ナントカ堂 2017/03/08 00:13

于謙の先祖

次回作をただいま鋭意製作中ですので今しばらくお待ちください
(「じかいさく」で変換したら「自壊策」と出てなんか嫌だな(笑)
次回作とはまるで関係ないのですが于謙について



以前に「百度百科」や「維基百科」その他見ても先祖の記述が乏しくて
分からんものなのかと思ってましたが
四庫全書収録の本人の文集の附録という思い切り目立つ所に書いてありました
以下その訳





八代前の先祖は河南に住み、金に仕えて汾州節度使・開封府知府となった
七代前の先祖は朝請大夫・延津令
六代前の先祖は定遠大将軍・沁水令
ここで金末の戦乱のため家譜が失われたので官職名のみで諱は伝わらない



五代前の先祖の諱は伯儀で、幼年のうちに金が滅んだので母を奉じて雲中に移り
元の初めに新附の民を纏めてさらに薊州に移り
元に仕えて朝列大夫・太常丞兼法物庫使となり
礼部尚書・上軽車都尉を累贈され河南郡侯に追封された
妻の晋氏は礼南郡夫人を追贈された



その間に生まれたのがキで
キは初めに中書椽となり
中奉大夫・河南江北等処行中書省参知政事・護軍を累贈され
河南郡公に追封され
妻の張氏は河南郡夫人を追贈された



その間に生まれたのが九思で
九思は中奉大夫・広東道宣慰使都元帥を歴任し
湖南道宣慰使都元帥に異動となってから致仕を願い出た
以前に杭州路総管であったときに杭州に居を定めたので現在于氏は杭州の人である
この人が公の曽祖父である



祖父の承徳公は洪武の初めに兵部主事に任命され後に工部主事に改まり当時評判の人であった



父の栄禄公は隠棲して出仕しなかった


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