だし、
お茶の水あたりは音楽の街だろう。
荻窪とか下北沢とか、専門な雰囲気のある街は、その道の人間にはたまらない。


もちろん、地方でそんな集積は簡単には起きないけどもさ、
一切「本屋」も「ゲーセン」も「アニメショップ」もないなら、
地方にいる理由がないってなっちゃう人もいるわけだ。
「釣具屋」でもいいし「自転車屋」でもいいよ。
このへんはまだどこにでもあるけどね。


人がそこに残ってもいいかな? って居場所を守らないで、
外から人を入れようったって割れ鍋に綴じ蓋ってヤツだろう?

いまあるものを大切に。
まだないものを作ってく。

そういう精神が必要だし、官だろうが民だろうが、どちらもそういう
考えを持って行動しなきゃいけないと思うね。


説教臭くなっちまったけど、結局はひとりひとりの心がけが、
いろんなものを守っていくんだと思うよ。


まあ、秋葉原のテナント料をコロナ禍の現在、ひとりひとりの心がけで
どうこうとはいかねーだろうけどね……。
それでも、小さな配慮で小さな地域は割とどうとでもなるかもしれない。


そんなわけで、本気で実践している留萌の本屋さんは
地域の未来に希望をくれるよねってはなしだな。
がんばっていきたくなるよね。

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