ナントカ堂 Dec/10/2021 22:13

黎文悦

新作の『国朝史撮要(上)』から、阮朝初期の功臣で100ドンの肖像にもなった黎文悦の記事を三つほど挙げたいと思います。


癸丑十四年(1793)十一月
該隊で太監の黎文悦を属内衛尉とした。
黎文悦は広義の彰義の人で、生まれつき精巣が無かった。初めに太監となったが、兵を率いて帝に従い戦をすると、冷静な猛禽類のように戦が上手かった。ここに至り軍功を挙げたため、帰還すると属内衛尉の地位を与えられた。

庚申二十一年(1800)十一月
この戦いでは、阮文誠と黎文悦は各々将旗を立てて諸軍を指揮した。阮文誠は元から酒が好きであったため、これから戦を始めようというときに、壷を持って自ら酌をした。そして一盃注いで黎文悦に「これで気分を高めろ」と言って渡そうとすると、黎文悦は「臆病者が酒の力を借りる。私の目前には強敵はいないから、酒は必要ない」と言った。阮文誠は恥じ入り、以後、黎文悦を憎むようになった。

癸亥二年(1803)八月
八月、黎文悦の父の黎文檖が参内して拝謁した。帝が労わって「黎文悦には弟がいるか。」と尋ねると、「五人います。」と答えた。更に「その兄弟に子はいるか。」と尋ねると、「文悦の弟の文豊には二人の子がいて、長男の名を燕といい、文悦は自分の子としています。」と答えた。帝は「兄弟の子は自分の子と同然だ。黎文悦には後継ぎがいる。」と言い、そのことに関する故事を長時間語った後に、衣服と頭巾を賜って帰らせた。(原注:黎文悦の弟の黎文豊は武により功を立てた。明命五年に卒去して、少保を追贈され、壮毅と諡された)

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