ナントカ堂 2016/09/22 01:48

安守忠

『宋史』巻二百七十五に伝のある安守忠について、本人についてはwikiに詳しく記されているので省きますが、その祖父の安金全は『旧五代史』巻百二十三に、父の安審琦は『旧五代史』巻百二十三に伝があり、「安金全伝」に代々辺境の将であったと記されていて、沙陀の名族でした。この家系は地盤が固かったようで、前項の呉廷祚や党進の家よりもさらに長続きし、『聊城県志』には「守忠の子の必達は、宋の端拱年間に進士となって枢密副使となった。必達の孫の国英は,慶暦年間に進士となり参知政事となった。国英の玄孫の惟一は元祐年間に進士となって龍図学士となり、惟一の孫の允升は金の大徳年間に進士となって江北宣諭使となった。赤フ(糸偏に祓のつくり)はその子孫で、明の洪武年間に平山衛指揮使となった。」とあります。

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