Illusion-イルシオン- Dec/29/2019 01:35

絶対結界光の窮地(小話)

人は時に取り返しのつかない過ちを起こす。
大切なものを守るはずが、逆に大切なものを窮地に追い込んでしまうことさえある。
これは、森の中にひっそりとそびえ建つ洋館の中起きた話。
そよ風の心地よい春、柔らかな日差しが薄暗い森を明るく包み込む頃に発生した事件である。



 稀代の光魔術師最高権威であるヴァルデリオは、その日の朝早くから三日間ほど、隣国まで仕事に行くことになっていた。
その仕事は数少ない光系の魔術師の中でも非常に複雑な部類であったため、魔術協会から直々に赤い封筒を受け取らされたものであった。
分かりやすいしかめっ面をしながら、仕事に行く支度をする。
彼はあまり洋館を離れたいとは思わない。
なぜなら彼の最愛の人が「夢遊」という夢の世界から現実世界に干渉する力を使うためである。

 あらゆる場所に現れては啓示を与え、命を救い、時に世界の在り方を修正する使命を果たすために眠り続けている。
つまるところ、眠っていて無防備な状態の彼女をそのままにして出かけるのが嫌なのである。そして、その考えから彼はある魔術式を彼女の眠る屋根裏部屋に仕掛けてしまったのであった……



昼下がり。
昼食も終えたころ。
イルスと呼ばれる魔術師の弟子である子供と、数ヶ月前森の中で行倒れていた、レイと呼ばれる青年とも年頃の娘ともとれる魔術師の助手である二人が食器を片付けていた。
今日この洋館にはこの二人だけがいるようだ。
普段ならリリィやこの館の主であるヴァルデリオ、他にその兄イディアルやメイドのサイキ。
結構人が住んでいるのだが、各々用事があって出かけているらしい。
例外として、リリィは屋根裏にある自室で眠っているが。


そこで残った弟子と助手が二人だけで食堂に赴き、昼食をとり終え、その後片付けをしているらしい。

「お昼おいしかったね!レイ君、お料理上手なんだね!僕今度教えてもらってもいい?」
イルスが食器棚に丁寧に、元の場所に皿やグラスを戻しながら上機嫌で話しかける。
「ええ、かまいませんよ」

食器の水滴を布でぬぐいながらレイが答える。
今日の二人の昼食はチキンのホットサンドイッチだったらしい。
レイが昔どこかで覚えてきた隠し味のソースをイルスはとても気に入ったらしく、そのレシピを伝授してほしいとのことだ。

「ですが、魔術師のお弟子さんに料理をお教えするというのは、なんだか不思議ですね」
「そう?僕はわからないことがあったら調べるか、知識のある人によく聞くよ?」
「ふふ、イルスはお勉強家さんなんですね」

クスリと優しくレイは笑う。
イルスは少し不思議そうにしながら食器を棚に戻し終え、レイの近くにととと、と歩み寄る。
流し台の水の飛び散っていないところに肘をついて顔を掌に乗せながら、レイの顔を覗き込む。
レイはレイで、不思議そうな顔をしているイルスを覗き返し、二人でくすくす笑っていた。
其処に、一つの不穏な気配が近寄ってくる。
虚ろで、少しばかり苦しそうな気配が二人の背後に揺らめきながらにじり寄ってくる。
そして、

「イルス……レイ君……」

か細い呻き声で二人の名前を呼ぶ声が笑い声を遮り、二人の体は恐怖で硬直する。
突然のことで驚いたのであろう。
レイは振り返った状態のまま動きが止まっている。
そして振り返った先に見たものに恐怖を覚え、拭いていた皿を落として割ってしまった。
皿の割れる音で、少し意識がはっきりしたらしい声の主ははっとしてもう一度話しかける。

「あ、ごめんね驚いたよね」

イルスが振り返ってみると、そこにはリリィが立っていた。

「お、お母さん!?」

背後に現れたのは、現在夢遊をしているはずのリリィだった。
ひらひらひらめく純白のドレスに、限りなく黒に近く長い茶色の髪の毛を白いリボンで軽くまとめている。
しかし、長い前髪はやや俯き加減の体制のせいか、だらりと顔に垂れ下がっており白昼の幽霊と見間違えても仕方ないだろう。
少なくともレイにはそう見えたようで、顔面蒼白だ。

「え!?あぁ、リリィさんでしたか......もう、驚かさないでください!!……それとすみません、お皿を一枚割ってしまいました」

リリィだということに気がついたレイは、血色も戻り、皿を割ったことに気がつきすぐさまに謝罪をする。

「ううん、今のは完全に私が……うぅ……」

呻き声を交えながら、レイのせいではないと告げたかったらしい彼女が前髪を掻き分けて額に手を当てる。
どうも彼女の様子がおかしい。
普段ならもっとはきはきと自由に話し動き回る彼女が、何かに苦しめられるように呻き声をあげていたり、時折焦点が合わず目眩がしているかのようにふらついているからだ。

「どうかしたのですか?」

完全に正気に戻ったレイが、彼女に問いかける。
意識が朦朧とし始めているのか、リリィは少しかすれた声で話し始める。

「あのね、私の…体のほうがなんだか……熱かな?具合悪くって夢遊から戻れなくなっちゃって……魔術も神威も…つかえなくてつらい…」
「お母さん……」

話の最中だが、あまりにも弱っているリリィを初めて見たイルスが戸惑い、声を漏らす。

「それでね…私の体の異常……治してほしいの」

つまり看病をして欲しいということらしい。
そういうことなら、普段ヴァルデリオの光魔法による治療の助手をしている、レイに任せてしまえば問題ない。
魔術は使えないものの、体の中に魔術の回廊はあるので複雑な症状でないのなら手持ちの魔術護符で緩和もできる。
その間に夢遊から目覚めさせ、現実世界に帰って来たところを今度は二人で普通の看病をしてやればいいだけの話だ。
誰もがこの時はそう思った。

「分かりました。いこうか、イルス」

そういうと綺麗な白に近い金の髪の毛をしっかりと束ね、セルリアンブルーの優しい瞳にイルスが安心できるよう柔らかな笑みを宿して名前を呼ぶ。
数ヶ月の間で培ったヒトの病を癒す術を、自分一人で行使する覚悟を決めた合図だ。

「う、うん!」

初めてのことでおどついていたイルスも、年上であり慕っている兄のような姉のような存在に励まされ正気を取り戻した。
そして、子供らしくマネをしようと思ったのか、もともと束ねてあった青黒い髪の毛を固く縛りなおす。
気合は十分らしく、父親譲りの紺藍の瞳をきらりと輝かせる。

「……二人ともお願いね」

今にも倒れそうなリリィは二人にそっとつぶやいた。 




「なにこれ!?」
イルスが思わず声をあげた。
二人は一階にある食堂からリリィのいる屋根裏部屋に繋がる階段を上がるため、三階の屋根裏部屋へ続く扉の前にきたのだが……

「……魔術結界でしょうか?」

ドアノブを握った瞬間その手を弾かれ、痺れて少し痛む手を抑えながら冷静に、レイはイルスに答える。
何故かリリィの部屋に至る扉に強固な魔術結界が張られていたのだ。
そこだけではない、おそらく彼女の部屋に至る窓もこの結界で封印されているだろう。

「うそ……こんなもの張ってあったの?リオさんか…しら?」

意識がぼぅっとしてきたリリィ。
結界が張ってあることはわかるが、それがどんな仕組みで誰が展開し、どのように解せばいいのかを、体を脅かしているであろう熱が邪魔して全く解析できないようだ。

「どうしようお母さん……」

愛子が心配そうにしていることに気がついた彼女は、慌て始めるイルスの頬を両手でそっと触る。
ほのかに熱を帯びたその両手を触り返そうとすると、彼女は無理やり微笑みながら、

「レイ君もいるし、あなたなら大丈夫よイルス……」

そう呟くとその手は頬から離れ、床に倒れこんでしまった。

「リリィさん!?」
「お母さん!?」

二人が同時に彼女を呼ぶも返事はない。
あっても小さな呻き声か、少し荒い呼吸音のみだ。
咄嗟にイルスはリリィの夢遊の特性を思い出そうと必死になる。

「えっと、確かお母さんの夢遊体は本体のお母さんの状態の写し鏡みたいなもので、あっと、とりあえず僕のベッドに運んで!!!レイ君!!!」
「わかりました......!」



 夢遊体。
リリィが特殊な眠りのついた際肉体を離れた際に発生する幽体に近いが、物体やヒトに触れることもできるもう一つのリリィの体のようなものである。
そしてその体は実体の写し鏡であり、眠っている状態のリリィの体調などを正確に反映してしまう。
それゆえに、彼女が今どのような容態なのかは夢遊体を見ればわかるのだが、実際に治療などを施すには本体に行う必要がある。
しかし、ここで無意味ながら彼女の夢遊体をベッドに運ぶことにしたのは、イルスの母への愛情であろう。
レイもそれを察し、そのままにしておくのも酷だと思い、床に伏せている小柄な彼女をイルスの部屋のベッドに運んだ。



「こんなときにヴァルデリオさんが居ないなんて……」

リリィを運び終えたレイは、彼女の体に毛布を掛けるとそう呟く。

「レイ君……」

レイ横に哀しそうな顔をして立っているイルスが、小さな声でレイに話しかける。

「ん?なんだい、イルス?」
「あの結界張ったの絶対師匠だよ。」
「え?一体何のために?」

複雑な表情をしながら、イルスは話し続ける。

「師匠今朝から三日間出かけるでしょ?それでお母さんのこと心配になって結界を張って行ったんだと思う。お母さんああ見えて偉い人らしいから.....でもそれが......」
「丁度リリィさんの発症のタイミングと偶然重なってしまったのか。この様子だとおそらくはただの感冒だろうけど......それで今こういった事態になってしまった、ということだね」

呆れていいのか怒りたいのか。
本当にタイミングの悪い結界の発生に感情をどう向けていいかわからなくなり、発言が消滅していくイルスの言葉をレイが代わりに続ける。

「今なら聞こえないだろうから言うね、師匠のお馬鹿!」

少し涙ぐんだ声で大きめの声で実の父であり師を罵倒する。

「……それには私も同意するわ......我が夫ながら何故かこういう時抜けているのよね……似たもの夫婦なのかしらね?」

今の声で少し意識が戻ったらしい。
リリィがつぶやく。

「リリィさん。熱以外に、どこかお辛いところはありますか?」

すかさずレイが夢遊体のリリィの診察を始める。

「えっと...息苦しくて、多分本体は咳してると思うわ......時々呼吸が変に乱れるから。」

ポケットにしまっていた手帳にサラサラとリリィの言う症状を記述していくレイ。
イルスには其れも一種の魔術に見えたのか、やや口を開けて真剣に筆先を見つめている。

「やはり感冒のようですね。季節の変わり目ですから、気候の変化についていけず、弱ったところで感染してしまったのでしょう」
「うわぁ......私この世界にそんなもの持ち込んでたのね......」

若干引いた顔をしながら、苦しそうにリリィは話す。

「とにかく、早くリリィさんの本体.......で良いのでしたか?そちらの治療にあたりませんと、症状が悪化して、余計苦しくなってしまいます。どうにかして結界を破ろう、イルス」
「う、うん!」
ここまでレイのその道に通じている技をみてあっけに取られていたイルスが返事をする。
「いいかいイルス、今は君が頼りなんだ。私は、魔術については多少の知識はあるけれど、ヴァルデリオさんの作った結界となると恐らくより専門的なものになる。それは私1人では太刀打ちができない。結界を破るには君の協力が必要だ」
「うん!!」

実際レイの言う通り、この結界は範囲は狭いが一国をあらゆる兵器から守るような堅牢さを持ち、さらに芸術とも言わんばかりの隙のなさが現在仇となっている。
どうにかして結界の抜け穴を見つけないとリリィは衰弱していくであろう。
その前に何としてでもこの......愛妻家が過ぎてしまった魔術師の結界を、魔術師の弟子と助手二人で何とかしなければならないのである。

「僕、一度図書室に行って結界について調べなおして、有効な手立てがないか見てくる!」
「なら私は、癒しの旋律をここで弾いてみよう。音ならばたとえ結界越しであっても届くかもしれないからね。そちらは任せたよ......!」

自室から出て図書室に向かうイルスに、レイは応援の声をかけると、自身もヴァイオリンを取りに行くために一階の端部屋に向かった。





 結界、属性、術式、組み合わせによる効果、特殊な条件下での結界の一時的な無効化...
「どれも大事な基礎知識だけれど、今一番必要なのは、それの破壊の仕方か特殊条件下......」
図書室。そう呼ばれているこの場所は、実際の図書室とは想像が異なるだろう。
ここは図書室というより、イディアルとヴァルデリオが集めた趣味の本が置いてある、ただただ魔術専門書が異様に多いだけの部屋である。
(稀にリリィの趣味のおかし作りの本も混じっている。)
趣味の本と言えども、凡ゆる叡智の結晶ともいえようこの部屋はの本は、叡智が過ぎてまだ弟子であるイルスには理解し難い文字配列や術式の構造も多々ある。
その中からリリィを救出するものに値するものを探し出さなければならないのだから、非常に困難な追走劇である。

「師匠のことだから特定の条件は通過させる。風とか、音とか......でも恐らくそこに魔術的要素が入ると弾かれる......あ!」

ここでイルスはやっと気がついた。
レイのヴァイオリン演奏曲にはいくつか魔術師の音階と呼ばれる、「オト」の魔術が含まれているものがある。
それを結界の近くで演奏する事は現在非常に危険である。
先程は手が弾かれた程度で済んだが、魔術を直接結界に向けるとなると恐らく全身に大怪我。
それで済めばいい方であろう。

「大変だ......レイ君が医術曲を演奏しないよう言いに行かないと!」

レイが危険にさらされている。
そう言ってイルスは魔術結界について記述されている本を数冊抱え込むと、急いで自室に向かった。



 イルスが自室に向かう途中、澄み渡る様な音色が聴こえてきた。
儚く美しく切ない……ヴァイオリンの調べ、恐らくレイが演奏しているのであろう。

「急がなきゃ!何弾いてるかわかんない!」

イルスは齢にしては曲の種類に詳しい方であるが、流石に何枚もの壁を隔てた先で演奏されている曲まではわからない。
部屋まで出来る限りの速さで走り、辿り着き扉を勢い良く開ける。
扉が壁に衝突流激しい打音に驚いたレイは演奏をやめた。

「どうかしたのですか?」
「レイ君!魔術の音階の混じった曲は弾かないで!!」

肩で息をし、小さな体で分厚く重い本を持って走って部屋に飛び込んできたきたイルスに少し驚いたが、レイは少し微笑んでイルスに語りかけた。

「大丈夫ですよ。先程、あの結界はリリィさんに何らかの影響を、たとえ癒すことであっても赦さないと言わんばかりの拒絶をしてみせましたからね」

スッとヴァイオリンを構えると、レイは続ける。

「ですから、一般的に普及している楽曲で、尚且つただ単に眠気を誘うものであればこの結界には影響しないと考えました。つまり、先程演奏していたのは、皆さんががよく知っている子守唄のひとつですよ」

そういうと少し息を吸ったあと、ヴァイオリンの調べを紡ぎ始める。
この懐かしい暖かさを覚えさせる曲、イルスもよくリリィに聴かされていた子守唄だった。
元の曲は伝承の語り言葉がついた歌なのだが、それを自分で編曲したのか、ヴァイオリンだけで暖かさと心地よさを際限無く引き出す演奏をレイはしていた。
熱による悪夢を考慮したのか、聴いているヒトが癒されるように優しく、小さな小川が摂理に逆らわず静かに流れていくような。
心にそうっと、浸透していくようだった。
リリィの夢遊体も少しばかり安らいだ雰囲気を放っている。



 演奏が終わる頃には体温は上昇しているものの、不安感が治まったのか横たわっていたリリィが小さく礼を言う。
イルスは少し安心して、母を見つめた後澄み切った瞳でレイを見つめ直し議題を展開する。

「レイくん、どう調べてもこの魔術結界を破るのは無理みたいなんだ。
図書室にある本で僕が理解できる範疇にあの結界は収まりきっていないの。
だから、どちらかというと結界の特性をみてその隙を探ってお母さんのところに行くしかないみたい。」

苦い野菜を食べたような顔でイルスは現状を報告する。

「成る程。確かに、あのような特徴的な性質を持つ結界は、ヴァルデリオさんにしか解除できないでしょうね。
それでしたら、イルス君の言う通りに、隙を突くことぐらいしかないのでしょう。しかし……」

そう、この結界には隙がないのである。
本来であれば、魔術師の協会最高峰の椅子に座っていなければならない魔術師、ヴァルデリオ・ディアファイ・ディ・ポテンシア。
そんな彼が一切の隙無く紡いだ結界を、一人前の魔術師でさえないイルスや、医療用の簡易魔術式しか使えないレイに破ることは到底不可能な話なのだ。




 ……二人の画策は夕刻まで続いた。
イルスに流れるヴァルデリオの遺伝子を利用して扉の突破を試みた。
結界の形状を図るため反射しても大怪我にならない魔術を唱た。
そしてわかったことといえば、リリィの部屋の形とそれに続く階段から入り口の扉まで寸分違い無く、隅々まで強固に結界が張られているということだけであった。

痛みは少ないにしても、レイの治療なしだったらイルスは既に戦闘不能という程に疲弊。小さな魔術を隅々まで詠い続けたためふらついている。
それを治療し続けるレイも最早疲労が隠せない。

リリィは既に眠り続け反応がない。
正確に感冒と判断し切ることができない今、なんの病になるものに感染したかによっては危険な状態だった。
イルスの部屋で二人とも途方に暮れるしかない、そんな時だった。
下層、おそらく一階の玄関あたりから小さな物音が聞こえて来る。

「……?レイ君、今下から音がしなかった?」

疲弊しきった体で問いかける。

「そうですね。誰かが帰宅したのでしょうか?」

物音は足音に変わり、階段を登ってきているようだ。
段々と近づくその足音がもしかしたら結界の作者であったらいい。
言葉として交わることはないが、二人とも同じことを考えていた。
足音と共に聞こえる何かをシャリシャリと齧る音。
もう少しでその正体が解るであろう。
二人はこの足音の主がこの忌避すべき愚かな結界の作者と願った。
しかし、イルスの部屋をノックして聞こえてきた声は、

「ただいまー。イルスー、レイン。お土産にリンゴもらってきたよー」

りんごの入った紙袋を抱えたイディアルであった。

「あ……おかえりなさいイディアルお兄ちゃん、お部屋入っていいよ……」

絶望を隠し切れていないイルスの声が、レイとイディアルに届く。
レイも言葉は発していないが、心中「そうではない、そうではないんだ」という気持ちであった。
悲嘆に暮れるイルスの返事をもらって、何か実験の失敗でもしたか?というような気持ちで部屋に入ってきたイディアルだったが中の惨事をみて一瞬驚き、直ぐに状況の展開を求めた。

「なんだよこれ……とりあえず話聞くからリンゴ食べなよ」

レイとイルスは真っ赤なリンゴを貰うと、そのまま小さく齧り始めた。





 「つまり、いつもオレをアホとかバカ兄貴とか言っちゃってる弟が、『俺にしか破れないからこの結界』みたいなのを作った。
それで、その中に閉じ込められたリリィが何かの病気になっちゃって困っちゃったと。
それでいいんだよね?」
「はい……」
「うん……もう僕らじゃどうにもできないんだこれ……」

リリィの横に座りながらリンゴのヘタを持って芯を揺ら揺らと振り子のように揺らしながら、かつてみたことのない呆れ顔で二人の話を要約するイディアル。
その前には途方に暮れ始めたイルスとレイ。
二人にはもうなす術がない。
悲嘆に暮れる魔術師の弟子と、魔術師の助手を眺めて、重い腰を上げてイディアルが単純明快な答えを出す。

「じゃぶっ壊すか」

はい?……突然、更に突拍子もない発言に項垂れていた二人は顔を上げる。

「え、今なんて仰いました?」
「え?」

理解が追いつかない二人にやれやれといった顔でイディアルは続ける。

「解除できないならお兄ちゃんが屋根裏部屋の窓あたりから結界完全にぶっ壊す。から、その隙にリリィを回収してよ。……ってその顔はなんだよー」

此処まで色々試行錯誤して、何をしてもダメで、もう後はリリィの体力がどれだけもつかという計算を始めていたレイ。
実はイディアルの魔術の最高出力を知らないイルス、この二人の顔はめんを喰らった猫のようになっている。

「何面をくらってるんだよ……お兄ちゃんこう見えても……まぁいっか。実力行使するから二人ともリリィの部屋の扉の前にいてよ。結界の気配ぐらいはもう半日もやり合ってたんだからわかるよね?」

いまだ信じられないという顔をしながら、二人はこくこくと頷く。

「じゃ決まりな!はい移動開始!リリィがもっと辛くなる前に全部終わらせよう!」
イディアルがパンっと手を叩く。


 こうして、イルスの部屋にリリィを残してイディアルのいう完全に強行突破である作戦……と言えるのか判らない作戦を決行することになった。
部屋を出る際、イルスは「少しまっていて」と二人に声をかける。
そして、夢遊体のリリィに歩みより、眠れる彼女にの顔に近寄る。

「お母さん、もう少しだからまっててね。ごめんね、いっぱい苦しかったよね。いまお兄ちゃんが助けてくれるからもう少しだけ……」

そう話しかけて頬にキスをした。
決意を決めた瞳には、なんとしても母を助けるという信念が宿っていた。

「……ありがとう、いこう」
「行きましょうイルス」
「早く終わらせよ」




 リリィの部屋へ続く扉に向かうイルスとレイにイディアルが声をかける。
「じゃ、オレはちょっと外出るわ!」
そう言って小さな声でウタうと、イディアルの背には純白ではあるが、蝙蝠のような悪魔じみた羽が現れる。
所々破れていて、幾つかの金輪がついたそれは何故か禍々しくはない。
むしろ凛とした強さを秘めていた。
目の前の窓からひょいと飛び立つと、すぐに目的の窓に飛んでいった。

「……ああいう翼もあるのですね」

ポツリとレイが呟く。
視線をイルスに落とすと、レイは問いかけるように、

「イルス君の翼はどのような翼なのでしょうね?」

と、少し微笑みながら語りかけた。

「まだ顕現してないからわからないけど、師匠みたいにふわふわだといいなぁ……」

そう答えるとレイは優しく微笑み、イルスの肩に手を置く。

「叶いますよ。さぁ、私達も指定位置で待機していましょう」
「…ありがとう、うん!」






 森の洋館、薔薇の庭上空。
リリィの屋根裏部屋の窓付近にイディアルは空中停止していた。

「さてと、じゃあまずはっと......」

すぅっと息を吸い込み、一呼吸分息を止め集中する。
そして的確に、丁寧に魔術式の詠唱を始める。
リリィの屋根裏部屋付に干渉しないように新たに赤い結界を屋敷中、敷地中に張り巡らせる。
鮮血よりも鮮やかな紅に輝くそれは、世界を黄昏に塗り替えるようなイディアルの固有結界。
謂わば、彼が絶対である世界を構築するものである。

「じゃあ時間もないし、始めますかよっと」

そういうと固有結界の魔術式とは異なる、非常に長い詠唱を始める。


「我は闇にして煌めく光なり。この身に宿す魔の力を『開封』し、全ての魔となる力を我が両手に宿し滅せし者なり……」



詠唱と共にイディアルの姿は変容する。
普段着ているフリルのついた白いシャツから黒き魔術の装いに変化し、彼の見た目も数年……十年近くは時を刻んだ姿に変わっていく。
長く白い髪は更に長くなり、髪留めを弾き解放される。
そして、赤黒い風を纏って踊る。
真紅の瞳に宿る光は、煌めきではなく鋭利さを放ち、一度見つめられたなら恐怖で動けなくなるであろう。



「奪い去られし我が針の調べは、今ここに戻りて。我が権能を謳う事が赦される」



両翼に浮かび上がる黒い時計の針のような魔紋が目まぐるしく時を刻む。



「我は宵闇を冠する魔術師。イディアル。幻想の闇よ、数多屠られしものの悼みよ、我が糧となれ」



最早イディアルの姿は数分前のものとは異なる。
嘗ての美しき宵闇の魔術師の姿を取り戻していた。



「さぁ、今このときに詠おう『破滅の詩』を……」



一度静かに瞳を閉じる。
そして、蠍の炎のような瞳を静かに開くと同時に、彼は最後の一節をウタう……



『ティアフュトォゥラ・ヴ・フィオア・シャル』……」



一閃の石榴色の槍のような光がリリィ部屋の窓の結界に衝突する。
槍と結界は激しい光を放ち、拮抗している。
きらめく閃光の熱量で、常人なら脳が焼けてしまいそうになる。
けれどイディアルは結界と自らが放った一撃の結末を、時の外側から見据えている。
そして数秒後、イディアルはほくそ笑み、自身の勝利を確信する。
結界は鈴を転がしたような音を放ち、自らの敗北を認めた。
イディアルが放った緋い槍のような光が貫通した部分から、さらさらと見たこともない文字や記号、図形に変化して崩れ落ちて行った。

「こいつは帰ってきたら説教もんだな」

そう言いながら彼は、リリィの寝室までそっと飛行し、窓を静かに開け中に入っていった。






 「周りが突然赤に染まった……?」
「うわっ!?何!?何の音?」

一方、洋館の中にいた二人には外の様子はほとんどわかっていなかった。
明滅する光。激しい衝突音。
更に何か大きなもののくだけ散るような音。

「っ!レイ君!今だよ!結界の魔力が消えた!」

結界に宿る強力な魔力の消滅を感じ取ったイルスが、ちりちりと騒がしく其処らじゅうからきこえるなか叫ぶ。
結界の消滅を聞き取ったレイはドアノブに素早く手を伸ばす。
つかんだ手は、今度は弾かれない。

「!!失礼しますよ、リリィさん!」

そのまま勢いよく扉を開け、部屋に至る階段を駆け上る。
わずか十数段、其処にも普段から術式が敷いてあるが、こちらは住人であれば顔パスでとおることができる。
最後にリリィの部屋の扉を開けると、リリィの寝台の近くにイディアルが立っていた。
その姿は詠唱前に戻り、いつも通り白いポニーテールを夕方のそよ風になびかせている。
ただ、なぜか若干苦しそうに身体を抑えている。
まるで何か内側から侵食されるのを抑えるかのように。
今一度荒い呼吸を整えるため、一度息を吸い直すと、

「レイン、頼む……!」

そう呟いて、振り返ることなく膝をついてしまった。






 「……もう大丈夫でしょう。軽い脱水症状が見られましたが、すぐに水分補給が出来たので問題ありません。リリィさん、お疲れ様でした」
「ありがとうレイ君、イルス、お兄ちゃん」

寝台の上で毛布にくるまり、おでこに氷の袋をちょこんとのせるリリィが礼をいう。

「あら……三人ともちょっとこっちによってくれるかしら?」

疲弊しきって床に座り、窓辺の風にあたりながらりんごを剥きつつ、壁にもたれかかるイディアル。
ベッドの横の椅子でうなだれているイルス。
今まさに診察を終え、一息つこうとしていたレイの三人を呼ぶ。

一番近くにいたレイからリリィに近づくと、リリィが「手を出して」と手を伸ばす。
そして彼女の手をつかむと、リリィはそのままレイの手を彼女の近くまで引っ張り口付ける。
突然のことにレイは手を引っ込めてしまった。
それを見て少し微笑むリリィは、「可愛いなぁ」という表情を浮かべている。
心拍数が上がるのをなんとか抑えようとするレイは、胸にてている手。さきほどリリイが口付けたあたりから、薄く柔らかい紅色の光がほわほわぁと生まれていることに気がついた。
イルス、イディアルにも続けて手の甲に口付けるリリィに、レイが問いかける。

「な、なんですか、これは......?暖かくて、ふわふわするような……あれ?」
「今の私の限界の魔術?かな?疲労だけでもとれるといいけれど……この後のためにもね?」
少し申し訳なさそうに、視線を横にそらしつつリリィが説明する。
「この後?ですか?」
「この後だよ……」
「あーこの後だよ、あの愚弟がとんで」

イディアルが言い切る前に、ものすごい勢いで扉を開く音が聞こえた。
激しい扉の開閉音と、その影から現れた人物の剣幕にレイがおされる。
イルスは無言、イディアルは防御体制だ。

「誰だ?俺が三日三晩眠らずに作った結界を、物理魔術で強○破壊した蛮族は?あ?」

ギラつく紺藍の瞳に、黒に近い青の髪。
詠唱済みの魔術式を空中にいくつも、いつでも発動可能な状態で待機させ、問いかけてくる。
彼こそが光魔術師最高権威のヴァルデリオ、結界の製作者本人の登場である。

「お兄ちゃんだよ」

防御体制のまま、イディアルが調子づいた返事をする。

「お前かバカ兄貴」

一歩ずつ怒りを踏みしめるようにイディアルの方に歩み寄っていく。
そこにすかさずイディアルが声をかける。

「バカはどっちだ愚弟、リリィが死ぬかもしれなかったんだぞ?」

完全に怒り浸透していたヴァルデリオが、その一言で動きを止める。

「まて、その話を詳しく頼む」

空中を埋め尽くしていた黄金の魔方陣を消滅させると、冷静に戻ったヴァルデリオは事の顛末を三人から聞いた。






「師匠のせいでお母さん危なかったんだからね!」
「そうですよ、あのままヴァルデリオさんがお帰りになるまで待っていたら、症状はより悪化していたでしょう。」
「ということだ愚弟、何か言うことあるか?」

結界を破壊したことにより、若干悦に入っているイディアルが最後に畳み掛ける。
だが、ヴァルデリオは話を聞いている最中、そして最後まで頭を抱えていた。
自分がしたことの重大さで頭を抱えていた。誰もがそう思っていた。
次の一言がヴァルデリオの口から発されるまでは。

「俺出かける前に俺の部屋の机に、お前らの結界の認証式置いておくってリリィ以外、お前達三人に言ったよな?確実に」

三人が硬直した。何か記憶の隅に引っかかるものがあるからだ。

「イルス、朝出立前にいったよな?」
「えと、あの、寝起きだったからよくわかんなくて覚えてないです……」
「レイ?お前さんは?」
「すみません、もしかして本を読んでるときでしたか……?」
「愚兄、お前さんは」
「ごめん完全に忘れてた」

揃いも揃って、結界の認証式のことを眠くて聞き逃す、生返事で返していて聞いていない、忘れた。
この三拍子である。
完全に呆れ顔になるヴァルデリオ。
なんとなく、ヴァルデリオが重要なものを用意していないのはおかしいと感づいていたものの、伝える前に倒れ込んだリリィ。
リリィのさきほどの申し訳なさそうな顔の理由、簡単な疲労回復術による謝罪はこのためであった。


「はぁ……こうなると状況も結構変わってくるな?御三方?」

 春の夜風はまだ少し冷たい。
そんななか、嫁の看病をしつつ弟子二人と愚兄を説教する声が、
森の洋館に静かに響いていた。



 人は時に取り返しのつかない過ちを起こす。
大切なものを守るはずが、逆に大切なものを窮地に追い込んでしまうことさえある。
これは、森の中にひっそりとそびえ建つ洋館の中起きた話。
魔術師の言伝を、真面目に聞かずに大事にしてしまった三人のお話。







原作:Mel_Lioly
ノベライズ:Angelo  
協力:Ray

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