ナントカ堂 Oct/06/2024 15:20

金史太祖紀を訳して

 当初は金史太祖紀を訳すつもりはありませんでした。何故かと言えば明徳出版社の『金史』が既にあったからです。
 ただ、明徳出版社のものは結構訳が雑な箇所が多く、これなら新たに訳して他に参考史料を付ければ行けるかなと思いまして、今回のものを出しました。(源氏物語とかも既に訳があっても新訳とか出ていますし)
 ここだけの話ですが、どのあたりが雑かと言うと


原文
黎明及河、遼兵方壊淩道、選壮士十輩撃走之。
明徳出版社版
黎明河に達した。その時遼兵が凌道を壊そうとしていた。壮士十人を選んで撃ってこれを走らせた。(p.48)
拙書
夜が明けて鴨子河に到着すると、河が凍ってできた氷の通り道を遼の兵がまさにこれから壊そうとしていた。太祖は壮士十人を選んで、遼兵を撃退した。


 この場合、淩道が何なのかまで訳さないと、状況がよく分かりません。


原文
今者親征、欲由上京路進、恐撫定新民、驚疑失業、已出自篤密呂。
明徳出版社版
いま親征し、上京路より進もうと思う。撫定した新民が驚き疑って業を失うことを恐れる。これは篤密(手厚くこまかに行きとどく)の精神より出ていることである。(p.90)
拙書
今回の親征では上京が進路となるが、慰撫して新たに帰順した民が、驚いて生業を放棄してしまうことを心配している。既に朕は篤密呂を出発した。


 この「篤密呂」は、中華書局版で固有名詞であることを示す傍線が引いてあるから地名と分かりましたが、これも分かりづらい所です。

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