海陵王の師
『金史』巻百五から張用直の伝です。
張用直は臨潢の人である。若いころから学問と行いで尊敬されていた。遼王の宗幹が評判を聞いて招聘し、自分の邸宅に住まわせた。海陵王とその兄の充は共に張用直に就いて学んだ。
天眷二年(1139)、宗室の子を教育した功により進士及第の地位を賜り、礼部郎中に任じられた。
皇統四年(1144)に宣徽判官となり、横海軍節度副使を経て、寧州刺史に改められ、海陵王が即位すると、中央に召されて簽書徽政院事・太常卿・太子詹事となった。
海陵王は張用直に言った。
「朕は経史に博く通じる事は出来なかったが、おおよその事は理解している。全て卿が昔、輔導してくれたおかげだ。太子はこれから学問を始める歳だが、よく善導してほしい。朕父子が揃って卿から学問を受ければ、儒者として栄誉であろう。」
宋に元旦を祝う使者として遣わされ、汴にて卒去した。
海陵王はその死を深く悼み、死者を遣わして官費で棺を都まで護送させ、皇帝自ら葬儀に参列して、銭千万を賜った。その養子は七歳になったばかりであったが、特別に武義将軍の地位を与えられた。