金蓮川
金蓮川はクビライが即位前に本拠地としていた所で、元代には上都となっていましたが、金代の人から見るとかなりの僻地だったようで、金の世宗が避暑に行こうとすると、梁襄がこのように反対しています。
金蓮川は重山の北に在り、地には冷たい気が積もり、五穀は実らず、郡県も設置できず、いにしえより地の果ての荒廃した放棄地とされてきました。気候は大いに異なり、夏の盛りでも霜が降り、一日の寒暖差も激く、上京や中都とは大いに異なります。聖なる身が居る所としては最も相応しくない場所です。必要な物も遠路運ばなければならず、険阻な山を越えて費用は数倍かかります。
またかの地に宿営した場合、兵や騎馬をあまり連れて行けず、主客入り乱れ、牛馬も集めづらく、略奪されれば追いかけて取り戻すことも困難なため、されるがままとなります。
公卿・百官・衛士や富者は車帳に収容できますが、貧者は洞窟に宿泊せねばならず、輿台を担ぐ奴○は必ずや困窮するでしょう。飢えても食糧を得られず、寒くても衣服を得られず、一人が病となれば、全体にまで感染が及びます。これでは罪無き者を刃にかけるのと何ら変わりありません。(以下略、『金史』巻九十六「梁襄」)