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今まで誰にも話せなかった、作曲をはじめたきっかけ①

こんちわ、ISAoです。
今日も更新していきます。

作曲をはじめたきっかけについて。
こちらを少しずつ書いていきたいと思います。


今までなるべくパーソナリティを明かさないようにしていたので、
この話題について触れませんでした。


書くと長くなってしまうので、4分割くらいに小分けにして、
素材アセットの制作進捗の報告と共に
徒然なるままに、包み隠さずに語りたいと思います。

あまり明るい話ではないかもしれないので、もし気分を害される様でしたら、
スクロールして飛ばしてください。



音楽との出会いは3歳の時

僕の生まれた家は、ごく普通の一般家庭で、
父は板金工、母はパートと家事を掛け持ちしていました。
6歳上のとても優秀な兄がいて、いつも遊んでくれました。

そんなある日、ようやく3歳になった冬の季節だったと思いますが、
二人組の大人の女性が家に訪問してきました。

それはいわゆる、ヤマハの飛び込み営業で、
「エレクトーン教室が開いたからぜひ体験教室に来てくれ」
という話を玄関先で行った後に、二人組はなぜか鶴とサッカーボールの折り紙を僕に渡してくれました。

なぜ音楽と全く関係ない折り紙なのかは謎ですが、
その鶴とサッカーボールの出来栄えは、今までに見たこともないハイクオリティで、
折り鶴に至っては、まるでポケモンのポリゴンのように立体的で、子供心をくすぐるハイクオリティな造形に魅了されてしまい、
進んで母親に「教室に行きたい」と話したことをよく覚えています。

僕は子供の頃、どちらかといえば消極的な性格だったので、母はとてもびっくりしていました。


そして、体験教室の当日、
家から歩いて10分ほどにある、教室に案内されました。
僕は折り紙を折るのを楽しみにしていました。




・・すると、なんなんでしょうか。




横のラインがいっぱい入ったホワイトボード、

なぜか斜めになったでっかい机の上の上には、
謎の黒と白の細長いボタンがずらりと並び
折り紙とは関係はありませんでした。


その日以来、僕は母親に、「折り紙はいつ作るの?」と聞けず、
ただそれから、只管に、その白と黒の音がなるボタンを押す日々を過ごしていました。




でも、音のボタンを押していると、よく先生や親が褒めてくれたので、
僕もだんだんと楽しくなり、休まずに通うことにしました。

母親は優秀な兄と僕を比較し、僕自身普段は叱られることのほうが多かったですが、
ヤマハ教室や音楽の成績についてはよく褒めてくれたので、嬉しかったです。

歌もみんなと一緒に覚えるようになり、4人クラスだった他の子とも仲良くなり始め、
子供ながらの社交性を身につけることができました。


そこから、幼稚園を卒業するまでヤマハは続け、
歌を歌ったり、タンバリンを叩いたり、色々やりましたが、
音当てクイズの成績が特に良かったらしく、
君は絶対音感を持っていてセンスがあると先生がまた褒めてくれました。

「小学校に上がってもヤマハは続けてください」と言われてとりあえず続けることにしましたが、
公園でドッジボールしたり友達と外でゲームして遊ぶのが好きだったので、
ヤマハのレッスンや課題をサボることが増え、先生に叱られる毎日が嫌になり、
4年生までだらだら続けて辞めました。



そして小学5年生のある日、一つ目の人生の転機が訪れます。

僕は自転車に乗ったまま大きな交通事故に遭遇し、意識不明で倒れ、
頭蓋骨を強く打ち、左肩を粉砕骨折し、全治2ヶ月の大事故に遭いました。


(続く・・・)

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