ナントカ堂 2020/11/29 00:30

『旧五代史』食貨志冒頭

 前回、『旧五代史』を出しましたが、『旧五代史』で気になることが一つ。
 食貨志冒頭にこのような文があります。


 後梁の太祖が国を建てたころは、黄巣の大乱の影響が残っていた。当初は夷門の一鎮しか領有していなかったが、外には厳戒態勢を取り、内には荒野を開拓し、勧農して租税や労役を少なくした。士は戦に苦しんだが、民の負担は楽であった。このため二紀(二十四年)のうちに霸業を達成したのである。
 末帝の代になって荘宗と河上で対峙すると、河南の民は物資の運搬で苦しめられたが、それでもまだ流亡するには至らなかった。税が軽かったことと土地に愛着があったためである。
 荘宗が後梁を滅ぼすと、吏人の孔謙を租庸使に任じた。法は苛酷で下々から収奪し、多くを集めて上納したので、民の財産が尽きても、兵たちは食に事欠くようになった。これに加えて兵乱と、それが原因の飢饉により、三、四年にして殺されるに至った。税と労役が重く天下の人望を失ったからに他ならない。


 大概、朱全忠が悪玉で李存勗が善玉として描かれることが多く、社会の上層部に対する行いもよろしくない朱全忠ですが、民衆視点から見ると、朱全忠は腐敗した王朝を倒して民を楽にした人物で、李存勗は腐敗した王朝を復活させ民を搾取して享楽に耽る人物として映ったことでしょう。

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