謹賀新年
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
で、なんで三が日大幅に過ぎて今頃かと言えば、年末年始仕事で、疲れて帰って夕飯食べて寝る暮らしをしていたからです。面目ありません。
うちは暖房無くて膝掛する程度で寒いし、段ボール扱うから冬場は指先が割れてタイピングが痛いし、今の時期はどうも効率が悪くなっていけません。
それはそれとして、今年の予定ですが、『国朝史撮要』の(下)はまだ先の予定になります。
とりあえずは巻四の紹治七年九月条にある統計を挙げておきます。
明命二十一年(1840)
人丁九十七万五百十六人。田土四百六万三千八百九十二畝。
税収:粟二百八十万四千七百四十斛。銭二百八十五万二千四百六十二貫。金千四百七十両。銀十二万千百十四両。
紹治七年(1847)
人丁百二万九千五百一人。田土四百二十七万八千十三畝。
税収:粟二百九十六万百三十四斛。銭三百十万八千六十二貫。金千六百八両。銀十二万八千七百七十三両。
両は日本の小判一枚ではなく重さの単位です。
それにしても同時代の日本がおよそ3000万人なのに100万前後ってだいぶ少ないような気が。
(下)で扱う時代には「改土帰流」の方針が強く出されて、国内の土司どころかラオス・カンボジアまでが内地化の対象として検地が行われ官人が派遣されて、それに伴い住民反乱も増えていきます。
次の予定は『国朝史撮要』(下)では無く他のもので、5月連休前を予定しています。