たたちちぽーん 2020/02/10 19:14

過去記事の紹介「卡卡們的大亂鬥 清浦奎吾 ー総理大臣列伝ー」

【清浦奎吾 名言】

過渡期ニ於イテ斯ノ如キ内閣ガ憲政ノ常道に背クモノトハ思イマセヌ
参考:清浦奎吾 - Wikipedia


清浦奎吾は、1924年の1月7日に組閣しました。同年の6月11日には第二次護憲運動で倒閣されていますので、かなり短い内閣です。

1月7日といえば、ちっともおいしくない七草粥を食べさせられる日であると同時に、カンボジアではポル・ポト政権が崩壊した開放の記念日でもあります。カンボジアでは1975年からの4年間で、数百万人の人が粛清されたといいます。ゲロマズの七草粥でも、命があることのありがたさをかみしめながら食べなければいけませんね。

清浦奎吾は、1850年2月14日に生まれました。
おおっ!これは、まさに古のローマで、聖ヴァレンティヌスが皇帝に処刑された聖なる日ですね。もちろん、このブログを読んでくださっている方なら、100gで600calにもなる茶色い悪魔フードではなく、額縁を愛する人に贈るはずです。


1850年生まれということは、星亨とかモーパッサンと同い年です。この年には、佐賀藩や江川太郎左衛門が反射炉を作っています。


この奎吾くんですが、幼名は普寂(ふじゃく)です。……ふ、ふぢゃく???何、そのキラキラ感にまみれた名前は??
調べてみると、普寂とは、奎吾くんの時代よりもはるか昔の、7~8世紀を生きた中国の僧侶のことのようです。Wiki先生によると普寂は禅僧とのことですが、華厳尊者という別名ももっているそうです。若いころには法華経や唯識、そして戒律を学んで、後に禅宗にくら替えしたみたいです。


清浦奎吾は貴族院議員で、華族です。「華族がなんで中国の僧侶の名前なんてつけてんだ?華族っていうのは、マロとかマルいう名前を付けて、虫けらを体の周りに飛ばしながら、おじゃおじゃ言ってんじゃないの?」と一瞬思ってしまいますが、奎吾くんは司法大臣などとしての勲功で叙爵された人なので、生まれながらの華族ではありません。

じゃあ、生まれは?

続きはブログで
https://www.daremotokushinai.com/

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