ナントカ堂 2020/02/04 20:00

李斉賢

『高麗史』を読んでいると「李斉賢が賛して曰く」というのが所々に入ってます。
 李斉賢は『高麗史』成立よりもはるか前、恭愍王の時代に没しているので、もとの史料からの流用なのでしょう。
 李斉賢の伝は『高麗史』巻百十に収められていますが、検校政丞のテン(王に真)の子としか記されていません。ただ『東文選』巻百二十六所収の墓誌にはこう記されています。


 新羅の始祖の奕居世を補佐した大臣に李謁平がいた。その子孫が蘇判(官職名)の居明、その子が兵部令の金現、金現の子が三韓功臣大守の金書である。
 新羅王の金溥が高麗に降ると、太祖は娘の楽浪公主をこれに嫁がせた。金溥と楽浪公主の間に生まれた娘が金書の妻となり、潤弘が生まれた。
 潤弘の子が承訓、承訓の子が周復、周復の子がショウ、ショウの子が侈連。侈連の子が寵暹、寵暹の子が春貞、春貞の子が玄福、玄福の子が宣用、宣用の子が升高、升高の子が文林郞・尚衣直長同正の得堅、得堅の子が贈左僕射のカク、カクの子が検校政丞のテン。
 テンは戴陵直の朴仁育の娘の辰韓国大夫人を娶り、至元丁亥十二月庚辰に公(斉賢)が生まれた。

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