ナントカ堂 2016/09/22 01:16

呉廷祚

呉廷祚は後周の太祖のころからの軍人でしたが、幼少のころから読書を好み、書を一万巻以上集めたほどの学問好きで、その影響を受けてか次子の呉元載が地方官として有能であったのをはじめ子の多くが文の道を歩みました。太宗の娘を娶った三子の呉元イ(とだれに衣)も武将として有能であった一方で民情に配慮した政治を行い、真宗から、皇帝の婿の中では呉元イだけが賢明であると称賛されました。『宋史』巻二百五十七には呉元イの子の世代が各々官職に就いたことが簡単に記されて終わっていますが、『揮麈前録』には「呉鑄は国初の功臣の呉廷祚の子孫である。祖父の呉元祐もまた公主を娶ったが、劉豫に敗退してその朝廷に仕え、枢密使にまでなった。」と記されています。
呉氏は劉豫の斉に仕えたことまでは判っていますが、恐らくはその後の金にも仕えたと思われます。『宋史』巻二百六十に伝のある党進は宋初の武将ですが、その子孫の党懐英が金の文官として仕えたことが『金史』巻百二十五に記されており、華北の地に残された旧族も多くが金に仕えたことでしょう。

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