Huyumi 2022/07/01 19:04

わたしの半生

・はじめに

 どういった経緯でゲーム制作で食っていこうとしたのか書きます。
 かなり個人的かつ、重苦しい話を平気でするので、見て気分を害した、わたしに幻滅した――などが発生すると思いますが閲覧は自己責任でお願いします。

 この記事の趣旨や目的は途中で書きます。開幕に書くとそれだけでテロなので。


・ほんぶん

 まず、前提としてわたしはうつ病です。
 月一で精神科通っており、カウンセリングを受けつつ、お薬を貰っています。
 幾つかは効果が強過ぎて副作用や依存症が強いんですが、そうした毒にすら頼らないと生きていけない上に、ル想リリース後強い薬が一個増えました。たぶん次の病院でも種類か数が足されます。

 というのはTwitter詳しく見てれば大きな声では言っていないものの、特に隠していないのでわかる情報です。

 さて、どうしてうつ病になったかから始めましょうか。
 高校生後半だったので、今から十年以上前になります。
 その青春の只中で、まぁ一個や二個なら時間を掛ければ乗り越えられるなというトラブルがまぁ十個ぐらい同時期に襲って来やがりまして、ある日起きれない、目は覚めても体が動かない……という症状から始まりました。

 家族となんとかうつ病だと突き止めて、薬を飲むことでこの症状はある程度軽減されたものの、病気と副作用で生まれ変わって行く自分に適応したり、ある程度マシになったことで学校含めた精力的な活動に対する気力がこれほどまでに欠如するのかと呆然としていました。

 かなり休んでいましたし、テストや提出物なんかほとんど記憶が無いので、進級と卒業が危ぶまれていました。
 確かあと一日休むとアウトだった気がします。学校側からは「出席だけはしてもらえれば!」みたいなこと言われていたので、残りの問題はたぶん学校側がなんとか誤魔化してくれたんだと思います。
 元々真面目――かは置いておいて、成績も良かったし部活動も励んでいたので学校側からの印象は良かったと思います。
 まぁこの時そうした貯金、学校からの信頼や、交友関係や、心身の調子、お金など大部分を崩してなんとか高校卒業は出来ました。

 その後適当な専門学校入って、五月病ですぐにやめて。
 しばらく療養に集中して、社会復帰しないといけないなって思うたびにバイトやってすぐに逃げたり、知り合いのプログラミングの仕事貰って出来はするけどストレス半端ないなと実感したり、障害者向けの社会復帰施設頼ってなんか色々あって外出なくなったりしました。

 この辺のまともな方法で社会復帰しないとな、という経験はとてもトラウマになっています。
 何かしら試す度に心がボロボロになっていき、フラッシュバックの機会と出来なかった惨めさだけが残ったので。
 バイトも無理? と思われる方がいるかもしれないけど、品出しの仕事をしていて、急に喋りかけられると目の前の人が口パクしているようにしか見えず、もう一度お願いしますって言い続けてたら上司に怒られました。
 だいぶ後に気づいたんですが、わたしHSPっていって、まぁ超敏感な人なんですよね。
 人の気配が多いとか、声がたくさん聞こえたり、自分の仕事――と他の人よりも拾う量が多くなりがちで、話しかけられると許容量を超えるため、チャンネル切り替わるまでシャットアウトしていたみたいです。
 今でもボイスチャットで五人以上集まると何言ってるかわからなくなります。

 さて、無職生活が長すぎていよいよお金が厳しい。
 自分で好きに使えるお金がありませんし、親からいい年してお小遣い貰い続けると目に見えて家計がやばくなっていく。
 親共々忌避感のあった障害年金をいよいよ申請することに。
 ほんと社会に対して申し訳ないが、それはそれとして生活が厳しすぎるので、このままじゃわたし以外の社会貢献している家族すら潰れるので仕方ない仕方ないと言い訳をして。
 この時期からかなり審査が厳しくなっているようでしたが、めちゃくちゃスムーズに通りましたね。
 あとなんか障害者手帳が勝手に三級から二級に更新された。そこまで申請書に書かれていたことヤバかったですかね。

 障害年金を貰うことでわたしも生活費を入れることができ、小遣いをせびることもなくなり家計は一旦落ち着きました。
 ただ一年も貰うとその重さに気づくわけですね。
 これだけ貰ってわたしは今後社会に対して還元できるのか。
 障害年金が貰えなくなったら、また家計は大変なことになるのか。
 自分で扱って理解したこの金額を家族や社会に背負わせ続けるのか。

 元々社会貢献は何もできておらず、少しでも社会復帰を試みれば前よりも全身が包帯まみれ。
 いい歳になって来た自分の周囲を見れば、家庭を持ったり、社会的地位をしっかり築いている人ばかり。
 そもそも日々の生活の中で、不幸が幸福を上回ることはあったか?
 今不幸に耐え忍ぶことで、今後報われることはあるのか?
 いや、そんなものどこにもない。
 ならさっさと死んでしまおう。今死ねたのなら、死体の処理や自殺者を出した自責が身内を襲うだろうけれど、今後わたしが十年二十年生きて周囲や社会にかけていく迷惑よりは軽くなるはずだと。

 そんなこんなで自殺未遂する日々。
 三回ぐらいやりました。恐怖や痛みに耐えかねて中断してしまい、病院に搬送。
 これはまずいと遂には精神病院にまで入院しました。

 まぁわたしのどこかが狂っているから、入院で変わることもきっとあるはず――と思ったんですが、そんなことはなかったわ。
 当時の主治医が問題がゲーム依存症だけだと決めつけて他に話を聞いてくれず、ゲーム機やスマホの持ち込みを許されず、代わりに「テレビや折り紙、他の患者とのコミュニケーションを楽しみましょう」と。
 ……どこから突っ込んでいいかわからないんですが、まともな会話が出来る人はそこそこ居ました。たぶんなんかの依存症だとは思うんですが、お互いの病気については触れないというルールがあったので当たり障りの無い会話だけで、基本最低限のコミュニケーションだけで満足するわたしはほとんど自室に籠ってました。
 なるべく同室に人を入れないようにしてくれてはいたんですが、まぁ廊下の前に人の気配あっても寝られなくなるので基本寝不足。一週間ほど主治医の勧めるような生活を試してはみましたが自分にはとことん不向きだと感じ、あとはベッドの上でボーっとしてました。

 患者の自主性を重んじると言っておきながら、わたしがやりたいといった職員向けのボルダリングジムを安全性が保証できないと蹴った時点で、家族共々退院を急ごうとなりました。いや、断るのはわかるけど。


 念願の退院。何か変わったかと言えば何も変わっていない。死なせてくれ。
 ただ入院中何かやりたいという”意思”を徹底的に抑えられ、自宅で触れるPCがほんと癒しであったことから、ゲーム作ってみたいなと「最果てを目指す」を作ることになりました。
 同人エロゲ界隈を知っていたこともあり、死ぬ気で頑張ればゲ製で食っていくのもワンチャンありそうで、身内に確認を取りました。

「お前らが生きろ生きろうるさいから当面は死なないでやるが、ゲ製で食っていけなかったら養えよ? 嫌なら死ぬが?」と友人にまで。
 当然生きて欲しいし、ダメだったら助けるという言葉を得られたので、もう学歴も職歴もさっぱりなふゆみはどうにでもなあれと歩き出したのであった。

 ――そして最果てにたどり着く。
 まぁ「最果てを目指す」が完成しただけなんですけど。
 めっちゃ人気出ましたね。他界隈でちょくちょく創作はしていたんですが、ここまでフィードバック来たの初めてで驚きました。
 実は一度ウディコンにゲーム出してたこともあったんですが、一週間で適当作ったのを出したら八割批判が返ってきてゲーム制作は大変だな、やめとこうと思った過去があったりします。
(コンテストの性質上批判が来やすいので、ウディコン出すのは鋼の精神が必要です)

 さて、結果が出てからまず思ったのが、
「みんなは何を見て凄い凄い言っているんだろう」
 実感がない。今もあんまり実感がない。

 次に思ったのが、
「今死ねば有終の美で終われるのでは?」
 何も変わっていないのである。


 さて、ゲ製で食っていくまでのロードマップは出来ているので次は「ブレイカーハーツ」の制作――完成しました!
 前回よりもアクティブに活動出来る時間減ってない? まぁ気のせいかも知れないな……。

 結果を見ると今回も中々成功といって良さそう。
 とあるコミュニティ掴めてなかったら多分失敗判断な数字だったが目を逸らす。
 何故なら色々と焦ることがリアルであったから。

 まず障害年金が更新のタイミングになったこと。
 三年ごとに継続できるか否かが決まるので、その節目。いつまでも無条件に貰える物じゃないと痛感したのが一点。

 もう一点が家族がコロナに感染した点。
 特に親が問題で、心臓が弱く高齢の部類だったので、ほんとに帰ってこない物だと見送りました。
(一日寝込んだぐらいでほぼ無症状で帰って来た、最近まで嗅覚が後遺症でほとんどなかった程度)

 結果としてまぁ感染した割には大丈夫だった結果なのだが、結果論にしか過ぎず、脛齧る相手が居なくなると障害年金があっても生活が崩壊するというリミットの実感。これは親が死ぬ以外で働けなくなっても同じなので、様々な条件が重なった薄氷の上の安寧にいるのだなと。

 ちなみに、わたしも感染しているかもしれないタイミングは、
「完成しなかったらこの子達がわたし以外の誰にも会うことが出来ない」
 という気持ちが一番で、とにかく作品の完成を急ぎました。

 次に強かった気持ちは、
「感染して死んだら自殺より迷惑かけないから死なないかな」
 でした。わたし肺弱いので。


 そういった諸々の焦りから、とりあえず初回のトライに挑む。
 まぁなんか色々いいことがあっての完成。
 ……あれ、前回より更に活動時間減っているのでは?
 そして成果がやばい。今まで追い風が強過ぎたからなおさら。
 死なせてくれー! ここからリカバリーするのまだ出来そうだが、死ぬほど大変だし、自らの積極的意思によって生存していない以上、一定以上のストレスに耐えかねるのじゃ!
 苦しいことに堪えて、頑張ればまだ十分芽がある?
 わたしの一番の希望は死ぬことだってずっと言ってるだろ!!


 さて、延々と発狂して文章書きそうでしたが、本記事の目的について。
 まずカミングアウト。
 こうしたことを内心では散々言っているのに、吐き出す場所がなくてとてもストレスを感じていたのでそれの発散。Twitterなんかも出現頻度が少ないのは一般人のフリができるタイミングでしか出てないからなんですよね。
 発言する気力やネタが無いとか、まぁそもそも生き恥曝している自覚があるので過度に人に認知されたくないってのもある。

 次にこの記事が有事の際の免罪符になるということ。
 他の人よりなんかある率がわたしは高いです、なんかあったらこの記事を思い出して、適当に怒ったり悲しんだ後に忘れてください。
 あと各種支援考えている人にですが、わたしは他の人よりペイバック率悪いので注意してね。



 もう今まで頑張って来た、ここ数年は特になので、いい加減お暇(永久)が欲しい。
 そんな欲求に抗いながらなんとか今後
・メンタル回復
・資金調達
・何故売れなかったのか、どうしたら売れるのかのマーケティング
・次回作制作開始
 まで繋げないといけない。

 ……工程が、工程が多過ぎる!
 しかも作りたい物が売れないと認知出来ても、好きな物で生きていくという主方針から止まるわけにはいかず、無理ゲーが過ぎる。
 そこ曲げたら生きていけるとしても、わたしはそこまでして生きていきたくないんだって。
 現状何喋ろうとしても愚痴にしかならないのでもういい加減終わろう。

 ここまで読んだ人ありがとう。


・よだん

 わたしの肺について。
 社会復帰で色々やっている間に三回破れてます。肺気胸。
 大きな咳で一回、くしゃみして一回、背伸びして一回。
 初めての入院でした、こうやって人は死ぬんだなぁと命の儚さを知りました。
 麻酔無しで五百円玉ぐらいの太さの管を肺から抜かれたこともあります。
 入院時、肺付近にまだ麻酔が届いていないのに、ハサミで肉を切り裂かれて管を肺に刺されたこともあります。
 医療従事者ってのは色々大変なんだなぁってのと、○問は痛いんだなぁと思いました。

 瘦せてるのが悪いんだなと気づいて、お肉を付けたら肺は破れなくなりましたが生活習慣病に注意と言われました。
 まだ体重は元に戻っていませんが、せめて好きな物を食べて生きようと悟りました。

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