オリンピックの開会式に関わる、辞任・解任騒ぎに思うこと
正直、ここに書くことが正しいかどうかは判らないし、そもそもそういう話題に「まだ冷め切れていない」この時期に発言してしまうのが、正しいのかはよく判りません。
いや、むしろ悪いとは思うのだけど。
正直、思ったのは「風刺をこめた話や台本が書きづらくなるな」と。
無論、それについて実際に被害を受けた人がいるし、その人やその人に関わる人にとっては、どんなに本人が謝罪したとしても、許す気持ちにはないらないというのは判るし、それも当然だと思う。
同時に理由がどうであれ、そこに触れてしまったクリエーターの判断に起因するものだし、その矛先が当事者から向いてくる分には、心をこめて受け取らないといけないと思う。
ただ…。
判る形で風刺をする以上、対象以外にも刺さる可能性があるという事。
また、必ずしも思った通りの対象の風刺として理解してもらえないという事。
漫才であれ、コントであれ、小説であれ、感じ方がどうであれ「理解してもらえない」とどうしようもなく、いろいろなところで葛藤をしながら、ここまでなら…という線を考えていると思うのです。
それは過去のものでも同じではあるのですが、その線というのはまた、時代によって違ってきています。
と、いうと「そのような題材を扱う事自体、別に当時許されていた表現ではない」という意見が出てきますし、それもごもっともだと思います。
ただ、そこの部分も「どうしてそうなったか?」という部分なので、避けて伝わるのか?というと難しいところです。(題材にもよりますが、おそらくそれはそれで「偏ってないか?」という話になるような気がします。)
その辺に葛藤とジレンマを感じています。過去の作品の話だとはいえ、プロである小林さんがやってしまった事を、日常会話すら危ういなと思ってしまう要素のある自分が回避できるかというと、正直自信はありません。
そんなこと一言も言ってないと言われそうですが、「コントの中で、危険な物という意図を伝える為に必要な表現だった」と言った所で、その通り受け取ってくれるかというと現状無理のように思います。
どう言ったところで、その表現を選んでしまったのは本人であって、実際傷ついた人がいる以上、批判は当然だとは思うのですが、それをおいて「その世界から仕事を干されるのもやむなし」という判断の人が大量発生してしまうのは悲しいし、怖いのです。
大量虐殺のようなことが、二度と起きない事を願いますし、確かに不適切な表現であったのは事実だとは思うのですが、「当人も含めて、その表現がこの世界になかったことにする」というのが正しいことなのでしょうか。
と、正直ビクビクしながら書いています。